世界はいかにして回っているか

loki

プロローグ

 窓の外には相変わらずの荒野が広がっている。

 荒野という言葉の正確な定義を調べたことはないが、まず間違いなくこれこそ荒野の極地ともいうべき光景であろうことは私にも容易に察することができる。

 赤茶けて凹凸のある大地には草木一本すら認めることができず、空はどんよりと曇って、光がどこから降ってきているのかを把握することができない。

 どれだけ目を凝らして遠くを見つめても、それ以外のものが視界に映ることはない。夜空をじっと見つめるときのあの無限と相対する感覚をそのまま地上に持ち込んだみたいに、その光景は奥の奥の奥までずっと同じように続いている。


 ――比喩ではないかもしれない。実際この光景は無限に続いているかもしれないのだ。


 改めてそう考えると、胸のあたりがぞくりとするのを感じた。

 それを考えることは精神衛生上間違いなく良くないものと思われる。でもいまはあらゆる可能性を探らなければならないときなのだ。あの地平線の向こうから目を逸らすわけにはいかない。


真都衣まとい」と背後で冠奈かんなが私を呼んだ。「春沙はるささん達が戻ってきたわ。あなたも席に着いて」


 私は返事をせずに窓から離れ、静かに自分の椅子に腰掛ける。食事が終わったばかりの長テーブルはすっかり片付けられている。音もなく食器を下げるにもそれなりの技術というものが要るはずだ。こんなときでもそれを徹底するあたり、うちの使用人達はやはり頼もしい存在である。もともと敬意は持っていたけれども。


 春沙さん、ほこら雨傘あまがさを順番に見回してから、「ご苦労様」と冠奈は短く言った。三人はわずかにお辞儀をしてから、今回与えられた席に着く。

 料理人と使用人が我が家の人間と同じテーブルで食事をするのは、少なくとも私には初めての経験だ。状況さえまともであればもっと楽しい一時だったろうと思うが、残念ながらそういう風にはならなかった。


「いつもの通り、とても美味しかったのだけど」と冠奈は言い、春沙さんを見た。「あと何日くらいこういう食事ができるのかしら?」

「あの、えっと」と春沙さんは大きな胸の前で両手を合わせる。「いつもと同じように作れば、たぶん、あと五日? 多少切りつめていけば一週間以上はたぶん。非常食はたくさんありますから、そっちは、えっと――そうですね一ヶ月は余裕で何とか」

「そう。ありがとう。……お父様の備蓄癖は正しかったということかしらね」冠奈は冗談めかした微笑を口元に浮かべた。「でも、一ヶ月――それが果たして余裕かどうかは、現状まったく判断がつかないわね」

「それは、まぁ、はい。その、すみません」

「責めてるわけじゃないんだから、謝らないの」

 春沙さんは少し気恥ずかしそうにして、小さく頭を下げた。


「お嬢様」と糸氏いとうじさんがふいに口を開いた。「お嬢様に何かお考えがあるのであれば、私達はそれに従います。旦那様も奥様もいないいま、お嬢様がこの屋敷の主ですから。――皆さんもそれに異論はありませんね?」

 糸氏さんは全員の顔を確かめるように見回す。料理人の春沙さんに異論があるはずもない。祠も雨傘も沈黙をもって同意の意思を示す。紅一点ならぬ白一点、銀見ぎんみさんは忠実すぎるくらい忠実な老執事だ。序列というものを重んじる気持ちは誰よりも強いし、それを突き崩すようなことを言い出すことは天地逆となってもあり得ない。


 残るは私と羽子うずだが――私にはこの屋敷のイニシアティブを執る気などさらさら無いし、そんな話題で一悶着を起こそうなどというモチベーションもまったく無い。

「何も異論はありません」と私は読み上げるように言った。「大変かもしれないけど、姉さんに一任する――うずまきも、それでいいよね?」


 全員の視線が、冠奈の隣で退屈そうに頬杖をついている羽子に注がれる。

 お世辞にも場に対して友好的な態度であるとは言えないが、その平静さは皆を安堵させていたと思う。

 ことこの状況においては、最も幼く、かつ複雑な問題を抱えた羽子が酷く取り乱す可能性もじゅうぶんに考えられ、それがいちばん危惧されていることだったのだ。


「……どうでもいい」と抑揚のない声で羽子は言った。いかに自分がそのことに興味が無いかを、限界まで煮詰めたような言い方だった。


 冠奈はそんな羽子を見て、ふう、と一息ついてみせてから、わかりました――と凛とした声で言った。大役を引き受けることを重荷に思っているのかまんざらでもなく思っているのか、どちらともとれるような響きがそこにはあった。

「特に私に何がわかるわけでも、できるわけでもないけど――帰れるそのときまで、屋敷のことについては私が責任を持ちます」

「我々も全力でお手伝いします」糸氏さんが言った。あくまで静けさを保ちながらも、何か気合いのようなものが感じられる。二人の絆は深い。

「それではまず――」と冠奈は言い、そこで皆を引きつけるように言葉を止めた。「会議、といえばいいのかしら……まずはそこから始めたいと思います。この状況について、皆の意見を聞けるだけ聞きたいわ」


 冠奈は皆の目を一人ずつ――羽子だけはよそ見をしていて目を合わせる形にならなかったが――見つめていき、スイッチを切り替えるように、こほん、と一つ咳払いをした。

「考えられるだけ考えてちょうだい――この世界は一体何なのか」

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