ex 優しい日常

「やあやあおはようエルちゃん! 昨日はよく眠れたかな?」


 霞が部屋から出て行ってから暫くして、霞と同じような事を言いながら、大きめの紙袋を手にした茜が部屋にやってきた。


「おはようございます茜さん。おかげ様でよく眠れました」


「おかげ様かぁ、私一体何したっけ……添い寝を断られたくらいだ。なるほど、それでよく眠れたと」


「あ、いや、別に茜さんが居なかったからよく眠れたとかじゃないですよ!?」


「えへへ、冗談だよ冗談。でもまあよく眠れたんだったら良かったよ。やっぱりちょっと心配だったんだ。実は眠れてないんじゃないかって。いやぁ、良かった良かった」


 そう言って茜は持っていた紙袋を近くの椅子に置く。


「茜さん、それは?」


「ほう、気になるかね気になるかね」


 茜は待ってましたと言わんばかりの表情でそんな事を言う。

 そしてその中に手を入れて、中身が見える様に半分ほど引っ張りだした。


「お洋服でございます」


「どうしたんですか、それ」


「家から持ってきた私の私服。エルちゃん私と背丈同じくらいだし、着れるんじゃないかなって。ほら、いつまでもスウェットとかジャージじゃあんまりアレかなって思って。なんか違う感じの部屋着を持ってきてみた。ほら、これなんか似合うんじゃないかな? っと、こっちもいいかな?」


 言いながら茜は袋からいくつかの衣服を取りだしていく。

 Tシャツにスカートや薄手の上着などが何着ずつか用意されていて、こちらがある程度選択できるようにしてくれたようだ。

 そして最後にこれが本命という風に自身満々の表情で最後の一枚を取りだした。


「そしてコイツが私の大本命だ!」


「……」


 出てきたのは恐らく漢字であろう何かが二文字大きく縦に書かれたTシャツだ。


「茜さん」


「何かな何かな」


「それはちょっと無いです」


「ないかぁ……」


 てっきり冗談で出してきたのだと思ったが、何やら少し普通にショックを受けているようにも見える。

 だけどそれは気のせいだろうと流す事にした。

 そして小さなダメージからゆっくりと立ち直ったらしい茜は、気を取り直してという風に言う。


「よ、よし……とりあえず気にいった物があれば着ちゃってよ。多分エルちゃん何着ても似合いそうだしどれでも問題ないよ。なんならこのTシャツでも……」


「あ、いや、そのTシャツは私には荷が重いです」


「あっれー、やっぱりこれ私のセンスが悪いのか?」


 なんとなくそのTシャツを着るのには抵抗があった。良くしてもらってる立場だけれど、それだけは主張してしまった。


「じゃ、じゃあそれ以外で……着ちゃいなよYOU」


「じゃあ借りますね。ありがとうございます」


 とりあえず例のTシャツ以外でどれを選ぼうかを考え、最終的に直感で選んだものに着替える事にした。






 茜が持ってきた衣服に着替えた後、一旦エイジの病室へ行こうという話になった。

 初めは朝食を取る様な話をしていたが、今の時間帯は食堂に人が多いらしい。恐らくは大丈夫だとは思うが、あまり茜が良い顔をしなかった事もあって時間をずらす事にした。

 だから今、エイジの病室の前に立っている。

 エルはドアの取っ手に手を掛けると、極力音を立てないようにゆっくりと扉を開いた。


「……誰かと思えばやっぱお前らか」


 部屋の中には先約が居た。

 土御門誠一。今そこで眠って居る瀬戸栄治の親友だ。


「やっほー誠一君!」


「やっほー茜……じゃねえよ、一応病室だぞ。少しは静かにしろ。あとそんなノリノリな挨拶飛び交わすような場所でもねえ」


「なんだよぅ、真面目ぶって。自分だって言ってたじゃん、つられてたじゃん」


「俺のはボリューム落としてテンションも下げてるからギリギリセーフなんだよ、グレーゾーンなんだよ。あとつられたんじゃない、乗っかってやったんだ」


「いやいや誠一君でも余裕でブラックだから。罪だから。ギリギリギルティだから……でも茜ちゃんは優しいから、そんな罪人の誠一君を許してあげよう」


「俺以上の罪人に何を許されるというのか……」


「まあそうだね、この件に関しては何も言えないよ。でもね、誠一君。私がキミを許してあげられる事だってちゃんとあると思うんだ……ほら、この前人の部屋に夜な夜な忍び込んでた事とか」


「ちょっと待てやてめえ! んなこと一度たりともした事ねえぞ!」


「またまたぁ、やめてって言っても止めてくれなかった癖に」


「なんの話だァァァッ! ほらみろ、てめえの冗談で明らかに俺を見る目変わってるぞアイツ!」


 誠一はエルに指を指しながら茜に必死に訴える……が、エルはエルで色々な話をエイジから聞いている。


「……本当に冗談ですか? エイジさんからたまに聞かされた話を思い返す限り、結構アレな事もやってるみたいなんですが」


「エイジてめえ、俺のいない所で何吹き込みやがった…………て、ちょっと待て、アレは話してねえよな。アレは胸に止めとくって言ってたよな!」


「うるさいよ誠一君。此処どこだと思ってんの」


「病室だよ畜生!」


 誠一は最後にそう叫んだ後、色々と諦めた様にため息を付いてからエルと茜に言う。


「まあこのやり取りした感じ、お前ら色々と大丈夫そうだな。場合によっちゃ通夜みたいな雰囲気になってると思ったからよ」


 確かに昨日誠一と別れた時点での自分はあまり明るく振舞える様な状態では無かったし、茜は茜でエルと顔を合わせた事で色々あった。双方の事情を……特に茜の事情を把握している者からすれば碌な事にならない可能性も考えていたのかもしれない。


「そういう意味じゃ一安心って言っとくべきか」


「そうだね、心配してくれてありがと。後は自分の世間体の心配をしなくちゃね」


「……え、何? まだこのノリ続くの?」


「いや、誠一君が無理矢理話軌道修正したもんだから、さっきまでのは冗談ですってエルちゃんに言うタイミングを逃しちゃって。だからその為の前置きだよ」


「……なんで前置きでジャブ喰らってんだよ俺」


「まあそういう事で、別に誠一君はそこまで変な人じゃないから」


「……分かりました。そこまで変な人じゃないんですね」


「……もういいやそれで」


 誠一は再び大きくため息を付く。

 そしてそんな誠一にエルは尋ねた。


「すみません、こんな流れでアレですけど……一つ聞きたいことがあるんですけが良いですかね?」


「おう、いいぞいいぞ。そのまま変な流れを断ち切ってくれや」


「……昨日、あれから精霊は現れましたか?」


 別にその問いに特別な意図は何もない。

 確かに昨日この世界へ飛ぶ為に使った精霊術が使えなくなった事や、エイジがあの世界へ飛んだ時の事を考えて、自分の持っている情報が著しく欠けている事は分かっていたが、その情報の穴埋めをしようと思った訳でもない。そんな物を穴埋めした所で今更大した意味は無いように思える。

 ただ純粋に知りたかっただけだ。一人の精霊として。精霊を守ろうとした人間の契約者として、外で起きていた事を耳に位は入れておきたかっただけだ。

 そしてエルの問いに誠一は答える。


「この辺りは……つーか、日本国内では精霊の出現は確認されていない。昨日はあれからカナダとオーストラリアに……あとはドイツか。その辺りに何人かずつ精霊が出現したらしいが……まあお前の存在とそうして得た情報は流してあったからな。そのおかげか大した被害もなく抑えられたそうだ」


「一晩で四ヶ国か……多いね」


「やっぱりというか……露骨に影響出てるんですね」


 自分達があの業者を倒した結果が露骨に出てしまっている。ああしてあの業者を倒したことが悪い事だったとは思わないが……ある意味引き金を引いているだけあって、複雑な心境だ。

 そして今はその影響を受けて出現する精霊の数が増えているが……逆に精霊の出現が収まれば、彼らが復活したという事になるのだろうか。

 ……そうなる事を、この世界の人達はどう捉えるのだろうか。


「……まあそれに関しては仕方がねえよ。だが間違ってもお前や栄治が責任感じる必要はねえからな」


「……その辺は大丈夫です。流石に私達のせいでとは思えませんから」


「ならいいよ……にしても改めて考えると奇跡だな」


 唐突に誠一がそんなことを口にした。


「奇跡……なんのことですか?」


「世界中どこにでも精霊は現れる。昨日そうやって現れたみたいにな。だとすりゃ……日本以外に辿り着いてた可能性の方が圧倒的に高かったって訳だ。そんな中池袋に戻ってきたのなら、それは奇跡だ。奇跡で幸運。不幸中の幸いだ」


 ……確かに数多くの国がある中で出身国の、それも出身地に出現で来た事を確立などで表せるとすれば、間違いなく奇跡と呼べるような数値になるだろう。


「不幸中の幸い……まあ確かにエイジさんの住んでた所ですからね。帰ってこれたって意味じゃ確かにそうなのかもしれません」


「そんな単純な話じゃねえよ。いや、まあそれもあるんだろうけどな、もっと大事な事がある」


 そして誠一は思い返すように言う。


「例えばの話、あの地下駐車場で一応俺と栄治の会話は成立してた。だけど見たことも無い恰好をした素性も知れない相手がお前に武器を向けていたとすればアイツは……俺と同じような立場に立った奴は、止まってたか?」


「……」


 エルもまたあの時の状況を思い返す。

 あの時誠一の両隣に居た二人はこちらに武器を向けて警戒していた。

 その状況に遭遇したエイジは迷うことなくという風にその中心に居た土御門誠一に殴りかかった。

 それを躱して誠一は反撃したが、その一撃で互いが互いの事に気付いた様でその攻防は幕を閉じる。

 ……多分他の国なんかに現れていたら、そんな簡単に事は済まなかっただろう。


「多分互いに止まらない。そして外野が止めに入れば多分収集が付かなくなる。もしかすると相手は栄治を止めようと何か言ってくるかもしれないが……高校生の平均的な英会話しかできない様な相手に、しかも血が上ってる相手に、そんなのが言葉が届くか?」


