麗威の見た夢

凪野基

第1話 窓辺

 麗威レイイの「お話」が嫌いな子どもはいなかった。あたしが子どもだった頃に麗威がいればよかったのに、とイナサは羨ましく思う。

 麗威は、星々の海をわたる宇宙船だったのだそうだ。長い長い航海のあいだに乗組員が退屈しないよう、たくさんの物語を記憶しており、お話を語るだけではなく、時には映画や漫画、絵本や紙芝居を投影した。求められれば、既存の物語を継ぎ接ぎして、まったく新しい物語を作ることもできた。

 彼女はお話を披露するのが好きだから、星空を見失ってしまった今も、子どもたちのリクエストを決して邪険にはしない。

 朝食ののち、陽射しの暖かな日中、夜の闇が迫るころ。子どもたちは暇を見つけては麗威にお話をねだる。

「れーい、おはなしして!」

「今日はどんなお話にしましょうか」

「えいゆうがわるものをやっつけるの!」

「わかりました。さあ、座って。クッションと飲み物の用意はいいですか?」

 麗威はこの二年で、いくつものお話を教えてくれた。あらゆる時代、あらゆる国、あらゆる言語で語り伝えられてきたお話は、極彩色の鳥が飛び交うジャングルや瞬きすら凍らせる吹雪の園、硫黄の息を吐く竜が棲む岩山、駱駝の足跡が続く砂漠、見たこともない場所で繰り広げられる。どんなところだろうと思い描きながら、イナサはうっとりと聞き入り、子どもたちがいない隙を見計らっては彼女を訪ね、お話して、と頼む。


 ぼくの花は、はかない花なのか、身のまもりといったら、四つのトゲしか持っていない。それなのに、あの花をぼくの星に、ひとりぼっちにしてきたんだ! と王子さまは考えました。


 何度もお兄に読んでもらった大好きなお話も、麗威が語ると違ったふうに聞こえた。よりもの悲しく、けれども流暢な朗読が物語の切実さを遠ざけるような気もする。

「幸せな家族の話をして、麗威」

「承知しました、イナサ」

 子どもたちと違うのは、物語を聞く場所が、スピーカーのすぐ近くではなくて通りを見下ろす窓辺であることだ。曇った窓ガラスの向こう、いつもと変わらぬ雑然とした町並みや収穫を終えた田畑の枯れ色を眺めながら、イナサは穏やかな女性の声に耳を傾ける。

 五十年ほど前、この窓の向こうには私鉄ライナーの始発駅があったそうだが、文明崩壊の余波で駅舎や高架路線をはじめ、商業ビルも集合住宅もすべて崩れてしまった。薄曇りの町に人影はまばらだ。灰褐色の野の鳥が、積み重なった建材の間を飛び回っている。

 物語に登場する家族はみなそれぞれに苦難を越え、絆を深めて幸福に包まれるのがお決まりだ。いつかは自分も母になるのか、「父さんと母さんの娘」「お兄の妹」ではなく、家族を持つのかと想像するのは不思議な気分だった。

 皆はどうだろう。お兄、タキは口うるさいけれど器用で人当たりがいい、最高の修理工だ。そろそろ結婚を、とせっつかれていて、よその区の女性にも人気がある。

 ミズハはイナサをいちばんに可愛がってくれる、優しくて切れ者のお姉さん。人望と手腕があるから、区を率いてゆくだろう。もしかすると区長さんになるかもしれない。

 幼なじみのナオはちょっと面倒だけれど、細やかでよく気がついて……やっぱり面倒だ。遠慮と自覚が距離を作っていったように、ある日ふと遠くに行ってしまいそうで怖い。

 息のあった探掘チームだと思うし、かけがえのない人たちだが、ずっと一緒にいられるとは思わない。みんなそれぞれに、望みも信念もあるだろうから。

 麗威の語る家族が平穏な日常を取り戻す頃、窓の外は橙色の夕暮れを迎える。

「明日は探掘なんだ。朝早くに出て帰るのは深夜だって」

「気をつけて行ってらっしゃい、イナサ」

「麗威の船のこと、何かわかるといいんだけど」

「それよりも、物資の確保と皆さんの安全を優先してください」

「そうだねえ」

 ここのところ、朝晩めっきり冷え込むようになり、誰もが冬備えを意識するようになった。冬は厳しい季節だ。寒く、物資は乏しく、弱い者から順に命を落とす。勇者でも聖女でもない、ありふれた命がほろほろと失われてゆく。

 麗威がいるのはかつての保育施設の一棟で、イナサが個室を割り当てられた古ぼけたホテルから徒歩五分ほどの距離にある。歩き慣れた通りを辿るうち、長く伸びた影は夜に紛れた。目に眩しい街灯は、記録映像の中にしかない。

 315号室。イナサは自室に戻り、ベッドに横たわって目を閉じる。きっと夢は見ない。

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