〆切前には百合が捗る

平坂読

Episode1 〆切前には出逢いが捗る①

 これは、独りだった人間が独りではなくなるという、ただそれだけのありふれたラブストーリーだ。



 自分は同性が好きな人間なのだと白川しらかわ愛結あゆが自覚したのは、中学二年のときだった。

 LGBTという概念はテレビなどで知っていたけれど、自分自身がそうだと認めるのには抵抗があった。「そうではない」ことを証明するためにLGBTについての本やウェブサイトを読みあさり、そしてやはり自分はLGBTのうちの「レズビアン」――心身ともに女性で、性的指向も女性である人――なのだと確信するに至った。

 自身が同性愛者であると確信を得たあとも周囲にはそれを隠し続け、多数派のフリをして中学を卒業した。

 高校2年生になって間もなく、学校でLGBTについて学ぶ授業があって、その日の放課後、仲の良かったクラスメート数人とスーパーのフードコートで駄弁っていた折、今日の授業のことが話題に上った。グループのリーダー格の少女――一年の頃から仲が良くて親友と呼んでもいい間柄、だった――が、「身近にそういう人がいても、自分だったら全然気にしない」などと発言したところ、他の友人たちも口々に同意した。

「あたしも全然偏見ないなー。今時、同性愛なんて別にフツーだよね」

「そーそー。差別とかヒドいありえない」

 なるほど、そういうものなのか――と、愛結は驚きと安堵と喜びを感じた。

 たしかに昨今、ドラマや映画なんかではごく普通に同性同士のカップルが登場するし、友人たちの間でも『おっさんずラブ』が人気だった。自分が考えている以上に、LGBTという存在は世間に受け容れられているのだろう。

 だから愛結は、自分が同性愛者であることをその場でカミングアウトした。

 友人たちは一様に驚きの顔を浮かべたものの、すぐに笑顔で、これからも自分たちは何も変わらず友達のままだと言ってくれた。


 その翌日、愛結が同性愛者であることはクラス中に知れ渡っていた。


 どうして言いふらしたのかと愛結が親友に問い詰めると、彼女は本当に辛そうな表情を浮かべて半泣きで答えた。

「だって、やっぱり気持ち悪い。体育の着替えのときとか、あたし達のことキモい目で見てたってことでしょ」

 愛結は言葉に詰まった。

 女だったら誰にでも欲情するわけじゃないし、彼女のことは友達だとしか思っていない。……けれど、裸を見たとき微塵も性的な感情を抱いたことがないと言えば嘘になるのだ。

 さらに親友は、かつてバスで痴漢に遭ったときの恐怖を吐露したあと号泣を始め、他のクラスメートたちも彼女に同調し、愛結に嫌悪や蔑み、それに好奇や憐憫の視線を向けてきた。

 愛結の思考が混乱する。

 自分は彼女に告白したわけでもないし、恋愛感情を抱いているわけでもないし、もちろん痴漢行為をするなど考えたこともない。

 それなのになぜ、こんなふうにクラス中に晒され、勝手に泣かれ、悪者のように扱われねばならないのか。

 ……いや、完全に悪者扱いならまだ良かったのだ。持って生まれた性質そのものが悪だというのなら、この場所は端から自分とは相容れないものだったのだと、こっちから見切りをつけてやることもできた。しかし、

「おい、みんなやめろよ! べつに白川さんが悪いわけじゃないだろ!? 白川さんだって可哀想なんだし!」

 愛結を庇うようにそう叫んだのは、クラス一のイケメンとして女子から人気の高い男子生徒だった。

 まるで少女漫画でヒーローが主人公を助けるようなシチュエーション。普通の女の子なら恋が芽生えていたかもしれない。

 しかしこのとき愛結の脳を支配したのは、純然たる「怒り」であった。

 ――可哀想。

 それは愛結にとって、一番言われたくない言葉だったのだ。

 愛結の身体が火のように熱くなり、思考は真っ赤に染まり。

「っっっっっざっけんな――――――っ!!」

 次の瞬間には、見事な正拳突きがイケメンの顔面にクリーンヒットしていた。ちなみに白川愛結、空手歴十年である。

「あたしは、可哀想なんかじゃない!」

 憎まれるのにも嫌われるのにも耐えられるけれど、哀れまれることだけはどうしても耐えられなかった。

 それ以降のことはよく憶えていない。

 ともあれ暴力事件を起こした結果、愛結は二週間の停学処分となった。

 それ自体は正直どうでもよかったが、学校から両親に事件の経緯が伝わり、同性愛者であることもバレてしまった。

 両親は、愛結が学校で暴力事件を起こして大勢の人を傷つけたことよりも、娘が同性愛者だったということに大きく動揺した。

 激高して「何かの間違いじゃないのか」とわめく両親に、愛結は極力落ち着いて、独自に勉強した知識を元にLGBTは決して珍しいことではないのだといった話をするも、両親は聞く耳持たず、愛結のことを「恥さらし」「出来損ない」などと罵り、あまつさえ娘を強引に精神科に連れて行き「治療」しようとした。

