ex 証明
「……」
再び伸ばしたその手はまたも空を切る。
何度も何度も空を切る。
そのあまりに無駄の無い動きからは、目の前のナタリアという精霊が自分よりもずっと戦い慣れている事を告げてくる。それだけ戦いに塗れた生き方をしてきたのだと告げてくる。
だがその戦い方はあまりに妙だった。無駄の無い動きの合間に無駄だらけの動きが混じっている。戦いにおいて混ぜてはならないものが確かに混じっている。
そしてまた混じった。
(……まただ)
無駄のない様な動きでエルの攻撃を躱したナタリアが放った蹴り。その切り返しがワンテンポ遅く、放たれた蹴りも手でも抜かれているかの様に勢いが無い。当然当たれば相当重い一撃なのだろうが、ナタリアの身のこなしを考えればもっと鋭い攻撃を放てる。
そんな攻撃をナタリアは放ってこない。加えてあの精霊加工工場での戦いで彼女が放った炎の槍も。炎そのものも。きっと本当に彼女は全力を出していない。
当然洗脳を解く事が目的なのだから相手を潰しにかかるような戦い方をしてこないいのは分かっている。エル自信も同じような立場なのだから、その辺りは理解している。
だけどどう見てもその動きから、その表情から得られる情報はそれだけの事ではない。
(……躊躇ってる)
目に見えて分かるレベルにナタリアの攻撃には迷いが混じっていた。
だとすれば自分より強い彼女に対して目的を達成するのは、困難だが不可能ではない。
「ハッ!」
「……ッ!」
生半可な反撃の際に生まれてしまったナタリアの大きな隙。それを突く様に、エルの拳が鳩尾に叩きこまれる。
そして地面を転がるナタリアに急接近しつつ左手に風の塊を形成。
それを体制を整えようとしていたナタリアに突きつけた。
「……ッ」
そして時が止まった様に静寂が訪れる。
ナタリアは動かない。そう簡単には動けない。
当然だ。今は言ってしまえば銃口を頭に突き付けられているようなもの。
トリガーには指がかかっている。精霊術で振り払おうにも間に合わない。
大人しくするしかない。そういう状況。
即ち、エルが望んだ状況になんとか持ちこめた。
(……勝った)
実際勝ったという判断を下して良いのだろう。この時点で何も反撃をしてこない時点で、相手のカードに理想の形でこの状況を乗り切る術は無いと思える。
だけどあくまで抑え込む事に成功しただけだ。それではなにも終わっていない。
寧ろここからが本番だ。
「……もう一度言います。私は洗脳なんかされてませんよ」
「嘘だ。人間に従う精霊なんて居る筈が無い。他の精霊を釣る餌として、利用されているだけだ!」
人が精霊を騙す対象としてみていない。その事を以前言ったが、そもそもその言葉が彼女に通じていたかどうか疑問だ。
そもそもあの言葉はエルの経験則でしかないし、あの時ナタリアを押し黙らせたのは手の甲に刻まれた刻印があったからだろう。
つまりは同じ言葉をもう一度言ったとしても、その言葉は彼女には届かない。
そして理屈を捏ねて、彼女に告げられる言葉は。彼女を納得させられる様な言葉は浮かばなかった。
そして、これ以上エイジを悪く言われる事に、落ち着いた返答を返し続けるのは、もう限界だった。
「……じゃあ説明してみてくださいよ」
「……なに?」
「エイジさんが私を洗脳して利用して、そして人間を皆敵に回してあなた方を助けて、そこに一体なんのメリットがあったって言うんですか! これからどんなメリットがあるって言うんですか! ちょっと考えれば何もないって事くらい分かるでしょ!」
「……ッ」
きっと彼女もどこかで分かっていたのかもしれない。
利用されていると言った。だけどそうする事で齎されるメリットは何も浮かばなかった。浮かばなかったからそんな表情を浮かべている。だけど否定せずには居られない。きっと彼女にとって人間はそういう存在なのだから。
だけどそんな彼女を、エルは否定する。
「あの人は確かに色々歪な所があるかもしれないですけど、それでもッ! 私を、あなた達を、必死になって助けようとしてくれた事は否定させない! 何が何でも否定はさせない!」
「……うるさい」
「だから私は洗脳されていないし、アナタも他の子も、利用なんかされていない! あの人は――」
「うるさい!」
今まで動かなかったナタリアが、ついに動いた。
「……ッ!」
高ぶった感情が、無我夢中でその手を動かさせたのかもしれない。
銃口を突き付けられた状況で、それでも彼女は動いた。
右腕をエルに向かって伸ばす。
対するエルは動けない。そもそも突き付けている風の塊はただの脅しにすぎない。端から放つつもりはなかったのだ。
不意打ちだ。故にすぐに対応できない。一転して状況は覆る。
ナタリアの手が、風の塊を突き付けるエルの腕に触れ、そして精霊術が発動する。
そしてその直後、エルは慌てて後方へ飛んでナタリアとの距離を離した。
そう、離せた。触れられた左腕にはなんの異常もなく、痛みの一つも纏わりついていない。
ただ触れられた。そんな印象しか残らない。
(一体何が……)
その答えはすぐには分からない。
だけど分かるのは、何かしらの精霊術を放ったナタリアが茫然としている事だろうか。
再び攻撃を仕掛けてくる様子もなく、ただエルの腕を掴んだ自分の手に視線を落として茫然としている。まるで思惑が外れた様に。
(……ああ、そっか)
その様子を見て予想できた。
きっと今のがナタリアが考えていた洗脳の解き方。そういう類の術を打ち消すような、そういう精霊術を彼女は使用したのだろう。
だけど何も変わらなかった。きっと一切の手応えもなかった。それ故に困惑しているのだろう。
「私の洗脳は解けましたか?」
「……ッ」
これできっと、洗脳なんてされていないという事を証明できた筈だ。
もっとも証明できたからと言って、エイジが敵ではないという事を納得させる事は出来ないだろうけど……それでも、あまりにも酷いレッテルを一つくらいは剥がす事が出来た。最低限それができればそれでいい。
「じゃあお前は……本当にアイツを信頼して、隣に居るのか」
「はい。私の、大切な人です」
「……」
その言葉を聞いたナタリアはそれ以上何も言わなかった。
精霊が、洗脳でもなく本当に人間を信頼している。その事実を彼女がどう受け止めたのか。それは彼女にしか分からない。もしかすると彼女ですら分からないかもしれない。
そしてそれをエルが知ろうとする時間も、与えられない。
後方から大きな音が鳴った。
「……ッ」
慌ててエルが振り返るが此処からでは何も見えない。ナタリアとの戦闘で、その音が発生するであろう場所から随分と離れた。離れるように戦っていた。
そしてその音が鳴ったという事は……高確率でエイジ達に何かがあったと考えて間違いないだろう。
「何だ今の音は!」
ナタリアもその音を聞いて立ちあがる。
「多分エイジさんか、他の子達がサインを出したんだと思います。早く戻らないと!」
ナタリアの返答も聞かずに、風の塊を踏んで一気に加速する。
その先で何が起きているか、あまりしたくない想像を巡らせながら。
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