35 善次の秘密

 善次は、憂鬱そうな顔をして現れた。なんというか、プロレスラーのような体型なのにひどく臆病そうで、貧相な面持ちなのであった。

「これはとんだことで……」

 粉河は思った。考えてもみれば、月菜に殺人予告を言わせることができるのは、兄である信也か、叔父である善次ぐらいであろう。

 そうでなかったら、それこそ、本当に何か弱みを握られていて、脅されてやったというぐらいでなければ、月菜は殺人予告なんて絶対に口にはしなかっただろう。

 そう思うと、途端に疑いが沸き起こる。

「口寄せの後は、どこで何をしていましたか」

「それは……十二時半ぐらいになってから、私は彼岸寺を出て自宅に帰ることにしました。何しろ、こんなところにいて話していても、一向に埒があきませんでしたので。だって、皆さん、幽霊話ばかりしているのですから……。そんなこと、どうでもいいのですよ。それで私は家に帰ったのですが、一人で考えていてもやはり気持ちが収まりません。私は非常に困ったことになったと思いまして、知り合いの家に相談に行ったんです。松岡透さん。ほら、五色村の店主のお兄さんですけど、彼に会いましてね。しばらく話し込んでいました」

 するとアリバイはある、ということになるのだろうか。


「正確な時間を覚えていますか?」

「家に着いた時、ちょうど一時三十五分というところでしょうか。居間の時計が目につきましたもので、それで、二時を過ぎた頃、私はお暇しました。しばらくしてから、家に帰りました」

 すると、一時三十五分から二時過ぎまで、アリバイがあるということになる。殺害時刻が一時四十分から二時だというから、ぴったり犯行が不可能であることを証明していることになる。

「ご自宅には、絢子さんがいましたか」

「ええ。それが二時半ぐらいになりますかね」

 二時半。二時過ぎに家を出てから自宅まで三十分近くかかったのだろうか。そんなに離れていたのだろうか。粉河は少し怪しげに感じた。

「少し、時間がかかったのですね」

「ちょっと、これからのことを考えながら歩いていましたから、余計なまわり道を……」

 余計なまわり道か……。粉河は、真実らしくも、胡散臭くも感じられて、いまいちすっきりとしなかった。

 しかし、アリバイがあるのだとしたら、細かいことを疑っても仕方がない。


「わかりました。ところで、月菜さんの口寄せを企画したのは、そもそも善次さんの発案だったのですよね?」

「ええ、それはまあ……」

 粉河は鋭い視線を光らせる。

「すると、あなたは信心深い方なのですね」

「そうなりますね、確かに」

「それなのに、幽霊話には参加しなかったのはどうしてですか」

 幽霊話というのは、先ほどの善次自身の発言からである。確かに、善次の言う通り、口寄せの直後、胡麻博士や法悦和尚らによって、菊江の怨念をいかに対処するかといった話題で盛り上がっていたのは事実である。

 しかし、善次がそれに呆れて、一人で自宅に帰ったというのはどうもおかしい。何故なら、この口寄せを企画したのは善次のはずだからだ。本来ならば、彼は信心深いのだから、この幽霊話に積極的に参加していないとおかしいではないか。

「どうなのです。なぜ、あなたは胡麻博士や法悦和尚の話題をどうでもいいと思ったのですか?」

「それは……あまりにも馬鹿馬鹿しくて……幽霊が何をできると言うのか、と」


「すると、あなたは幽霊を信じていないのですね」

 善次はあきらかに戸惑いながら、

「ええ……」

 と言った。

「それならば、どうして、このような口寄せを企画したのですか? 幽霊を信じていないあなたは一体何を求めていたのでしょう」

「刑事さん……鋭いですね。いえ、まったく仰る通りです。私は幽霊を信じていない。口寄せというのは、あれは何か恍惚状態になるのだとは思っていますが、かなりの部分、ペテンだと思っていますよ」

 善次はそう言ってから、少し黙ると、意を決したように再び口を開いた。

「私も月菜にペテンをしてもらいたかったのです。それがまったく当てが外れてしまって、それどころか、期待の真逆の結果を招いてしまった……。ねえ、刑事さん。私は八年前の事件の後、この五色村に渦巻き続けているある疑惑をすっかり消し去りたかったのですよ」

「疑惑、ですか……」


 善次は深く頷いた。

「ええ、疑惑です。菊江が殺された時に、殺人鬼がこの五色村の村人の中にいるのだという恐ろしい噂が流れたのです。そして、村民は疑心暗鬼に陥った……。八年が経った今でも、そうした疑いは消えておらず、五色村の村人は心のどこかに壁をつくって生活しているのです。もしかしたら、あの人が犯人だったのではないか、そんな噂が後を絶ちません。だから、私はただ、月菜にこう言って欲しかったのです。「犯人は五色村の村人ではない。犯人は通りすがりの強盗犯だった」と……」

「ところが、そうはならなかったのですね」

 善次はがっくりと項垂れた。

「ええ、私は口寄せの直前に、月菜に「口寄せ中に、犯人は五色村の村人ではなかった、と言ってほしい」と頼み込んだのですが、月菜は「口寄せ中は自分をコントロールすることはできない。ましてや、演じることなんて絶対にできない」の一点張りでした。そして、あろうことか、月菜は「犯人は女性だった」とか、挙げ句の果ては殺人予告まで……」

「こんなはずじゃなかった、ということですね……」

 ……粉河は皮肉っぽくそう言うと、鋭い視線を光らせた。

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