第7話






【月鎮郷】の仕事で、護衛はもっとも退屈だ。

 特に漣のボディーガードととなると、延々とヤツの側に張りついて、周囲を警戒しなければならない。

 まぁ、漣を襲う酔狂な人間はいないが、道を歩けば何故かヤツは人に捕まる。


 もちろん危害を加えられるという意味ではなく、向こうがあれこれ話しかけてくるのだ。大抵が貧しい子供たちで、自分たちの苦しい近況を訴えてくる。


 今日は、仲のいい姉弟だった。

 都の外れに正体不明の巨石が立ったとかで、その場所が彼ら両親の畑らしい。土地が石に潰されたため、作物が収穫できないとふたり手を繋いで涙ながらに語った。


 漣が都を歩く度に、そんな話を聞かされる。

 ヤツもいちいち立ち止まって彼らの言葉に耳を傾けるものだから、ちっとも前へ進まない。


 基本的に、移動が徒歩というのもある。

 貴族なら牛車だろうが、諸事情により東雲邸では使わなくなったらしい。


 なので、目的地に辿り着くまで柚月はもの凄まじく退屈だ。

 漣が子供たちを相手にしている間、何か暇潰しはないかと、きょろきょろと周囲を見回す。


 運がよければ、近くで遊ぶ子供や野菜売りの女の子たちに話し相手になってもらえる。

 あとで漣に『むやみに話しかけるな』と嫌味を言われるが、知ったことか。他人を好き勝手に呼び出すのだから、こっちも好き勝手にしてやる。


 白壁が続く直線的な道と、等間隔に並ぶ曲がり角。碁盤目のように整備された都は、まさに平安京を思わせる。


 初めはわかりやすくていい街だと柚月は思ったが、実際は似た景色が続いて迷いやすい。通りを一本間違えただけで、目的地から大きく離れてしまう。はぐれないように、つかず離れずの距離を取って都の探索をしていると、向こうの通りで誰かの怒鳴り声が響いてくる。


「誰だ、さっき私を笑ったのは!?」


 牛車の傍らに立ち、激昂するのは中年太りの男性だった。直衣姿から察するに貴族なのだろう。けれど、全身から発せられる不機嫌な空気と横柄な態度は、とても上流階級の人間には見えない。


「さっさと名乗り出んか! 知ってて黙っているなら、そいつも同罪だぞッ!」


 泥棒にでも遭ったのだろうか。

 貴族の男はひどく興奮しながら周りにいる人間を詰っている。大抵が百姓の子供で、びくびくと肩を震わせていた。さらに男の声で(柚月を含む)野次馬が集まっている。


「さては、おまえだな!? おまえでなくとも、その場にいたのだから同罪だッ!!」


 苛立ちを募らせた男は、近くにいた子供の胸元を掴んだ。

 どんな事情があるにせよ、こうなると完璧な八つ当たりだ。見かねた柚月は、近寄って男の手首を掴む。強く握って解放させ、自由になった少年を後ろへ隠す。


「何だ、貴様……!」


 案の定、睨まれるが柚月は気にしない。男の手を握ったまま、抗議する。


「そっちこそ、おとなげないんじゃない? この子たちが何したってのよ?」


 割って入った女子高生を不審に思いつつも、男の興奮は収まらなかった。怒りの視線を周囲の人間に投げかける。


「この子供たちの誰かが……牛車から落ちた私を笑ったのだ!」


「あぁ……」


 説明されて、柚月は納得してしまった。


(牛車から転がり出ちゃったのね)


 激しい揺れや、何かの拍子に外へ出てしまうこともあるかもしれない。その現場を見かけたら笑ってしまうのも無理はないが、やはり子供を叱るのはいただけなかった。


「故意じゃないんだから、許してあげてよ。逆に、おじさんが転げ落ちた時、この子たちが無反応だったら余計に恥ずかしかったと思うわよ?」


 柚月が何の気なしに言う。

 本人としては、ギャグを滑らせたお笑い芸人のいたたまれなさを主張したつもりだったが。その場にいた人間たちは、思わぬ反応を示した。


 貴族は真っ赤になって震え、子供たちは噴き出す口元を必死に押さえている。やがて、腹を抱えて大爆笑。野次馬の大人たちまで苦笑していた。


 柚月は、何が起きたのかわからず目を瞬かせる。

 説得させようとして火に油を注いだことを知らず、場が和めばいいかとなりゆきに任せようとする。しかし、当然それを快く思わない人間がひとりいた。


「たかだか百姓の分際で、この私を愚弄するとは……無礼なッ!」


 たまらず吐かれた怒声に、柚月はかちんときた。


『無礼』


 この世界に来て、幾度なく吐かれる言葉。

 柚月には理不尽な単語にしか思えなかった。

 彼女が、すっと表情を消した瞬間、この男を無傷で帰す気はなくなった。


「黙りなさい」


「なんだと、この小娘が……!」


「黙れって言ったでしょうがッ!」


 ゴッ!

 柚月は渾身の頭突きを食らわせた。男は白目をむきかけたが、両頬を平手打ちして意識を保たせる。


「たかだか人の税で食べてる貴族が、どんだけ偉いってのよ!? 自分でお米も作ったことないくせに……子供たちに笑われるくらい、ちょっと照れるぐらいで許したらどうなのッ!」


 ビシバシと容赦ない往復ビンタに、側にいた従者たちが騒ぎ始める。


「殿ッ!?」

「おっと! 動かないでよ、お供さんたち!」


 柚月が大声を張りあげる。


 余計な茶々は入れられたくない。

 人質の意味を込めて、男の胸ぐらを掴んで突き出せば、


「やれ、おまえたち! この小娘を早く何とかせんかッ!!」


 顔面を赤く腫らした当人が叫ぶ。柚月は、がっくりと肩を落としたくなった。


 どんだけ、アホなおっさんだろう。

 これでは、柚月に暴れてくれと言っているようなものではないか。


 なら、望み通りにしてやるか。


 刀を抜いた従者は三人。


 とにかく先手必勝。彼らの流儀に付き合う義理はない。

 柚月は、拳を強く握り直した。


「は、離さんか、小娘!」

「だったら、まず……」


 胸元を掴まれた男は、柚月の手から脱出を試みる。

 もちろん、そんな抵抗でほどけるはずもなく、柚月が掴む腕を大きく振りかぶった。


「自分でお供のところへ帰んなさいッ!」


 叫ぶなり、男を放り投げる。

 彼は向こう側の白塀まで吹き飛び、従者たちの視線が釘づけになった。


 パキンッ!

 柚月の視界に、白刃の破片が舞う。主人の優雅な転び方を眺めている隙に、懐に入って刀の腹を掌底で叩き折ってやった。


(まず、ひとり)


 続けて、側にいた従者の手元に神経を集中する。

 彼の持つ刀は、頭上へ掲げられた。柚月は目の前で手を叩く。振り下ろされた刀は合わさった両の掌で止まり、見事な真剣白刃取りが決まった。従者が動揺した隙に少し手首を捻るだけで、チョコレートを折るように簡単に砕ける。


(ふたり)


 最後のひとりまで、素早く駆け寄る。

 戸惑う彼の手元を瞬時に蹴り上げた。柄の根元から刀身が折れ、地面に突き刺さる。


(三人!)


 靴底を滑らせ、男の眼前へ辿り着く。

 一見、無鉄砲にも思える柚月の大立ち回りには意味があった。


 従者の注意を逸らすこと。

 彼らの武器を破壊すること。

 主人である男を人質として有効に使い、その二点を達成したのだ。


 無関係な人間を巻き込むのは好きじゃない。

 あえて派手な動きをして、周囲の人間に危害を加えさせない狙いもあった。


 満足のいく結果に柚月は肩越しに、笑ってみせる。鳶色の瞳が強く煌めく。


「そんななまくら刀じゃ、私に傷ひとつ付けられないわよ?」


 意味をなさなくなった武器。

 それらを手にしている従者たちは震えあがった。


 柚月は生まれながらにして、その【力】を有していたわけではない。

 この【月鎮郷】にいる時のみ、桁外れの怪力が使える。彼らの武器で傷つくこともない。漣が魔法じみた【召喚術】を使えるように、柚月のような異世界の住人は身体能力が強化されるらしい。


