第6話






 明くる日。漣は約束通り、柚月を召喚した。

「ねー、お供の準備なんかいいってば。漣とちゃちゃっと行って来るさー」

「すみません。お師匠さまに何かあったら、一大事ですから」

 背後から聞こえる声に、柚月はむっと唇を尖らせた。今、広い局の真ん中に柚月は座っている。眼前にある掌ほどの小さな鏡には、不機嫌そうな自分の顔が映っていた。


「私がヘマすると思ってんの?」

 あからさまに拗ねてみせると、宗真の笑声が聞こえてくる。

「いいえ、滅相もない。お師匠さまも久々の準備に手間取ってるだけです」

 苑依姫の邸を訪ねる日。

 大抵は用件のある場所に漣が呼び出すのだが、相手が大貴族だと勝手が違うらしい。準備にやたら時間がかかっている。

(昨日、呼び出して説明したんだから、次はギリギリに召喚すりゃいいでしょうに)

 そんな風に思いながら、柚月は暇を持て余している。見かねた宗真があれこれ構ってくれたが、なかなか素直になれなかった。

「それに、お供は表向きの理由ですから。新しい使用人が次から次へと増えちゃって。働いてもらわないと」

「新しい?」

「はい。できました」

 正面にあった鏡を手に取り、柚月に渡す。

 左側の耳付近に白い花弁が髪留めのように飾られている。宗真が、いつもの花を髪に結ってくれたのだ。

「とっても、お似合いですよ」

「……ありがと」

 こういうこともサラッとできてしまうから、侮れない。

 今時の女子高生なら髪に花を飾られても、恥ずかしいだけだ。それでも、宗真の素直な厚意が嬉しい。自分を誠心誠意もてなそうと気を遣ってくれている。他人をこき使うだけの漣とは大違いだ。柚月が全力で拒絶できないのは、間違いなく彼の存在が大きい。

「じゃあ、そろそろ侍廊さむらいろうの方へ行きましょう。さすがにお師匠さまも、準備が整う頃でしょうし」

 にこにこと笑う宗真は、手を取って案内してくれた。

 不謹慎ながら、柚月は年下のエスコートに自然と口元が緩みそうになる。自分の住む世界にもこんな男の子がいたなら、さぞやモテるだろうに。



 本来、寝殿造りでの玄関に当たる場所は中門ちゅうもんだが、それは邸の主か身分の高い客人に限られる。使用人が使う勝手口は侍廊と呼ばれ、牛車を置く車宿くるまやどりの先にある。漣は権威にこだわる気がないのか単に面倒なのか、使用人と同じく侍廊から出入りしていた。

 宗真の案内で西側の廂を歩いていると中門廊の外に、数人の男たちが見える。


「支度できました?」

「へ、へい……」

 明らかに宗真より年上に見えるのに態度はおどおどしていた。

「ん?」

 柚月が、ふと気付く。どこかで見た顔ぶれだった。

「……あ!」

 苑依姫を誘拐した盗賊たちだ。向こうも柚月の顔を見るなり、表情が一変する。

「あんたたち……ッ!」

「申し訳ねぇ!」

 柚月がとっさに構えると、盗賊たち全員が地面に手をついた。

「おれたちが間違ってた! 家族を食わせるためとはいえ、姫をさらったり、お館さまやあんたに刀を向けたりして……ッ!」

 額をこするほどの本物の土下座を見せられてしまい、呆気にとられる。拳を握ったまま、次々にあふれる謝罪を聞く羽目になった。

「本当に、申し訳なかった」

「おれたち、男にそそのかされたんでさ。『苑依(そのえ)姫をさらえば、【九衛このえ】も考えを改める』って……」

「バカなことをした。許してくれ……ッ!」

 絞り出すような声で、額を地面にこすりつけた。

 目をまるくさせたままの柚月に彼らを責める気は、これっぽっちもない。

 自分が実際の被害者ではないし、生活に苦労していたならなおさらである。


 ただ、彼らの言葉に聞き逃せないキーワードがあった。

「宗真。お館さまって、まさか……」

 問われた少年は、にっこり微笑む。

「お師匠さまにも困っちゃいますよねぇ。こうやって誰かれ構わず連れて来ちゃいますから」

 苦笑する宗真の表情は、まんざらでもない。

 口では非難しているものの、本当に迷惑に思っているわけではなさそうだ。

 漣に対する絶大な信頼が窺える。彼の表情が柚月は激しく不可解だった。


 あの人格破綻者が、そんな優しいことするか?