 その言葉にエルは首を振る。

 恐らくは届かないだろう。


「もっとも同じ状況に陥るかも分からないし、もしかするとこうしてお前が日本語を理解して話せている様に、エイジも何かしらの原因で外国語を話す事が出来る様になっているのかもしれない。何しろ向こうの世界で会話が成立していたみたいだからな。だけど……多分、もっと酷い結果になっていた可能性は充分にあるんだ」


 だから、と誠一は言う。


「こんな言い方はアレかもしれねえけどよ、俺はお前らが池袋に来てくれてよかったって思ってる。多分どこに来てもお前らにとっちゃ間違いだったのかもしれないけどな」


「……どうなんでしょうね、その辺りって」


 どこに来ても間違いだった。その事にはもう頷けない。昨日浮かんだその疑問の答えは今だ見つからないし、そんな事は立証できやしない。考えれば考えるだけ同じような思考がループするだけだ。

 だからその答えは求めない。

 求めずに、彼の言葉を肯定する。


「だけど出てきたのが此処で良かったってのは私も思いますよ。身の安全やエイジさんの事もありますし……それに、茜さん達にも出会えました」


 この世界に飛んだ事が正しい事なのか間違いだったのか、それはどうしたって分からない。

 だけど辿り着いたのが池袋という地だった事だけはとても幸運だったという事だけは思える。その事を否定するつもりはない。


「皆優しかったですから。そういう人達に出会えた事を不運だったとは思えませんよ」


 この事を否定するのだとすれば、一体自分が何を肯定すればいいのか。何を肯定していいのかすらも分からなくなる。


「そう思ってくれたんだったら嬉しいな」


 そう言って茜は笑みを浮かべる。

 そしてそんな茜の言葉に続く様に誠一は言う。


「まあその調子ならうまく馴染めそうだな」


「馴染む?」


 茜が誠一の言葉に首を傾げ、そんな茜に誠一は返答する。


「結構な奴がエルと話したがってる。悪意とかじゃなく普通にな、一度精霊と話してみたいんだと。一体どんな事を言いたいのかは分かんねえけど、暴言を吐きそうな奴はほぼ居なかった。少なくとも俺の周りにはな」


 そして一拍空けてから誠一はエルに言う。


「……とりあえずお前に不都合があるなら断ってもらっても構わねえ。苦手だったら避けてもらってもいいさ。だけどな……もしよければさ、話しかけられたら少し言葉返す位の事はしてやってくれねえか? お前がそれでいいなら俺も追っ払ったりはしねえしよ」


 誠一のその問いへの返答に、ほんの少し時間がかかった。

 精神的な問題。向こうの世界で生きてきた以上、人間は怖い。だけど正直今の茜や誠一が怖いかと言えばそれは否だ。怖いところなんてどこにもない。

 きっと他の人達もそうなのだろう。ちゃんと話して接すれば、生理的な嫌悪感は消えてなくなる。

 この世界で行く当てがない以上、その嫌悪感は消していかなければならない。その機会が向こうから与えられるのであれば、それはとてもいい機会だとは思う。

 そんな様な事を、ほんの僅かの間だけ考えていた。


「いいですよその位、いくらでも」


 少しづつ前に進んでいこう。この世界をちゃんと歩けるようになろう。

 もしエイジが目を覚まして、まともに前に進めなくなっていたら、その手を引いて歩ける位にはなっておこう。

 そんな事を、エルは静かに考えた。


「悪いな。そういう事ならよろしく頼むわ」


「なんかヤバそうなのがいたら私と誠一君でなんとかするからさ、そこだけは安心してほしいな。エルちゃんに怖い思いをさせない隊、結成ですよ」


「それはいいけど名前ダサくね? お前がたまに着てる例のTシャツ位ダサいんだが」


「なにおぅ! 私のTシャツはセンス爆発だぞ! 大爆発だぞぅ!」


「悪い方にな」


「……なんだろう、最近薄々考えてたけど、アレやっぱりダサいのかなぁ? エルちゃんにも無いって言われたし」


「そうですね。ダサいと思います。ダサTです」


「ついにド真ん中ストレート投げてきたよエルちゃん……」


 そんな反応を聞きながら、自然と笑みを浮かべる。

 あの酷い結末の後で。この救いようのなく重苦しい、どうしようもない世界の中で。

 確かに笑みを浮かべられる。気が付けばそんな小さな日常に足を踏み入れていた。

 深い闇に沈んでいるであろう彼を、引きずり上げて引き込みたいと思える様な、優しい日常が見つかった様なそんな気がした。

 そしてそんな中を、ゆっくりと彼女は歩き続ける。

 歩き続けたその先で、事が起きたのは三日後。

 この世界に辿り着いてから丁度五日目の事だった。

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