第2話






 小さな頃は、正義のヒーローに憧れた。

 世のため、他人のため。

 絶対的な悪と戦うヒーローがカッコいいと思っていた。正直に白状すれば、いずれ自分もそうなりたいと思ったこともある。そんな純真無垢な過去が頭をかすめる度、柚月は顔を覆って転げ回りたくなる。

 もしも、時間を巻き戻せるのなら、その記憶を削除したい。


蒼衣あおい柚月ゆづきさん!」

 張りのある威勢のいい声に、スクールバックを肩にかけた柚月は振り返る。

 丸眼鏡に、三つ編み。膝が隠れる長いスカート。きちんと糊づけされているとわかるブレザーの制服に、乱れた箇所はない。見るからに規則に従う実直な性格が窺える。

 今や絶滅危惧種と言っても過言ではない、女生徒。風紀委員の長谷川はせがわまゆだった。


 自然と柚月の眉に皺がよる。

 面倒なヤツに見つかったな、と、胸中で舌打ちした。

「なによ」

 不満も露に口を開けば、長谷川は少したじろいだ。柚月が女子に声をかけた時、大抵相手にそんな反応をされる。

 もしや、自分は同性にプレッシャーを与える顔つきなのだろうか。よほどのことがないかぎり、女子を敵と見なすことはないのだが。


 最近、殺伐とした日々を送ったせいかもしれない。

 無駄に敵意を振りまくのはやめよう。これでは、完璧にヤツがいうような狂犬になってしまう。そんなどうでもいいことを考えていると、長谷川は咳払いをして話題を切り出した。


「声をかけられた理由がわかりませんか? まずは、その髪の色。折った膝上スカートにショートブーツ。それらは、全て校則違反です」


 いきなりオブラートにも包まない生徒指導だ。柚月は辟易しながら、前髪を指でつまんでみせた。


「これ地毛なんだけど」

「その証明は?」

 当たり前のように問われ、うんざりする。

 柚月が通う朝吹あさぶき高等学校は、長谷川のような熱心な風紀委員が多いせいか、こうして放課後でも生徒指導を頻繁に行っていた。その甲斐あって、他の学校よりは生徒が自主的に校則を守るようだが、柚月にとっては迷惑以外のなにものでもない。

 早く帰りたい気持ちをおさえ、のらりくらりと相手をする。


「なんかおかしくない? 裁判だって、主張を覆す方が証明しなくちゃなんないのに」

「ここは、学校です。どうして、裁判の話になるんですか」

 ぴしゃりとした声音に、柚月は嘆息する。

 やはり、無駄に世間や校則に反発する生徒を相手にしていない。あくまで正論で相手を認めさせようとする。


 さて、どう切り抜けよう?

 まさか向こうの世界みたいに、かかと落としで黙らせるわけにもいかない。とりあえず、煙に撒けるだけ撒いてみる。


「大体、私、ローファーって好きじゃないのよ。走ったり、飛んだりすると脱げそうだし。本当は、スニーカー履きたいのよね。なんとかなんない?」

 少しずつ論点をずらそうと試みるが、風紀委員の分厚い眼鏡が鋭い光を放った。

「いつ、誰があなたの要望を訊きましたか? 定められた校則に従って服装を直してくださいとお願いしているのです。そもそも、あなたには数件ほどケンカをしていたという目撃情報があります。私が声をかけたのも、その真偽を確かめるためです。蒼衣さん、今から生徒指導室に来ていただけませんか?」

「…………」


 長い廊下に沈黙が落ちる。遠くから複数の笑声が響いてきた。

 誰も好きこのんで、この格好をしているわけではない。諸事情により、いつでも俊敏に動ける機能性を重視した服装でいたいのだ。

 とはいえ、正直に説明しても理解されないことは百も承知である。面倒くさい方向に話が転がったので、柚月は窓の外の景色を眺める。


 ああ、空が青いな。

 グラウンドでは運動部のかけ声が聞こえてきた。陽が長くなってきているから、まぁ、多少は遅くなっても大丈夫だろう。心配性の兄に、今からメールをしておくか。

 柚月がおもむろにスマートフォンを取り出せば長谷川がたまりかねたらしく声を荒らげた。

「明後日の方向を見ないでください! そこは、嘘でもごまかすところでしょう! そもそも校内での携帯電話は使用禁止です!」

「嘘つきは泥棒のはじまりよ。知ってた?」

「ということは、目撃情報は本当だと認めるんですね!?」

「うっ……」

 詰め寄ってきた長谷川の瞳(というか眼鏡)が輝いた。まるで、鬼の首でも取ったかのような口ぶりである。それからの行動は早かった。柚月の腕を掴み、廊下をずんずんと歩き出す。

