16 温泉
……どっぷりと日が暮れてしまった。
祐介が窓を開けてみると、灯りらしいものは、かすかな街灯と窓から漏れる部屋の灯りだけなのであった。
この時間まで、祐介は過去の事件の情報を整理していたが、口寄せの問題になると、まったくどのように考えてよいものか分からなくなるのであった。
祐介は頭を抱えながら、部屋を出て、階段を降りていった。
一階の広間に降りると、ジャズの親父がスピーカーの前のソファーに座って、ゆったりとくつろいでいた。
「ああ、羽黒さん。お風呂ですか。ここらへんは温泉が出るのでね。温泉にこだわらなければ、うちでもお風呂には入れますが、湯船が小さいので、外で浴びてくるのをおすすめしますよ。この参道を歩いていくと、銭湯がありましてね。そこは温泉になっていますから行ってみるとよいですよ。特に露天ですからね」
そう言われてしまうと、温泉に入らないのは損という気がする。
「確かに硫黄の香りがしますからね」
「良い香りでしょう」
そんな良い香りではないと思うが、それも温泉らしい風情と感じた。
「彼岸寺の方へ行くと、すぐに分かります。タオルは向こうにもありますから」
「ありがとうございます。早速、行ってみますね」
祐介は、先ほどから足に絡みついてくるプードルを、ジャズの店主に返すと、靴を履いて外に出た。
蒸しているかと思ったら、外は冷えていた。風もあったので意外と寒く感じた。そうして祐介はかすかな街灯の灯る、静かな参道を一人で歩いていった。
しばらく歩いて、見上げれば、なるほど木造の鄙びた建物に温泉の文字。
中へ入ると、温泉の腐った卵のような匂いがプウンと漂っていて、空気は湿っていて暖かった。チカチカした蛍光灯の明かりに照らされて、扇風機がカラカラと一人でにまわっていた。
白髪のお婆さんがカウンターに座っていて、珍しそうに祐介を見つめていた。
安い料金を払って、タオルも貸してもらい、男湯に入った。わりと地元の人が利用しているようであった。やはり、観光客が少ないせいか、珍しそうに祐介は見られていた。
祐介は、服を脱ぐ時まで、注目されているのはさすがに恥ずかしかった。なんとなく、嫌だなぁ、と思っていると、隣の男性が一言。
「羽黒さんじゃないですか」
ふと見ると、
「あなたも温泉ですか」
ここまできているのだから当然だろう。二人は脱衣場で適当に話をすると、浴場に入った。
浴場はサウナのような湿気で、そのくせ、空気はやけに冷えていた。冷たい風が外から入ってきていた。ガラス戸の外は露天風呂だ。
しばらくして、二人は並んで露天風呂に浸かっていた。
眼前は、崖になっていて、眼下はもう暗闇で何も見えない。斜めに見上げれば一面の星空であった。
柔らかくなめらかな肌触りの湯に浸かって、芯から暖まる。体に染み込んでくるようである。ぽかぽかしてきて、心地が良い。
「ああ、いい湯だ。魂から癒されますなぁ」
胡麻博士が魂とかいうと、思わずぞっとする。祐介は、
「ええ、体の芯から癒されますね」
とわざわざ言い直した。
「魂ですよ。間違いなく、体なんてものはただの器なんです。器……」
まずい。変な講義が始まってしまう。
「何に効くんでしょうね。あっ、壁に書いてある。腰痛、リウマチ……」
「そして、魂の浄化でしょうな。古くから、不思議な力をもつ霊泉が湧くところは、霊場になりやすいんです……」
温泉を霊泉とか言うなよ、と祐介は冷や汗をかいた。
それから、胡麻博士は陽気に歌を歌い始めた。野太いハリのある声で、意外と上手かった。その歌を聴いていると、祐介はいよいよ変な気分になっていった。
しばらくして、胡麻博士は急に黙ると、祐介の方を向いて、
「今夜は講義をいたしますからね」
といらない念を押した。
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