8 権利
「エイジさん。他の子達をお願いします。何かあったらすぐに戻ってきますから、その時は合図を頼みます」
「ちょ、おい!」
動き出したエルに制止の言葉を掛けるが、言い切る頃にはもうエルはそこに居ない。
ナタリアと共にこの場から大きく離れて行ってしまう。
「行っちまった……どうする」
追って止めるべきだろうか。一応そんな選択肢を考えるが、その案をすぐさま掻き消す。
俺がこの場から動いたら、文字通りヒルダ達が無防備になる。それだけは避けるべきだし……それに、エルならきっと悪い様にはしないと思えてくるから、それを信じるべきだ。
だから俺は言われた通りにこの場を守る。そして戻ってきたアイツらを迎える。それでいい。
もっともナタリアは俺に迎えられても嬉しくはないだろうし……そもそも何かあった時、今の俺に果たしてこの場を守ることができるかどうかすら微妙だけれど。
「……一応肉体強化は掛っている、か」
試しに拳を握って、何もない所にジャブを放ってみる。
当然の事ながら肉体強化を使っていない状態と比べれば遥かに早い。だけど今まで俺が放ってきた物と比べれば大きく劣る。
「どうやったら元に戻んだ、コレ」
時間が経過すれば戻るものなのだろうか。だとすればその時間は?
そして勝手に戻らない物だとすれば、術者にどうにかしてもらうか術者をどうにかするかといった所か。前者は無いだろうし、後者は取りたくない選択肢だ。
だとすれば時間経過で治ってくれる事を祈る。それしかない。
「……そういや、ナタリアが使った防音効果の精霊術も、時間が経たねえと戻らねえのか」
あれはこうして見張りをしている上では邪魔にしかならない。何しろ何かが起きて声を掛けても聞こえなければ対応が遅れる。
先に対策を練っておく必要があるな。
エルが俺を助けてくれた後、ナタリアとの会話が成立していた事を考えるに、術が掛っているのはヒルダ達の周囲という考えで間違いないだろう。
だからまあ気が進まないけど……起きてもらって、ちょっと場所を移動してもらおう。
そう考えて俺はヒルダ達の元へと歩み寄る。
距離が離れていれば声は届かない。だけど近づけば。つまりその効果範囲内に入ってしまえば俺の声はヒルダ達に届く筈だ。
「えーっと、悪い。ちょっと起きてくれ」
とりあえず一番近くに寝ていたアイラの肩を揺する。
すると彼女はゆっくりと瞼開いた。
「……何?」
流石に起こされてやや不機嫌そうだが、それでも目を擦りながら体を起こしてくれる。
「……私、今日は見張り番じゃないはず」
「ああ、それなんだけどな……」
俺がとりあえず起こした理由を言おうとすると、それよりも先にアイラがこの状況に異変を感じ取った。
「……エルと、あのナタリアって子は?」
アイラは周囲を見渡すが、その瞳にエル達は入らない。
「……何かあった?」
淡々と。だけど少し心配そうにアイラは俺にそう聞いてくる。
流石にアイラ達を対象にした精霊術が使われている以上、一悶着あった事は誤魔化しようがないだろう。誤魔化した所で間違いなくどこかでボロが出る。だからまあ、今あった事位は話しておくべきだろうか。
「あったよ。ナタリアと一悶着あった。だからこうしてお前らを起こす様な事になってる。アイツ騒ぎがお前らに聞こえないように精霊術で何か張ってたっぽいからな。起きて移動してもらわないと、いざという時対応できない」
「……一悶着……の事は気になるけど、それならはやく移動した方がいい」
「ああ。だから後は二人を起こして――」
「……待って」
ヒルダとリーシャを起こそうとした所でアイラに止められる。
「どうした?」
「……夜遅くに急に起こされると、凄く気分が悪い」
「……おう」
「……凄く気分が悪い」
「すみませんでした」
一応謝っとく。睡眠妨害した事には変わりないしな。
「でも、じゃあどうするよ」
「……普通に起こさないように運べば良いだけの事」
「ああ、成程」