「あなたは誇りと秩序を重んじる、ごく普通の朝吹高の生徒です。暴力沙汰はいけません。生徒指導室へ行って委員長のお言葉とご指導をいただきましょう。そうすれば、きっとあなたにも一般の生徒らしい行動が身につくはずです。さぁ、行きましょう。今、行きましょう。そうしましょう!」

「ちょ……ちょっと待ってよ!」

 委員長って、誰だよ。何者だよ。

 そのノリじゃ、怪しい新興宗教の教祖様だよ。

「いやだってば。離し────……」

 ぐいぐいと腕を引っ張る風紀委員に抗議しようとすれば、


〈霊圧探知 対象【蒼龍そうりゅう】〉

 聞き慣れた低い声音が鼓膜を震わせる。柚月は、ぎょっとして頭上を見る。

〈対象捕捉 空間接続〉

「れ、漣!?」

「は?」

 周囲には、彼女たちふたりの他に人影はない。

 振り返って瞬きする長谷川から手を振りほどく。胸元の赤いリボンを緩め、ブラウスの中から何かを引っ張りあげた。

 彼女の指に絡みついたのは黒革の紐。その先に結ばれた蒼色の勾玉が精彩な光を放っている。

「ア、アクセサリーの所持は校則違反ですよ!」

「やかましい!」

 あくまで自分の職務に忠実な風紀委員を怒鳴りつけ、再び天井を見上げる。

「漣! 漣でしょ!」

〈聞こえるか〉

 傲然とした声が直接、頭に響いてくる。天井から降ってくるわけでもないのに、見上げて文句を言うのは気分だった。

「漣! あんた、どういうつもりよ!? しばらく呼び出さないって言ったじゃん!」

〈そのつもりだったんだが、実は苑依そのえ姫が…………もういい。今すぐ来い〉

 説明の途中で面倒くさくなったらしい。悪びれもせず、要求だけを突きつけてくる。この上から目線な声と同じ、やはり自分勝手な男だ。

「ふざけんなーッ! 今、生活指導中だよッ!」

〈四方一尺 因果剥離〉

「待たんか、人格破綻者! この世知辛い現代社会でも、仕事の始めは『お願いします』って挨拶するぞ!」

「あ、蒼衣さん……?」

 柚月が腕を振り上げて暴れ、長谷川の戸惑った声を洩らした瞬間だった。

〈空間転移 対象【蒼龍そうりゅう】〉

「待てって言ってんでしょーッ!?」

 最後の抵抗も、抑揚のない声にかき消される。


〈────発動〉


 カッ!

 目映い光が、柚月のまぶたに灼きついた。

 直後、足元は浮遊感に襲われれる。つま先から落下していく感覚なのに、頭上から引っ張り上げられている気もする。

 ちょうど微睡む夢で空中に投げ出されるような。落ちていく怖さと、ほんの少しの心地よさを感じる刹那。


「ッ!?」

 開けた視界に、板張りの床が現れた。柚月は、とっさに両腕を前へ突き出す。


 ドタッ!

 派手な音のあとに、掌や肘、膝のあちこちに激痛が走る。

「痛ッ……!」

 四つん這いの姿勢で、うめく。

 呼吸はできず、身体もすぐには動かせなかった。固い床に頬を押しつけ、痛みをやり過ごす。自然と腰が浮く姿勢になる。格好悪いことこの上ないが、構っている余裕はなかった。


 そこは、床板だけの広い部屋。

 几帳があり、すぐ側に調度品が置かれただけ。右手には、開けた和風庭園がある。


 柚月は、悟った。

 長谷川といた学校とは違う、別の場所────いや、異世界へ連れて来られたことを。


「ようこそ。次元の狭間を渡る【彷徨者ほうこうしゃ】よ」


 背後からかけられた涼やかな声に、柚月は恨みがましく振り返る。

 突き出した腰の奥に、優雅に笑う眉目秀麗の青年が鎮座する。柚月を召喚した術者・東雲しののめれんだ。


「…………」


 彼は微笑を消して、ある一点を凝視する。

 不思議に思い、その視線を追った柚月は目を剥いた。

「ッ!?」

 宙に浮いたままのプリーツスカートが捲り返っている。彼の位置からでは、下着がまる見えだった。漣は裾を捌いて立ちあがるなり不機嫌そうに吐き捨てる。

「さっさと直せ。見苦しい」

「あ、あんたがいきなり呼び出すからでしょ!」

 慌てて向き直る柚月は、顔を真っ赤にして抗議する。

 スカートの裾を掴み、立ち膝の姿勢というまぬけな格好のため、いまいち迫力に欠けていた。





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