犬が買いにくる薬屋のはなし
カブトムシ太郎
第1話犬が薬を買いに来た
最近、犬が薬を買いに来るようになった。
薬屋をやり始めて3年ほどになるが、犬が買いに来たのは初めてだ。
父が大きな薬問屋を営んでおり、私はそこから店子わけのような形で、一般の人にも手軽に買えるような小さな薬屋をひらいた。
薬問屋の娘がやっている店、ということでそこそこの客足があり、私は日々、色々な人の健康の相談を受けながら、薬を売っている。
置いているのは主に、解熱剤、痛み止め、咳止めの甘いシロップ、胃腸薬。
私が住む街には病院はあるけれど、診察料が高いので一般の人はなかなか医者には診てもらえない。ちょっとお腹がいたいとか、風邪をひいた程度でかかれるほど医者は安くないのだ。
それでも、風邪をひいて喉が痛ければ、喉にいいドロップを舐めればいい。咳が止まらなければ、咳止めを。そんなちょっとした体の辛いところを楽にするための薬を私は売っている。
石造りの壁の家が立ち並ぶ、小さな町の東の角に私の店はあった。
空気が冷たく乾燥し、悪い風邪が流行りだす頃だった。日が暮れて、そろそろ店じまいを、と店のドアの看板を「CLOSE」に変えようとした、その時だった。
「あの、もうおしまいですか?”おくすり”を売って欲しいのですが」
ドアを開けると、少年が立っていた。鈍色のセーターに、緑のマフラーを巻いて。この近所では見かけない子だな…と思って、ふと気がついた。
少年の後ろで、ふさり、と何かが揺れた。
…しっぽだ。
見事な銀色をした、ふさふさのしっぽ。毛の1本1本が長く、きらきらと輝いている。思わず一瞬見とれてしまったが、少年の視線に気がついて私はいった。
「ええと、どんな薬が欲しいの?」
「僕のお兄さんが、ここのところずっと家から出てこないのです」
少年が言った。しっぽが、さわ、と揺れる。ついそちらに目が行きそうになる。
「窓の隙間から見ると、顔を真っ赤にしてウンウン言いながら、寝ているのです」
隙間から見たって…盗み見なのかなあ、と思ったが私はひとまず少年の話を聞く。
「とても熱くて、苦しそうです。これを治す”おくすり”を売ってほしいのです」
そう言うと少年のしっぽはまた、ふさり、と揺れた。ダメだ、どうしても気になってしまう。
この少年は、キツネだろうか?と私は思った。
この街のはずれに大きな森があり、キツネの一族が住んでいる。このキツネの一族は、変身の心得があり、時々人に化けて街へやってきてはしょうもないイタズラをする。
大抵は罪のない内容なので、町の人たちもキツネを強く咎めたり、捕まえたりしない。銃で撃ったりもしない。
この森の動物たちには昔から不思議な力があり、私たちはそれを森の神様として扱ってきた。中でもキツネは人間の街が好きなようでちょくちょくやってきては、広場で大道芸を見たり、サーカスの観客に混じっていたりする。
でも、森のキツネの一族はおしなべて毛色が「茶」なのだ。
少年のような「銀色」の毛色のキツネはいない。よく見ると、しっぽもキツネほど、ふさふさしていない。明らかにこれは犬だろう…と私はあたりをつけた。
それにしても犬が化けたと言う話は聞いたことがない。しかもキツネは結構上手に化けるので、しっぽを出したまま、と言うような失態はしない。するとしても、本当にまだほんの子供の子ぎつねくらいだ。
少年は10歳くらいに見えた。足の下から見える、見事な銀色のしっぽ。多分、本人はしっぽが出ていることに気づいていない。
もう、しっぽについては見なかったことにしよう。そう決めた。
「ええと、まずは中に入って。詳しい話を聞かせてくれますか?」
少年はこくり、と頷いた。
*
犬にミルクは飲ませても大丈夫なんだっけ?と考えつつ、私は少年にたずねた。
「体は冷えていませんか?温かいミルクは飲める?」
外は雪がちらついていた。
少年はまた、こくりと頷く。
私は店の奥にある小さなコンロでミルクを温めると、少量の蜂蜜を入れてマグカップに注いだ。
猫は熱いものが苦手だけれど犬は?
