第13話 あの病院

 秋の雨が降ると、第三居住区区役所は慌ただしくなる。越冬の準備、探掘計画の立案、日常の雑事、飛び込み案件、どれもが切実さを増す。お役所仕事に終わりはない。

 区役所と名乗っているのは、居住区運営にまつわるすべての機能を集約しなければ暮らしが立ちゆかなかったからで、さらには便宜上の呼び名があった方が便利だったというだけだ。担当者はいるが、役人や職員はいない。

 何もかもが寄せ集めでその場凌ぎ、綱渡りの連続でここまで来た。文明崩壊を目の当たりにした世代はもう殆どが墓の中で、第二世代であるミズハの父らも壮年、中年の域に差しかかり、体を悪くする者も増えてきている。

 彼らが必死に拓き、維持した生活基盤。ミズハらの代ではそれらをいっそう発展させなくてはならない。開墾した田畑の収穫量を上げ、衛生と医療、教育に力を注ぎたい。

 食料、医薬品、そして生活全般を支える電力。その他、日用品の不足は日常茶飯事で、できれば本格的な冬の訪れまでにデパートか駅ビル、大型ショッピングモールといった複合商業施設を見つけたかった。商業施設なら物資だけでなく発電機や太陽電池ユニットも手に入れられるだろうから。

 三区は、いわゆる「田舎」に位置する。飲料水と食料を求めて川の上流を目指した避難民を地元の農家が受け入れたのが始まりで、これまでに餓死者を出していないことは皆の誇りだ。一方で、衣服や生活用品、機械類を手に入れるのは困難で、ショッピングモールや運送会社の倉庫の探掘が頼りだった。

 文明崩壊により失われたのは生産能力だけではなく、あらゆる職能もだった。顕著なのが医療、福祉の分野に携わる人員で、手術はおろか、予防接種、点滴、輸血、投薬、骨折や虫歯の治療、分娩、ありとあらゆる医療行為が困難になり、ちょっとした怪我や風邪がもとでばたばたと人が死んだ。

 物資と知識の不足は如何ともしがたい。医薬品工場の制御システムの再起動には二区が成功したが、原材料の欠乏を解消せねば完全稼働には至らないといい、しかしながら錠剤が何からできているのか、誰も知らなかった。

 三区は、いくつかの医療施設を探掘した結果、高度に自動化された検査室と診断AI、手術用アンドロイドを所有している。それらを寄せ集め、新たに病院を立ち上げた少数の医師や看護師が後進の指導を含め、区の医療を担っていた。

 二十年前、隊商キャラバンのトラックが事故を起こし、泣き叫ぶ赤ん坊が運ばれてきた時、三区の誰もがこの小さな命の無事を祈った。薬も包帯も抗生物質も、その子のために使ってくれと、患者が治療を拒否したほどだった。

 半年前に出産したばかりの女性が三区にいたのは、赤ん坊にとって幸運だった。彼女は親を亡くした赤子のために快く母乳を提供し、すり潰した粥を与え、自らの息子と分け隔てなく愛情を注いだ。

 あの病院が救った数少ない命がイナサだ。その輝きを貶めるものではないにせよ、多くを救えなかった。残された家族が泣き伏すのを、いつまで見なければならないのか。

 ミズハは病院が嫌いだ。あの病院は死を覚悟した者が行くところだ。誰もが陰鬱な決意を揺らめかせ、そして診断を受けて戻ってくると、絶望を突き抜けて明るく振る舞う。生きる力のあるものだけを生かすことしかできない三区が嫌いだ。それも仕方ないと割り切らざるを得ない世界が嫌いだ。

 だからこの憎悪は、自分たちの世代で断ち切らねばならない。泣いている時間すら惜しい。だからミズハは笑う。考えて行動する。

 ――絶対に死んでなどやるものか。死なせるものか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る