二通目 『ハウク』さんからのお便り
僕が大学生になったばかりの頃の話です。
三号館という古い校舎の一角に、各部活・サークルの部員が自由に使える小さなブースがあり、長屋のようになっていました。三号館の見た目も、校舎というよりは二階建ての木造アパートのようで、学生がそのまま寝泊まりしても不思議ではない雰囲気でした。
僕の所属していた部活メンバーも、そこで昼食を
ある日の昼休み、部員数人が部のブースで
「
S先輩は霊感が強いほうで、部の新入生歓迎会の場でも、高校一年くらいまでは幽霊の類がハッキリ見えていたと話していました。
実家が寺だというK先輩も、S先輩の言葉に真顔でうなずきました。
「確かに、あそこはヤバいよね。絶対
僕の二つ上の学年までは、その大学は女子大でした。古い三号館には女子トイレしかなく、男子は当時まだ少なかった他校舎の男子トイレへ行く必要がありました。
僕は霊感はサッパリなので、例のトイレの前を通っても、特に不気味な空気は感じていませんでした。でも、K先輩とS先輩がそう言うなら事実なのかもな、とも思いました。
S先輩、僕と同い年の男子部員・O、そして僕は、教職課程の講義を履修していました。
開始時間が一番遅い七限だったので、講義が終わる頃には、外がすっかり暗くなっていることもよくありました。
その日も、講義後に部のブースで少し休憩してから、三人で一緒に帰ろうとしていました。人間二人が並んで歩けるかどうかという幅の狭い通路を、縦一列で歩きました。小柄なS先輩が先頭、Oが二番目、三人の中では一番身長の高い僕が最後尾。
「あれっ?」
S先輩が、不意に驚いたような声をこぼし、僕は訊きました。
「どうしたんですか」
「トイレ、電気
「あ、マジだ」
Oも呟きました。
一階へ続く階段の手前に、例の女子トイレはありました。
僕らがブースへ入る前は、真っ暗だったのに。
「誰か入ってるんじゃないですかね」
「そうかなぁ。一応、見てみようか」
トイレ入口のドアの磨りガラスから、確かに明かりが
S先輩がドアを開けると、天井の蛍光灯の光に出迎えられました。二つある個室のドアは、どちらも開いたままでした。S先輩が、中に入って確かめました。
「うん、誰もいない」
「使ってた人が、電気消し忘れたのかもですね」
「もー、節電しろってこないだの部活会議でもしつこく言われたのに」
苦笑するS先輩に、Oと僕も笑いました。
S先輩が、電気のスイッチに手を伸ばした時でした。
突然、僕はものすごい寒気に襲われました。
気温が氷点下まで急激に下がったかのような。
足から力が抜け、がくんとよろめいたところを、横からOが支えてくれました。
「おい!」
「ちょ、だいじょうぶッ?」
「……すみません、なんか、急に寒気が……」
元々貧血や持病があるわけでもなく、その日も体調はよかったので、本当に何が起きたのかわかりませんでした。
S先輩が、真剣な顔で言いました。
「やっぱり、ここはかなりヤバいね。早く出よう」
うなずき合った僕らは、トイレの電気を消した後、すぐに階段を下りました。僕はOに支えられながらではありましたが、どうにか外の地面に足がつくと、
まだクラクラしていたので、三号館の前にあった一号館に寄り、空き教室の椅子に座って気分を落ち着かせました。先に帰っていいと言ったのに、S先輩もOも、心配だからと付き添ってくれました。
「ハウク、顔色悪いよ。ちょっと
「ありがとうございます」
S先輩は、僕に塩飴を一個くれました。塩には魔除けの効果もあるからでしょう。
ペットボトルのミネラルウォーターをごくごく飲んでから、僕は塩飴をありがたく舐めました。
渋い顔をしたOが、S先輩に訊きました。
「うちの大学って、有名な怪談とか特にないですよね?」
「うん、私もそういうのは聞いたことない。でも、今年入ったばっかりの学生もこんな目に遭うなら、私より上の先輩たちはだいじょうぶだったのかなぁ……」
「女だらけの環境に飽きて、男に飢えた女子学生か女教師の霊だったりするんですかね」
「ストーカーだったらやだなぁ」
「霊にモテてもうれしくねーわ、おれ」
ジョークのつもりで言った僕に、二人は明るく笑ってくれました。
十分ほど経ってから、大学前のバス停からバスで駅まで移動しました。それぞれ帰りの電車に乗って家へ着いてからも、特に何も起きませんでした。S先輩の塩飴のおかげでしょうか。
奇妙な出来事の半年後、三号館の取り壊し決定が大学側から告知されました。
三号館周辺の地盤がゆるくなっていて、耐震的にも危なかったからというのが主な理由らしいです。
各部活ブースは、仮設のプレハブ校舎に移ることになり、僕も先輩や後輩、友人たちと卒業まで楽しく過ごせました。
でも、僕は今でもたまに思います。
あの時、僕を襲った寒気は、三号館の土の下深くにいた『
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