まあ、犬もあまり熱いものは良くないだろう、そもそも見た目も子供だし、とミルクは人肌程度の温度にした。
体が冷えていたらしく、少年はマグカップを受け取ると、それを両手でしっかりと包み込んだ。手が冷えていたんだなあ、と思いつつ、私はカウンターの奥にある丸椅子を持ってきて腰掛けた。
「お薬を出す前に、もう少し詳しくお兄さんの様子を聞かせてくれるかな。熱があって、しばらく家から出てこないんだよね?」
少年はミルクを飲みながら、頷いた。
「誰かお兄さんを世話をしてくれる人はいるのかな?」
今度はふるふると、少年は首を横に振った。
うーん、一人暮らしの上、高熱か。ただの流行り風邪だといいけれど、と思いつつ、私は飲み薬を用意した。
汗を出し、熱を下げる効果のあるものだ。体の節々の痛みも和らぐよう、処方を工夫してある。
まずは3日分を小分けにして詰める。犬が薬の飲み方を説明するのも難しいだろう、と思い私はメモを添えることにした。
”1日3回、食事の後に飲んでください。食欲がない場合は、果物など軽いものを一口食べるだけでも構いません。水をよく飲んで、汗を出してください”
少年はズボンのポケットから銀色の硬貨2枚を取り出した。少年にわからないように、2枚をこっそりカチカチと合わせてみた。とりあえず本物みたいだ。キツネはよく、葉っぱでお金を作って騙すというけれど、犬の場合はなんだろう?
少年は薬を受け取ると、深々と私に頭を下げた。店のドアを開け、東の森へ続く道をてくてくと歩く。しばらくすると見えなくなった。
あれはやっぱり、犬だったのだろうか。
*
しばらく薬屋は忙しかった。悪い風邪が今年も大流行したからだ。
薬屋が繁盛するのは病気の人が多いからで、その点は多少複雑だった。それでも私の売った薬で風邪にはかかったものの、軽く済んだ、と言ってくれる人がたくさんいた。
犬のことなどすっかり忘れてしまっていた、年末も差し迫ったある日のことだった。
そろそろ閉店、という頃に、カラン、と店のドアベルが鳴った。
「風邪薬を売っている薬屋さんはここでしょうか?」
背の高い男の人が入ってきた。黒い目に黒い髪、黒のトラウザに厚手のコートを羽織っている、足はしっかりとした防寒ブーツを履いていた。
歳のころは25歳。この格好は、ああ森の管理者だな、と私は思った。この街の外れにある森には「森の管理者」が住む小屋があり、森の木や動物を守っている。
男の人は、手に薬の袋を持っていた。私の店の名前が印刷してある茶色い紙袋だ。さらに右手にはメモ紙が握られていた。
「はい、ここでは風邪薬を売っています。ご入用ですか?」
「あの、これを書いたのはひょっとしてあなたでしょうか?」
男の人はメモ紙を差し出した。
そこには見慣れた文字…そう、私があの、犬の少年に書いて渡したメモだった。
「確かにそれは私が書きました…ということは、あなたがお兄さん?」
私がそういうと、男の人は少し困ったような顔をした。
「それが、誰が薬を買ってきてくれたかわからないのです。私は森の管理者で、交代で森の番に当たっています。一人で当番の時にたまたま風邪をひいてしまって…そのまま寝込んだいたら、ある日窓辺にこの薬が置いてありました」
私と男の人は、しばし無言で見つめあった。ややあって、私は言った。
「あの…犬を飼っていませんか?」
「え?」
「銀色の、しっぽがふさふさの犬」
男の人は大きく目を開いた。
「どうしてそれを?」
「いや…それは」
私は口ごもった。言ったら完全に頭のおかしな人だと思われるだろうなあ。
「教えてください!銀色の犬のことを、なぜあなたが知っているんですか?」
男の人がぐっと、私の両腕を掴んだので私はびっくりした。
「ええと、それは、犬が薬を買いに来たからです」
「犬が?!」
「ええ、犬が。あなたの薬を買いに、少年に化けた犬がやってきたんです」
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