 考えが古くて今どき「結婚して家庭を守るのが女の役割」などと臆面もなく言い放つ両親とは元々折り合いが悪かったのだが、ここに親子の断絶は決定的なものとなった。

 どれだけ世界中でマイノリティの権利や理解が叫ばれようと、テレビやネットで差別や偏見はいけないというキャンペーンが行われようと、クソ田舎のクソ社会のクソ人間なんて所詮こんなものなのだろう。未だに男尊女卑が平然と罷り通るような社会で、ましてや性的マイノリティに居場所などあるわけがなかった。

 家族にも友人にも学校にもこの街にも心の底から失望した愛結は、家を飛び出し、この街を出て行くことにした。

 向かう先は大都会・東京。

 東京ならきっと、愛結のような人間も大勢いるだろう。

 バスで十時間以上かけ、昼前に東京に辿り着いた愛結は、真っ先に美容院に飛び込んでもっさい黒髪をまっ金金に染めてさらに赤のメッシュを入れた。それから服屋の店先で目に入った、大きなドクロがあしらわれた超イカすTシャツと、これまで一度も穿いたことがないような短いスカートを買って着替えた。一刻も早く「田舎の女の子」ではなくなりたかったのだ。

 外見を都会色(※愛結のイメージ)に武装した愛結は、それから住むところとお金を稼ぐ方法を探すために東京の街を彷徨った。しかし真っ当な不動産屋や真っ当な店が未成年の家出少女を相手にしてくれるわけもなく、とりあえずはネットカフェでしばらく凌ごうと夜の街をフラフラ彷徨っているところを警官に呼び止められた。

「君、中学生? こんなところでなにしてるの」

 警官に声を掛けられるなど初めてのことで、気が動転した愛結は完全に挙動不審になってしまい、一瞬で家出少女だとバレて交番まで連れて行かれた。

 実家に連絡されて田舎に連れ戻されるのだけは絶対に御免だったので、愛結は仕方なく、東京でただ一人の信じられる人を頼ることにした。

 その人の名前は白川みやこ。十歳ほど離れた愛結の従姉妹で、東京の出版社で働いている。

 生まれも育ちも東京の彼女は服も髪型もお洒落で、優しくてかっこよくて、愛結は昔から彼女のことが大好きで、空手を習い始めたのも彼女の影響だ。彼女の両親も都会的な大人で、自分もこの家に生まれたかったと何度思ったことか。

 何を隠そう、その白川京こそが愛結の初恋の相手である。そんな人に迷惑を掛けるのは気が引けたが、背に腹は代えられない。

 愛結が連絡すると、京はまだ仕事中だったにもかかわらず急いで交番に駆けつけてきてくれた。

 今年の正月に会ったときとはすっかり様子が変わった愛結を見て一瞬驚いた顔をしながらも、「この子は自分の従姉妹で、田舎からうちに遊びに来ている」と話を合わせてくれた京に、愛結は感激し、改めて尊敬の念を抱くのだった。

「それで、なにがあったの? あっちゃん」

 近くの喫茶店で京に訊ねられ、愛結は両親と喧嘩して家を飛び出してきたことを話した。その詳しい経緯は隠したままで。

「お願いみやちゃん。家には連絡しないで」

「うーん、そういうわけにも……」

 懇願する愛結に京は困った顔をしながらも、絶対に家には戻りたくないという愛結の気持ちを汲んで、

「捜索願いとか出されたら大変だし、やっぱり叔母さんたちに連絡はするよ。それで、しばらくあたしの家に泊まれるように説得してみるから。それでいい?」

「うん……。ありがとう、みやちゃん」

 愛結が頷き、京はさっそく愛結の実家に電話をかけた。通話はすぐに終わり、

「叔母さん、OKだって」

 あまりにもあっさり了承されたことに戸惑いの色を浮かべながら、京は愛結にそう伝えた。

「……心配してなかったでしょ、うちの親。きっといなくなってせいせいしてるんだよ」

 吐き捨てる愛結に、「そんなこと……」と京は気遣わしげな顔を浮かべ、嘆息する。

「確かに、しばらく距離を置いた方がいいのかもね……」

「ねえみやちゃん。住むところが見つかるまで、みやちゃんちに泊まってもいい?」

「泊まるのは勿論いいけど……住むところって、ずっと家に帰らないつもり?」

 京の問いに、愛結は強い意志を込めて頷いた。

「学校はどうするの?」

「やめる。……どうせもう居られないし。こっちで仕事みつけて独立する」

「仕事って……。未成年じゃ保護者の同意がないと雇ってくれないわよ?」

「同意書なんて偽装すればいいし。それに東京では、じぇーけーびじねす? ってゆうのが流行ってるんでしょ? 女子高生がいっぱいお金稼げるって聞いたよ」

「あっちゃん」

 突如京が低い声を出し、眉を吊り上げて険しい表情を浮かべた。

「そんないかがわしいバイト始めたら、あたしが許さないからね」

 初めて見る彼女の怒った顔とその迫力に、愛結はたじろぎながらも、

「で、でも、お金稼がないと生活できないし……みやちゃんにいつまでも迷惑掛けたくないし……」

「あたしへの迷惑なんて気にしなくていいから……」

 そこで京は嘆息し、

「でもまあ、気にするなって言っても無理か……。本当に、家に帰るつもりはないの?」

「絶対、帰らない」

 真っ直ぐに見つめて愛結が答えると、京は小さく唸り、

「うーん……何か短期の安全なバイトでも紹介してあげられたらいいんだけど……うちは今バイト募集してないし……情報誌の人たちなら何か…………あ」

 ブツブツ呟きながら考え込んでいた京が、不意に目を大きく開いた。

 それからどこか不安そうな、あまり気乗りしない様子で、

「……一応、三食昼寝付きで住み込みの仕事があるんだけど、やってみる?」

「~~~~!」

 京の問いに、愛結は目を輝かせて勢いよく何度も頷いた。

「わかった。今夜ちょうどそこに行くつもりだったから、今から電話するわね」

 そう言って電話をかけ始める京。

「お疲れ様です、ブランチヒルの白川です。約束どおり今からそっち行くから。もちろん原稿はできてるわよね? …………ううん、気にしないで。書き上がるまで部屋で待つから。ずっと。いつまでも。いつまでも。……あー、ちょっと待ってまだ切らないで。……前にあんた、身の回りの世話をしてくれる美少女が欲しいって言ってたわよね。ちゃんと生活を管理してくれる子がいたら〆切守るのにーって。……見つかったから今から連れて行くわ。……だから、見つかったの。あんたのところで働いてくれる美少女が。だから大人しく待ってなさいよ。逃げたらエビフライにしてやるから」

 最後にドスの効いた声で告げたあと、京は通話を切った。

「えっと、今のって……」

「あっちゃん、海老かいろうヒカリっていう小説家知ってる?」

 唐突な質問に愛結は戸惑いながら、

「え? えーっと……知らない」

「そっかー。けっこう女子高生にも人気ある作家なんだけど」

「あたし、小説あんまり読まないから……」

 そこで愛結ははたと気づく。

「あの、もしかして仕事先って……」

「そ。あたしが担当してる作家なんだけど、これがほんっとにロクデナシでね……。生活リズムめちゃくちゃだしスケジュール守らないし〆切前に原稿ほっぽり出して旅に出ちゃうしで手を焼いてたの。あたしがずっと見張ってるわけにもいかないし。あっちゃんには今日から、海老ヒカリ先生の家で世話係兼監視役をしてもらいます」

「か、監視役!?」

「そ。逃げようとしたら鎖骨折ってもいいから」

「ええー……」

 愛結は戸惑う。

 いきなり知らない作家の家で住み込みで働くなんて、はっきり言って怖い。家事は一通りこなせるので身の回りの世話くらいは出来ると思うけど、監視役とか意味がわからない。でも、住むところと仕事がセットで見つかるなんて都合のいい話がそうそう転がってないことは理解できる。

 ……とりあえず、その作家に会うだけ会ってみよう。

 拳を握りしめ、愛結は決心した。

「あの、ところでその作家さんって男の人……?」

 京が働いているのはたしか男性向けの小説の編集部で、作者も男が多いと聞く。真正面からのケンカなら並の男には負けない自信はあるが、一緒の家に住むとなるとさすがに身の危険を感じる。

 愛結の不安を払拭するように京は笑って、

「もちろん女性だから安心して。歳はたしかちーちゃんと同じだから……二十二か三かな?」

「そう、なんだ」

 安堵すると同時に、愛結の心には別の不安がよぎるのだった――。

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