第29話
「ふっ!」
何とか空中で体勢を整え、足から着地する。十メートル近い高さからの落下だが、膝を柔軟に使うことで、衝撃を相殺した。
親父はと言えば、こちらに向かって一歩一歩、歩いてくる。スラスターを使うのは諦めたのだろうか。それでも、向こうから来てくれるのなら好都合だ。
こちらは倉庫の海側に背中を向け、ボクシングのファイティングポーズを取る。
やがて距離が五メートルに迫った時、親父は唐突に、左側のスラスターを噴かした。ペイント弾を喰らっていないスラスターだ。
もちろん、直進してくることはできない。しかし、回転に勢いをつけることはできる。
「はあっ!」
反時計回りに繰り出された回し蹴り。予想以上の速度だったが、俺の身体は見事に反応してくれた。僅かに踏み込み、親父の膝を掴み込んだのだ。
「どりゃあああっ!」
相手の勢いを殺すことなく、そのままぶん投げる。海側の扉に向かって。それは、憲明が以前ガトリング砲で穴だらけにした鉄扉だ。
急制動をかける親父。俺は手榴弾を取り上げて口でピンを抜き、親父の頭上を通るように放り投げた。
ドォン、という鈍い爆音と共に、親父の背後の鉄扉は砕け散った。あともう一押し。
俺の狙いを悟ったのか、親父は両手両足を踏ん張って、勢いを殺そうと試みる。だが、遅い。俺は低い体勢でダッシュし、真正面から接敵した。
そして両腕を突き出し、親父の胸部装甲を掌で押し出す。点ではなく、面による攻撃だ。
「ぐあ……!」
親父はそのまま突き飛ばされ、宙から海面へと叩きつけられた。
立ち上る水柱の高さが、親父の着ているパワードスーツの重量を反映している。これだけの重量を持ちながら、浮上してくることは不可能だろう。
やった。親父を倒した。お袋と、葉月の親父さんの仇を討った。
RCの稼働時間にはまだ余裕があったものの、俺は全身が脱力するのを感じた。親父め、窒息しながら、そして自分の行いを悔いながら、苦しんで死んでいくがいい。
そんな残忍な忌むべき感情が、俺の足元をすくった。文字通り、海面から飛び出してきたワイヤーによって。
「⁉」
あまりにも呆気なく俺は引き倒され、そのまま引っ張り込まれていく。夜の、真っ黒な海面に向かって。
慌てて息を吸い込んだ直後、俺の全身は海中にあった。首を巡らせると、足首にワイヤーが巻き付けられている。そのまま沈んでいく俺の身体。くそっ、死なばもろともということか。
ここで諦めるつもりはない。俺は両腕と片足をバタつかせ、浮上しようと試みた。RCのお陰で、親父の重量に引かれながらも、徐々に海面が近づいてくる。それでも、浮力を失ってから親父を引き上げられるかどうかは分からない。何とかして、ワイヤーを切り離さなければ。
しかし、その手間は不要だった。急に足が軽くなったのだ。見下ろすと、親父の顔が見える。ヘルメットを放棄したのか。
メットだけではない、全身の関節部や急所を除くほとんどのパーツが、切り離されて沈んでいくのが見える。
確かに、親父は何らかの格闘技を身につけている可能性がある。だが、RC稼働中の俺の敵ではあるまい。引っ張り上げてから捻り潰してやる。
俺の両腕が、海面から出た。埠頭のコンクリートに噛りつく。そのまま全身をバネのように使い、足で親父を釣り上げるような形で這い上がった。
「ぶはあっ!」
勢いよく息をつく。RCの残り時間は僅かだが、無防備な親父をぶちのめすには十分だ。ワイヤーはそれから切断しても遅くはない。
俺の背後から、ずるずると引き上げられてくる親父。今度は海に落とさないよう、慎重に拳を叩き込もうと、俺は身構えた。その直後だった。未だかつてない激痛が、俺の全身を麻痺させたのは。
「――――――‼」
耳が遠くなり、自分の悲鳴すら聞こえない。俺は堪らず、その場に膝を着いた。
「甘かったな、潤一」
荒い呼吸を隠そうともせず、親父が言った。
無理やり身体を捻って振り返る。そこに立っていたのは、金属質な装甲板をちぐはぐに纏った親父だ。右腕を差し出し、眼前に掲げている。
そうか。ワイヤーはあそこから射出されたのか。恐らく、今俺を襲った激痛は、ワイヤーを介した電撃だ。親父は腕に装甲板を装着しているから、感電せずに済んだのだろう。
俺に推測できたのはそこまで。それからは、自分の意識が失われないよう、脳みそを動かし続けることに必死だった。
「俺を見逃せ、潤一。そうすればこのワイヤーから自由にしてやる」
そう語る親父は、自身の身体はほぼ無傷。電撃で大打撃を被った俺に、勝算はない。もはや、RCが稼働しているかどうかすらあやふやだ。
それでも、俺は生きることに固執した。胸にあったのは、ただ一つの想い。
――葉月だって、懸命に生きようとしているじゃないか。俺だけ先に、楽になるわけにはいかない。
気づけば、俺の視界は高くなっていた。自分でも信じられないことだが、どうやら立ち上がったらしい。もはや気力だけで立っている。
親父はぎょっと目を見開いて、俺を見返した。
「ばっ、馬鹿な! あれだけの電撃を喰らわせたのに、貴様、どうして立っている⁉」
「あんたには分からないよ」
そう言って俺は、無防備な親父に向かって一歩、また一歩と近づいていく。そして倒れ込みながら、重力に引かれるがまま、拳を親父の顎に叩き込んだ。
俺と親父は、もつれ合うようにして転倒した。僅かに残った視野の中央に、気を失って白目をむく親父の顔が映る。
親父には分からない。絶対に分かりはしないんだ。最愛の人さえ平気で殺せるような、冷酷な人間には。
今、俺は一人だ。チームが解散されてしまった以上、誰も助けには来ない。今まで自分がしてきたこと、テロリストを狩るテロリストをして活動してきた過去は、白日の下に晒される。間違いなく、俺は死刑になるだろう。
「結局……俺は死ぬのか……」
この薬品と生臭さの混じり合った異臭が、最後の知覚だとは思いたくない。たったそれだけの思いで、俺は自分の身体を仰向けにした。
星は見えない。臨海工業地帯の、赤や青といった原色の灯りが、チカチカと俺の網膜を刺す。
俺が目を閉じようとした、その瞬間だった。親父の首から上が弾け飛んだのは。さらに直後、自動小銃のものと思われる銃撃音が、しばしの間耳朶を打った。
何だ? 誰かが戦っているのか? 俺と親父はここにいるのに。
しかし、それ以上思考し続けることは、俺の全身全霊が許さなかった。まさか、親父と一緒に、しかも第三者によって殺されることになるとは。
「どうにでもなれよ、畜生」
そう呟いて、俺は自ら全身の感覚を放棄した。
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