 刀を向けた相手をほいほいと自分の邸へ連れてきてしまったのだ。よほど懐の深い人物か、よほどの考えなしとしか思えない。柚月が知る東雲漣とは血も涙もないひねくれ者だ。個人的な見解として、どちらもありえない。

 他に考えられるパターンは彼らの弱みにつけ込んで、一生こき使う。


 うん。

 それこそ漣っぽい。一番それらしい案に柚月は飛びつく。導き出した結論が、はなはだ物騒であることに本人は気付いていない。

 得心したように、ぐっと拳を握る。

「そうよ。そうに違いない!」

「なにが」

 振り返ると、間近に漣の顔がある。それも、意地の悪そうな笑みを浮かべていた。

「うわあぁッ!?」

「ずいぶん賑やかだな」

 驚いて後ずさる柚月を見つめ、さらにおかしそうに笑みを深めた。

「どうした、その頭。今が春だから頭に花咲かしたのか」

「宗真がしてくれたの! また笑ったら、ぶっ飛ばすわよッ!」

 拳を握って抗議するも、少し落ち込む。

 やっぱり、似合わないか。

 せっかく宗真が結ってくれたのに、飾られるのが自分では花も不憫かもしれない。だが、ここで引き下がる柚月ではなかった。幸いにも、反撃へ転じる口実はあった。最大限、利用させてもらおう。

「そっちこそ、なによ。いつもよりカッコつけちゃって」

 柚月の言葉に、珍しく漣は形のいい眉をひそめた。自分でも不本意な服装らしい。

 おお、これは脈ありかも。

 水晶の数珠こそ普段と同じだが、烏帽子に直衣姿である。いつも鳥の巣状態だった黒髪にも櫛を入れたらしく、見事なストレート。

「向こうは大貴族だ。いつもの格好じゃ、門前払いになる」

 おそらく本人は長くのびた前髪を払っただけだろうが、それすら憂いを感じる優雅な仕草に見える。美形とは、心底お得だなと柚月は思う。翳りのある貴公子と認めるのは癪なので、盛大に憎まれ口を叩いてやる。

「どうだか。美人なお姫様に逢いに行くから、気合い入ってるんでしょ」

「何を言ってるんだ。君は」

「別に。ただ、漣がスケベだって話」

 つんと澄ましてみせた。

 これだけしても罰は当たらないはず。

 あれ?

 私、何でこんなにムキになってんの?

 言いたいことは言ったので、苛立った理由を忘れてしまう柚月。その頃合いを見計らったように宗真の苦笑が割って入る。

「お師匠さま。今日は、彼らをお連れください」

「ああ」

 宗真が太刀を差し出すと、


 ガシャンッ!

 受け取ろうとした漣の手から滑り落ちた。装飾が施された太刀である。傷がついてないか柚月も内心でヒヤヒヤした。

 漣の毒が飛散するかと一瞬だけ身構える。しかし、当人の言動は柚月の予想に反していた。

「す、すみません……」

「いい」

 真っ赤になって謝罪する弟子を制して、漣は自分で拾いあげた。流れるような動きで太刀を佩くと、短い挨拶をすませる。

「宗真。後は任せる」

「は、はい。行ってらっしゃいませ」

 深々と頭を下げる少年に見向きもせず、さっさと外へ出てしまう。

 お供の盗賊たち(彼らの口ぶりでは、もう足を洗ったのだろうが、柚月の中ではまだ盗人のままである)も、ぞろぞろとあとに続く。


 一体、どういうつもりなのか。

 少なくとも柚月は、漣が宗真に対して皮肉を浴びせた現場を見たことがない。どんな失敗をしようとも責めたり、怒ったりしない。柚月が同じことをしたら、間違いなく毒を吐かれる事態でもだ。


 彼を大事にしているとも違う。

 宗真の存在は認識しているだろうが、人並みの関心を寄せているとも思えない。けれど、あの盗賊たちを自分の邸へ連れて来た。どんな目的があるにせよ、宗真の言葉と漣の態度は一致していない。その齟齬をどう解釈するべきか、柚月は悩んだ。眉間に皺を寄せ、穴が開きそうなくらいに漣の背中を見つめる。別に、そうしたってヤツの本心がわかるはずもないが。

 視線を感じたらしい漣が、振り返ってこちらを見返してきた。

「なに」

「ううん。なんでもない」

 柚月は首を振って、あとを追う。

 どうせ尋ねたって、皮肉が返ってくるに決まっている。ほしい答えが得られないなら、疑問に思うだけ時間の無駄だ。






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