20 それが故にキミが居る
おそらくというか間違いなく、この工場内にはまだ警備が残っているし、ここにやってくるのも時間の問題だろう。だけどそれでも、今この瞬間に襲われることは無い。
……だとすれば、やっておく事がある。
俺はエルを元の姿に戻す。
すると一度は自ら元の姿に戻って蹴りを放ったエルが、ゆっくりとその場にへたり込んだ。
大丈夫かと聞こうと思ったが、大丈夫ではないのは目に見えて分かるし、刻印からも伝わってくる。きっと今まで動けていたのは全て火事場の馬鹿力的なものなのだろう。目の前の脅威が一時的にでも去れば、嫌でもほんの少し気は抜ける。そうして抜けた気が、無理矢理動かせていた気力まで一緒に持っていく。
そして気力が抜ければ立てなくなる位、怪我は重い。
俺は何かエルに言うよりも早く、エルに向かって回復術を発動させる。
「……とりあえず応急処置だ」
「……いいんですか? 敵陣のど真ん中ですけど」
「よくねえけど、何もしねえ訳にはいかねえだろ。とりあえず、状況的にヤバくなりそうなギリギリまで治療する」
この場所に長くは留まれない。だけど僅か。ほんの僅かだけでもエルを楽にできたらそれでいい。
「わかりました。お願いします、エイジさん」
そうしてそのまま回復術を続行する。
その間、互いに中々話を切り出せなかった。
エルも言っていたけど、俺もエルも、言いたいことは沢山ある。あるけれど、いざそれを言える場面になるとどうしても言いあぐねてしまう。
だってそうだ。自分の身の安全を捨ててまで。きっと自分が一番訪れたくない場所にまで足を踏み入れて。そんな事までして、なんで俺を助けに来たんだって。
そんな事を面と向かって言えるわけがない。
だってその行動には、きっと強い覚悟がある。
そんな大切な事を犠牲にして、それでも俺を助けようとしてくれた。俺みたいに正しいと思ったことを何でも実行できてしまうズレた奴とは違う、本当にどこにでもいるような普通の女の子が、そんな事をしてまで俺を助けてくれたんだ。
そこに一体どれだけ重たい葛藤があったのだろうか? どれだけ重たい決断があったのだろうか?
……それが一体どういうものだったとしても、そうして出された決断は、決して頭ごなしに非難していいものじゃない。
ましてやその決断が自分に対して向けられたものであるならば。そしてそもそもそんな決断を取らせる原因を作ったのが自分だったら。もう何も言えない。
……自分の身の安全を放棄した事に、何やってんだとか、そんな事は言えやしない。言う資格もきっとない。
きっとこの場で。何かを言う権利を持っているのはエルだけだ。
そしてそのエルは、俺に尋ねてくる。
「……エイジさんは、これからどうするつもりですか?」
「……」
どうするべきなのだろうか。
例えば、俺一人ならば迷いなく精霊達を助けに向かうだろう。だけど今はエルが居る。それにきっとできるのは応急処置までで、動き出す頃にはまだ怪我を負っている筈で。
だとすれば、そんなエルを連れてこのまま精霊を助けに行くことは、本当に正しいのだろうか?
そんな風に答えあぐねていた所で、エルは言う。
「助けに行くんですよね……此処に捕まっている子達を。いいですよ。もうここまで来たら引き返せませんから。付き合ってあげます」
「……いいのか?」
「いいんです。だけど、約束してほしいんです」
「約束?」
「……もう、こんなことはしないでください」
こんな事。つまりは今日みたいなことの事だろう。
だとすれば俺の回答は考えるまでもない。
「……分かってる。お前にこれ以上迷惑を掛けるわけにはいかないからな」
エルにはもう、シオンから受け取った枷がない。つまりはアルダリアスに居た時の様な視線が向けられる。いつ誰に襲われるかもわからない。とにかく周囲が危険で満ち溢れる。
そんな状態のエルを放ってこんな事はできないし、こんな事にエルを巻き込む事も出来ない。今回だってエルを巻き込むことが分かっていれば、この選択は取らなかっただろう。
だとすれば必然的にこういう返答になる。嘘は言っていない。
この場合そうすることが正しい事だと俺は思う。
だけどエルは一瞬安堵するような表情を浮かべた後、何かに引っかかったように一拍入れてから俺に問う。
「……じゃあもし、私に迷惑がかからない様な状況だったら……そんな状態で今日と同じ事があったら……その時はエイジさん、どうするんですか?」
……そんな時にどうするか。
考えるべきことが自分の事だけで、それで目の前に誰かが助けなくちゃいけない様な誰かがいたら……その時はどうするだろうか?
その答えもまた、考えるまでもない。
「……多分、動くんだと思う」
多分と言ったが間違いなく、俺は目を逸らす事が出来ない。きっと無我夢中に助けに入る。
あのアルダリアスの地下の様に。今日のカイルとの戦いの様に。俺の力がそういう事ができるレベルに達していないって分かっていても。それでもきっと俺は動く。
「俺には此処にいるような奴を見捨てるような事、できやしねえよ」
その返答を聞いて、エルはしばらく押し黙った。
だけどそれでも、ゆっくりと口を開く。
「……んでですか」
「え?」
「……なんで、そんな事を当たり前の様に言えるんですか」
搔き消えそうな声。だけどそこには強い意志が籠っているように思えた。
そしてその意志は、声音にも籠りだす。
「今自分がどれだけ酷い状態か分かっているんですか!? 腕だって折れて、全身傷だらけで、私が来なかったら死んでたかもしれないんですよ! なのに、なんでまだそんな事を言えるんですか……ッ!」
自分だって理解している。
俺のやっていることは無謀に近い。さっきも考えたが、俺の力でどうこうできるレベルを超えてしまっているんだ。
「それに、自分の知っている誰かの為だったらまだ分かりますよ! 例えばよく話に出てくる誠一って人の為だとか! シオンって人の為だとか。……私の為だとか。それだったら、まだ分かりますよ! だけど……知らない誰かの為になんでそんな事をしようとしているんですか! そんな事で死んじゃってもいいんですか! 自分がどれだけ無茶苦茶な事をしているのか、理解してますか!」
……エルの言っている事はごもっともな話だと思う。
「ああ、分かってる。自分のやっていることが無茶苦茶なんだって事は分かってるんだ。そりゃ知ってるやつならともかく、知らねえ奴の為に動いて死にたくなんかねえし、そう考えると俺の行動がひどく歪んだものにも思えてくるよ」
「だったら――」
「……だけどさ」
言いかけたエルの言葉を掻き消して、俺は言う。
「それでも自分が正しいと思った事をやれる。誰も手を差し伸べない様な奴に手を伸ばせる。そんな事がさ、俺の誇りなんだ」
だったらさ、関係無いんだ。
「だったら無茶苦茶でも、無謀なことでも。そんな事は関係ねえんだ。今まで碌に成功しなくて、自分でも嫌悪感を覚えていた行動も。そして……お前の為に戦えた事も。お前を助けられた事も。全部、全部、俺の誇りなんだ」
だったらもう、止められない。止まらないんだ。
「……悪いな、エル」
だから謝っとく。少なくとも俺の考えが、エルの心配を踏み躙っている事位は理解しているから。
「お前の言ってることも間違いじゃないと思う。だけどさ……俺はお前を助けられた自分を曲げられない。曲げちゃいけないんだって思う。だからこの誇りは捨てられない。だからきっと、もしそういう場面が来て動ける状態だったら、俺は迷いなく今日みたいなことをするんだと思うよ」
そんな言葉に対する、エルの返答は無かった。
……ただ、複雑な表情を浮かべるだけ。
それでもやがて、エルはゆっくりと手を動かし、俺の服の袖を掴んだ。
一体エルが何を思って、そういう事をしているのかは分からない。分かってあげられないし、分かったからといって、何かをしてあげられるかは分からない。
結局それが分からないまま、俺はエルの治療を続けた。
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