そう返答しながらヒルダをお姫様だっこの形で抱き上げるアイラを眺める。
「……ぼさっとしないで」
「いや、あの……なんかこう、俺がそれやると恥ずかしいじゃん」
「……」
そんな俺を手伝えと言わんばかりのジト目でアイラは俺を見つつため息を付いた後、一拍明けてから呟く。
「……精霊相手にそういう事を考える。やっぱりあなたは他の人間とは違う。少なくとも私はそう思うし、今日一日を見ていてもそう思う事への違和感は薄れた気がする」
俺にとってはなんだか報われた様に思える言葉。だけどアイラの言葉はそれだけでは終わってくれない。
「……でもきっと、ナタリアにはそうは思えない。思えないから一悶着に発展した」
一言で現実に引き戻されたような、そんな気分になる。
「……そうだな。間違いなくそういう風には思われていないだろうよ。精々他の人間と違うやり方で精霊を利用しようとしている奴って所だ。なんかアイツ曰く、俺がエルの事を洗脳していると思ってるらしいんだ。それをきっと今、エルが否定してくれている」
「……それで今二人はいないの」
「ああ。多分エルならうまくやってくれる」
「……だといいけど。でもきっとそう簡単には折れない」
「まあ……そうだろうな」
「……でも、例え折れなくても。あなたの事を悪く思い続けても。そんなナタリアを責めないでいてほしい」
そんなアイラの申し出が少々意外だった。
「……意外だな」
「意外?」
「言っちゃ悪いけどさ、お前らとナタリアの間って、俺とナタリア程じゃなくてもあまり良い様には思えなかったからさ。そういう擁護とかするんだなって」
「……確かに良くはない。あんな風な態度を取っていたら、近づこうにも近付けないしその気も無くなってくる」
だけど、とアイラは続ける。
「……だからと言って全否定はできない。ナタリアの考えは、精霊だったら皆理解できる。痛い程に理解できる。……例え今みたいに、あなたを信頼しようとしていても、それでも」
言われてみれば当然だ。
人間に刻まされた酷い記憶はきっと消えない。ずっと脳裏にへばり付く。だとすれば例え身を置く状況が変わっても。それでもナタリアの様な精霊の考えも、感情も。読み取れてしまうのだろう。
「……だからあまり責めないで上げてほしい。あなたにはそうする権利はあるかもしれないけど、一人の精霊としてのお願い。聞いてくれると嬉しい」
「……分かったよ」
そもそも俺にそんな権利はない。
ナタリアの行動の根底にあるのは人間の悪行で。そして俺は人間で。
だとすれば彼女の行為に嫌悪感を覚えても。苦痛を覚えても。人間である俺が責めるなんて事は絶対にあっちゃいけない。
そう思える位には酷い世界を見てきたし、そう思えるくらいには酷い泣き顔を見た。
だから……例え理不尽に思っても。俺がそれを責めちゃいけない。
責めるなんてのは間違っている。
「……ありがとう」
申し出てきたアイラが俺の返答にそう返してくる。
そしてそう返した後、彼女はヒルダを抱えて離れていく。
そして途中で立ち止まってこちらに振り返り、何かを言っているようだけど何を言っているのかはさっぱり聞こえなかった。これがナタリアの術の効果か。本当に全く聞こえない。
だけどまあアイラが何を言いたいのかは分かったので、とりあえず行動だけは起こしておく。
正面で手をクロスさせて心の中で無理ですと伝える。
すると向かった先でヒルダを寝かせたアイラはこちらへと戻ってくる。
その際に手伝えよという視線を浴びたけど、そんなに責めないでほしい。無理なもんは無理である。
そうして俺達は全員術の効果範囲から出た。
後はこれで二人が戻ってくればそれで良いんだけど……果たしてうまくいってるだろうか。
そんな事を考えながら、俺はエル達の方へと視線を向ける。
彼女たちが戻ってくる気配はまだない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます