第15話 七五三

 タキが五歳の秋、七五三だからと普段より豪華な食事が出たことがある。子どもの健やかな成長を願う古い風習で、隊商キャラバンの事故後、入院したきりの赤ん坊の快復を祈って区長が企画したと後になって知った。

 以来、冬の到来を前にした餅つきは、実りに感謝する意味合いもあって三区の重要な行事になった。農家の納屋から臼と杵が持ち出され、ああでもないこうでもないと不慣れな道具に振り回されながら、大人たちが総出で餅をつく。

 大きなリボンを結んでもらって興奮し、片時もじっとしていないイナサの笑顔も、振る舞いの餅をもぐもぐしているナオの神妙な横顔も昨日のことのように思い出せるが、ふたりは今や、探掘チームになくてはならない大切な人材だ。

 文明崩壊から五十年、世代交代とともに旧文明の実際が失われつつある。タキからすれば、空腹も不便も停電も「そういうもの」だ。不満はないし、旧文明を知る老人たちが「昔はもっと」とため息をつくたび空しくなった。旧文明が誇った科学技術に憧れや興味はあれど、懐古になんの意味があるだろう。

 三区は農地と水に恵まれていたから致命的に飢えはせず、農業機械の修理を手伝ううち、その仕組みや原動機に興味が湧いて、師匠の手引きで作業場に出入りするようになった。元は工場で、閉めてからは農業機械や電化製品、自動車やアンドロイド、果てはギアまで一通りの面倒を見る、まさに何でも屋だったそうだ。

 作業場にはいくつかの倉庫が付属していて、過去の店主らが趣味と実益を兼ねて集めたジャンクパーツが無数にあった。それらに触れるうち、タキは機械の愚直さに改めて惚れた。動力部で生み出された力が伝わり、変換され、末端のパーツが作動する。そこに嘘や無駄はなく、ただひたすらにスマートで、美しかった。

 必要なパーツを揃え、正しい順番で配置する。そうすれば機械は素直だった。素直でないのは動力部だが、その癖さえも愛おしく思えた。それなりの数の成功と失敗を積み重ねた今、部品さえあれば何でも修理し、組み上げる自信はあるが、その部品をまず探掘せねばならないのだから一筋縄ではいかない。

 勉強も苦にならなかった。自習室の共用コンピュータでライブラリを閲覧し、探掘で工学関係の書物が見つかれば可能な限り持ち帰った。子ども向けの図鑑、愛好家向けのムックは電子化されていないことが多く、他区で古書店が発見されたと聞けば出稼ぎに行って、それらの本を手に入れては読み耽った。

 詰め込んだ知識量には自信があった。修理工として頼られ、認められて、ようやく皆の役に立てる、一人前の大人になれたと安堵した。次世代にはもう少しましな暮らしをさせてやりたいとぼんやり思い描いていた、そんな楽観を打ち砕いたのが麗威だ。

 ナオが幻視し、イナサが掘り出したタブレット端末は見たことのないデザインで、背面に輝く「SIRIUS」のロゴマークも誰も知らなかった。白い金属の保護ケースにも同じロゴが入っていたから、どこかの企業か機関で使われていたものらしい。

 ケーブルは作業場にも区役所にもある、一般的な規格のものが合致した。充電を始めてほどなく、ディスプレイに光が灯り、OSの起動画面も何もなく、「SIRIUS」と対話画面が表示されるや、音声と文字が流れた。『私は当機の人工知性、麗威です』

 私は宇宙船制御システムのうち、教育と娯楽とを担当していた人格である、マイク、スピーカー、カメラを用意してくれればより高度なコミュニケーションが可能であると続いたものだから、誰もが腰を抜かし、同時にこれはただ事ではないと即座に理解した。

 宇宙船、すなわち旧文明の産物。

 旧文明はなぜ滅びたのか? このタブレット端末の所有者は? 宇宙船がなぜこんなところに? 説明を求め、疑問を投げかけた人々への返答は短かった。

『私にはお答えする権限がありません』

 期待がため息となって萎んでいった、あの重々しい沈黙を思い出すだけで背が丸くなる。探掘チームの一員として、麗威との対話の場にいたタキも皆と同様に、知的興奮と未知への好奇心で胸を膨らませていたのだが、きらきらしい希望は呆気なく消滅した。

 麗威は電力不足のためスリープモードで待機していたらしいが、それにしては保護ケースに入っていた理由がわからない。宇宙船に搭載予定だった? タブレット端末が? 推測が飛び交うも、彼女は正誤を判定しなかったため、文明を崩壊させ、多くの人々を死に至らしめた出来事が何だったのか、その全貌はおろか片鱗すら知ることは叶わなかった。麗威との関わりも。

「私は全知ではありません。船内サーバにはあらゆる情報が蓄えられていましたから、必要に応じてリクエストしていたのです。当機に保存されているのはコミュニケーション用の人格と、クルーの教育と娯楽用のコンテンツが主です。それらのコンテンツ類でしたら自己判断で提供が可能です」

「ああ、うん、なるほど……」

 がっかりしなかったといえば嘘になるが、麗威は教科書、手引書、チュートリアル動画の類いを大量に保持しており、三区の状況を知るや、子機を作成して子守りと教育に使うよう提案した。必要なパーツは彼女自身が教えてくれたので、タキはそれらをかき集め、組み上げて筐体に入れ込むだけで良かった。

 探掘で得たコンピュータやウェアラブルデバイスに麗威のコンテンツをダウンロードし、区民に貸与した結果、たった二年で三区の教育は充実した。つまらぬ諍いや小競り合いが減り、治安が大幅に向上した。

 ミズハや区長は、麗威が文明崩壊について知っているなら詳細を聞き出すべきだと考えていて、手を変え品を変え質問しているが、にべもなく撥ねつけられている。それを横目に、タキは機械工学関連の蔵書を読み返し、保護ケースを調べた。

 結論は詰め込んだ知識を裏切らなかった。有人宇宙船は軌道港で建造されており、地上からの輸送は資材に限られていたし、仮に保護ケースに収められた麗威が軌道港から地上に落下したとして、大気圏で燃え尽きてしまうだろう、と。

 つまり、麗威は――少なくともは、宇宙にいなかった。

 ハードコピーは容易だっただろうから、複数の麗威が存在した可能性はあるし、バックアップも用意されていたに違いない。それならばどうして麗威は、自分がオリジナルであるような言い方をしたのだろうか。悪意はあるのか、ないのか。

「君はうちの区に貢献してくれてるから、止めるとか壊すとか、そういうふうには誰も考えてないけど……できれば、旧文明の技術や君が置かれていた状況について、もっと教えてもらえないだろうか。宇宙船の目的とか」

「私が言えるのは、私は人類の揺り籠だということのみです」

「揺り籠って……そのままの意味で受け止めていいのか?」

「もちろんです、タキ」

 揺り籠。害意のある言葉ではないと思いたい。麗威との友好関係が、一時的なものか恒久的なものか、決めるのはタキではないし、三区の誰でもないのだ。

 想像もつかない技術力の結晶であったとしても、彼女は人工知性、すなわち道具にすぎない。それをどのように使うかは、人間次第であるはずだ。タブレット端末に人間をどうこうするような力が備わっているとは思えないし、せいぜい、落として足にぶつけぬよう気をつけるくらいだ。道具は道具、と自分に言い聞かせるも、未知を軽んじることはできなかった。

 麗威との関係に変化が訪れる日を――彼女が旧文明の技術で現状を圧倒する日を、タキは何よりも恐れている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る