第5話守るべきもの
前足の怪我をしたエルを保護して以来、私は毎日管理小屋に足を運んだ。
私はキツネから事前に対価を受け取っていた。銀貨2枚。今度も私はその銀貨と銀貨を勝ち合わせてみた。
カツン、と金属の音がした。本物だ。
キツネがどこから人間のお金を調達してくるかはわからないが、対価を支払われて仕事を受けた以上、私はしっかりと自分のやるべきことをやるつもりだった。
世の中には、他者の親切にすがるのが当たり前、という人が一定数存在する。
薬屋をやっていると、時々だが、そういう人がやってくる。大体はここの薬は高い、というところから始まる。そして自分の体の調子がいかに悪いか、滔々と述べる。最後に薬の値段を負けてほしい、と言われる。
そういう時、私は瞬時に断ることにしている。
「ひどい、私、お金がないのに。薬屋って、人の命や健康を守る仕事でしょう?」
その人の命や健康を守る大事な仕事に敬意を払わないのは誰?
その商品棚に並ぶ薬一袋を作るのに、どれだけの薬に対する知識が必要か。それを得るまでの労力、私自身が費やした時間、そういうものを一切無視して、ひどい時にはタダでよこせという。
それがどれだけ無知で、恥ずかしいことかを、この人たちは知らない。
そして命や健康を盾に、私の時間、そして薬を買い叩こうとするのだ。
「人の健康や命を守る仕事だからこそです」
私は言った。
「もしあなたのように、薬を値切ったり、場合によってはタダでよこせという人たちにどんどん薬を渡して行ったら、この薬屋はあっという間に潰れてしまうでしょう。
薬屋というのは命と健康を守る仕事だからこそ、続けていくことが大事なんです。それにはお金が必要。
だから私は、自分のお薬の材料代に少しだけ利益を上乗せして売っています。そうすることで私自身の生活が成り立つことはもちろんですが、次の薬の仕入れもできる。
何より私が新しい知識を得るのに必要な書籍代を捻出できます。
そうすればもっと良い薬をこれからも作っていけます。
そうすることでこの先、より多くの人の役に立ち、時には命を救うでしょう。私にとって、薬屋というのはそういう仕事です」
それなのに、と私は一呼吸置いて続ける。
「あなたはそうした薬屋の仕事、私の仕事に対してこれっぽっちの敬意もない。
この薬一包をブレンドするのに、私がどれだけの時間を使ってその知識を習得したと思いますか?
その長い時間と努力の過程を、あなたは一切無視で負けろという。
知識や技術は天から降ってくるわけではないんです。ぼーっと口を開けていればそこに飛び込んでくるわけでもないんです。
もしあなたが本当に困っているのなら、行くべきは役所です。そこで薬を買えないあなたの経済状態について、まずは相談すべきです。
あなたの勝手な都合で、薬屋の、私の仕事を安く見積もらないで」
毎回言い回しは少し変わるが、だいたいこのようなことを時にはもっと厳しく、場合よっては静かな怒りがふつふつと湧き、その分やたらと丁寧になった口調で私は言う。
私は薬屋を自分の仕事と決め、それを実現するために地道に努力をしてきた。
幸い父が大きな薬問屋を営んでいるおかげで、店を持つ最初の資金は援助してもらえた。薬の仕入先も、品質が確かで良心的な値段のところを何件か紹介してもらえた。
そういう意味では本当に恵まれている。感謝しかない。
ただ、実際に薬屋を始めてみると病気の人の力になりたい、という綺麗事だけではこの仕事は成り立たない、ということがよくわかった。
父の商売を見ながら、様々な人を見てきた。それなりに自分も仕事の持つ、憧れだけで済まない部分を理解してきたつもりではいた。
それでも実際に始めてみると、実に色々な人が来た。
その中でも一番精神を削られるのが実は「薬を負けてほしい、いやタダで欲しい」という人たちの相手をすることだった。
そういう人たちにも、表情を変えず、それでもしつこくされた時はしっかりと矜持を持ち、きっぱりした態度で接する。
夢をかなえた、と言えば聞こえはいいが、実際には「夢をかなえる」というのは時にはこうした嫌な接客をこなすとか、店を掃除するとか、帳簿をつけるなど、実際には地味な取り組みが多い。
そういうことをしみじみとこの3年で実感していた私は、キツネが私を呼びに来た際、はじめに銀貨2枚を支払う、と示してくれたことが嬉しかった。
キツネはちゃんと筋を通すのだ。
「それが人間のルールだから」
小さな女の子の姿で子ギツネはそういったのだ。
実際に、エルのもとに通い始めてもう1週間になる。キツネから受け取った対価に相当する薬は、2日ほど使い果たしてしまったけれど、あとはもう私がしたいからやっている。
私の仕事にきちんと敬意を払ってくれる相手に対して、私は徹底的に仕事をするのだ。
それが以前、同じように対価を持って薬を買いに来てくれたエルの怪我の治療であればなおさらのこと。
私は薬とパン、ミルクの入った小さな瓶をカバンに詰めると森の管理小屋に向かった。
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