第6話 森
森の管理小屋のエルは、顔を上げると尻尾をブンブン振って出迎えてくれた。こうしてみると本当にエルは犬なのだ。
しごく当たり前のことだが、私が彼に初めて会った時は人間の子供の姿だったので、いまひとつ目の前の銀色の犬があの時の少年だったという実感がわかない。
「エル、だいぶ元気になったよ」
そう言ったのはダンさんだった。彼は30代後半の男の人で中肉中背。いつもニコニコしていて、黒縁のメガネをかけている。そして何より、ものすごくキノコに詳しい。
彼が教えてくれた「よくある美味しいキノコとそれにものすごく似ている毒キノコを見分けるクイズ」は本当に難しく、私はほとんど正解できなかった。絶対に自分で野生のキノコを採取するのはやめよう!と固く心に誓った。
ダンさんも、エルの傷の経過を見るためにこの管理小屋に通うようになってから知り合った管理者の一人だ。
「動物の回復は早い。エルはまだ若いから、傷もあっという間にふさがるだろうな。とはいえ、エルとっては本当に災難だったな」
「本当に、それで違法な罠を仕掛けた犯人については何か分かりましたか?」
「はっきりとはまだ。ただ、森の見回りの際、不審な足跡がいくつか残っていた。苔の平地が踏み荒らされていたんだ。俺たち森の管理者は、森を荒らさないためにも決められた通路以外は基本的に歩かないし、この森の苔は貴重だ。森に関する知識がある管理者であれば、絶対に踏み荒すことはない」
それは、管理者以外の人間が森に入り込んでいることを示している。
私は思わず眉間にしわを寄せた。
この森は、神がかりの動物たちの住処であると同時に貴重な植物の宝庫なのだ。
怪我の治療に欠かせない、特殊な糸を吐き出す虫もこの森に住んでいる。その糸で縫うと、傷ついた神経の回復が早く麻痺が残らないのだ。
薬屋の仕事を通して、私はその森の植物や虫たちの作り出す貴重な薬材について知った。
そういう貴重な植物や虫たちを、取り尽くしてこの世界からなくしてしまわないように、と守るためのシステム。そして管理者の人たち。その仕事について、ここに通うようになってからさらに深く知るようになった。
そして1週間という本当に短い期間でしかないが、私はこの森をとても好きになっていた。ダンさんのような専門家に森の生き物について色々な話を聞けたのも大きかった。彼は菌類の専門家で、国から派遣されて森のキノコの研究をしている。
そうやって、大切に守られている森なのだ。だから無性に腹が立った。
大切に思っていた場所、少しずつ理解を深め、好きになっていた森。色々な生き物がひっそりと暮らし、まだ私の知らない生き物、未知の生物、世の中に知られてすらいない菌やキノコ。
初めは思いがけず、キツネに導かれてなんの心構えもなく森の奥まで入り込んでしまった。森についての情報は少なく、私を含めて町の人たちはこの森に畏怖の念を抱いていた。
今では少しだけ理解できる気がする。畏怖の念を抱く人が多いほど、森は守られる。
その畏怖自体、ここを守る人たち、その人たちを組織するものすごく上の方の人たちに意図的に作られたものであることもわかる気がする。
怖い、と感じたのはただ単に知らないからだ。少しでも知ってしまえば、この森は豊かで様々な生き物が溢れ、私の知らないところでなにかが生まれ、そして静かに死んで行く場所なのだ。
森、という閉じた輪の中で生命が循環し、そこには本当は人の役にたつとか、立たないとか関係なくただ淡々と生き物が生きている。
そういう森のあり方も含めて、私は森を好きになっていた。
一旦中に入ってしまえば、そこはとても静かで居心地の良い場所なのだ。
森は森だが単なる場所ではない。私の好きな場所。そういう気持ちにまで土足で踏み込まれた上に、荒らされた気分だった。
「リサさん」
後ろから不意に声をかけられた。振り向くとカインが立っていた。
「こんにちは。エルの様子を見にきました。傷もかなり塞がりましたね」
私はエルの丸い頭を撫でた。エルは喜んで尻尾をバタン、バタン!と床に打ち付ける。
「リサさんのおかげです。ありがとうございます」
「元気になって本当に良かった」
「森の侵入者について、リサさんについても話していたところだったんだ。カイン、何か新しい情報は見つかったか?」
「これといって特に、ただ」
「ただ?」
「侵入者が違法に採取していった植物の種類がわかりました」
そのリストを私も見せてもらうことにした。
「これって」
そういって私は息を飲んだ。
「薬用植物ばっかりじゃないですか。それも全部、一級品の、めったに市場に出回らない種類」
私とカイン、ダンさんは静かに顔を見合わせた。
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