 問題は、彼らに当てないように注意しなければならないこと。


 手加減しているとはいえ、一歩間違えば人殺しになってしまう。


 どんなことがあっても、人は殺さない。

 それが、漣と初めて逢った時に交わした約束だった。


 けれど、半殺しにしてはいけないとは言われていない。毎回、柚月は自分に都合のいい解釈をして暴れまくっている。


「さぁて、お互いに落とし前つけましょうか」


 柚月は、再び男の胸ぐらを掴む。

 今度こそ邪魔する者は誰もいない。


「ま、待ってくれ! 許してくれ! 私が悪かったッ!!」

「待ったなしッ! ごめんですんだら、それこそ私はいらないのよッ!」


 どっちが悪人だか、わかったものではない主張と共に、青ざめた男に拳を叩き込もうとした瞬間だった。



「そこまでだ」


 耳元で抑揚のない声が響く。


 ふと、握った拳の力が失われる。

 男の顔面に触れる寸前で、腕に何者かの手に掴まれていた。


「おいたが過ぎるぞ、山猫娘」

「れ、漣ッ!?」


 柚月は、ぎょっとした。

 ヤツの声が、何故か頭上すぐから聞こえてくる。見れば、漣が後ろから抱きつくように、ぴったりと身体を寄せている。一気に心臓が飛び跳ねた。


「は、離してよ、漣!」

「いやだ。こうしないとまた暴れるくせに」


 子供みたいな拗ねた口調に反論できない。

 ますます強く抱き込まれ、混乱が深まる。殴られないための措置なのだろうが、これは反則だ。


 頬が熱い。

 どくどくと心臓が脈打つ。


 鼻をかすめる青草の匂いに、頭がくらくらする。漣の衣に焚きしめられた香だ。初めての状況に柚月はわけがわからず、降参した。


「暴れない! もう、しないから! 耳! 耳は、やめてッ!」


 泣きそうな声で懇願した。漣が喋る度に吐息が耳をくすぐる。力が抜けて、立てなくなりそうだった。


「申し訳ありません、参議さんぎ殿。僕の連れが何かやらかしたようで」

「東雲殿……ッ!?」


 抱きついた姿勢のまま、漣は話し始める。男が浮かべる驚きの表情で、ますます羞恥を煽られた。

 柚月がじたばたと身動ぎしても、腕の拘束は解かれそうにない。

 一方の男は、合点がいったように目を瞠った。


「そう、か……おまえの連れということは【彷徨者ほうこうしゃ】だな!? この女のせいで、私は非常に不愉快な思いをした! 何のための、治安維持だ!? 化物を飼うなら、しっかり躾しておけッ!」


 怯えと不安。

 込み上げてくる感情を拒絶するような怒りに、柚月は一瞬だけ胸が痛んだ。


【月鎮郷】では、こうあからさまに罵られることは少なくない。


 異質なものを見る、敵意の瞳。

 元の世界では、知ることのなかった痛み。


 仕方ない。

 自分は、この世界の住人ではないのだから。

 この尋常ではない【力】も、柚月自身もいまだに信じきれずにいる。他人から見れば、立派な化物だ。


(……あれ?)


 いつの間にか、漣の腕は離れていた。代わりに、彼の右手が太刀の柄を握る。柚月を押しのけ、前に歩み寄りながら鞘から引き抜く。


「漣!?」


 ザンッ!

 柚月の声と同時に、抜き身の太刀を突き立てられた。無様に座り込んでいる貴族の投げ出された足の真ん中に、である。


「その言葉、撤回していただきましょう。参議殿」


 漣の表情は氷のように冷たかった。放たれる言葉には明確な怒気が孕んでいる。


「彼女は我々と同じ血肉を持った人間です。しかも、この【月鎮郷】のために尽力する者。彼女を愚弄することは、召喚士である僕、ひいては僕を任命した【御門みかど】当主を愚弄したも同義ですよ」


「し、しかし……ッ!」


「察しが悪くていらっしゃるようですね。では、はっきり言いましょう。従者は主人の鏡です。あなたが無能なら、自然と周囲の者も無能になります」


 次々と吐かれる毒矢のような言葉。

 こんな漣は初めて見る。一体、彼の何が逆鱗に触れたのか柚月にはわからなかった。ただ黙って、ことのなりゆきを眺めるしかない。


「与えられたものだけを誇り、子供の些細な行動を咎める者に、彼女を卑下されるいわれはありません。畜生以下の横暴な振る舞いは、家名を穢すと思ってください」


「────ッ!?」


 彼は、今度こそ絶句に追い込まれた。

 はっきりと自分のしたことを正確に見抜かれ、『動物以下の行動をしていた』と指摘されたのだ。家名を重んじる貴族にとって、これほどの屈辱はないだろう。異世界の人間である柚月でもわかることだった。




 漣の猛毒のせいか、あの貴族は放心状態になった。従者たちに抱えられて歩く情けない後ろ姿に、柚月は眉をひそめる。


「なによ、あれ……」


 しょぼい連中だ。

 もう少しビビらせてやりたかったのに。

 いっそのこと、騒ぎの発端になった牛車でも壊してやればよかったか。


 などと、過激なことを考えていると、脇腹に妙な感触がした。


「うひゃッ!」


 くすぐったくて、柚月は飛びあがりそうになる。

 振り向くと漣の仏頂面があった。彼に背後から撫でられたのだ。


「余計なことに首を突っ込むな」


 眠たげな漆黒の瞳が、明らかに不満げだった。


 当然だろう。

 農民の姉弟たちを放り出して来てしまったのだから。

 あの貴族も漣の顔を知っている。後で仕返しするかもしれない。


 一応は、助けてはくれたのだろうし。


 結局、東雲に迷惑をかけただけだ。


「悪かったわよ……でも」


 多少の負い目があるものの、柚月は食い下がる。どんな世界だって、子供を理不尽に扱っていいはずない。


「あんなの、おかしいじゃん……」


 口を尖らせて出た文句を、鼻で笑われた。

 突き立てた太刀を収め、横目で投げかけてくる視線は、とても愉快そうだ。漣は、たまにそんな笑みを零す。


 何が、そんなに面白いのか。

 柚月はこっそり頬を膨らませた。


 お礼を言うタイミングを逃したじゃないか。





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