KemoNostalgia

風庭 雪衣

Prologue

「『どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである』


『死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ』


『疑わずに最初の一段を登りなさい。階段のすべて見えなくてもいい。とにかく最初の一歩を踏み出すのです』」


 私は目の前に綴られた文字を、声に出して読んでいた。

 一冊の薄い本。表紙は日に焼け退色し、作られたときの面影を見ることはできないが、中身はまだ無事だったものだ。


 大昔、ここに居た【ヒト】と呼ばれる者達が創り、遺していったもの。




 とある森の中に、図書館がある。

 ベージュ色の壁に、赤い屋根。林檎を想い浮かばせるデザインをした図書館だ。

 その中央には一階から屋根の上までを貫くようにして大樹が立っている。

 大樹は枝と葉と根をどんどんと広げたらしく、床を浮き上がらせ、屋根を削り、図書館を半ば崩壊させていた。

 屋根はほぼ全て落ちており、壁はまだ辛うじて残ってはいるがいつ崩壊するか分からないほど廃れてしまっている。


 そんな図書館の一階に置いてある木製の椅子と机。それは長く雨に降られたらしく、保護塗料が剥がされ灰色に寂れていた。

 座るとミシミシと音を立てて軋み、机はそこら中が凹みだらけ。

 だけど、私は大樹の木漏れ日が落ちるここを好んで使っている。

 机の上には私が持ってきた大量の本が積まれたり、開かれたまま置かれていたりと、誰が見ても雑と分かる置き方で放置していた。


「またこんなに本を持ち出して……壊れたらどうしてくれるんですか?」


 突然聞き慣れた声が背後から聞こえてきた。

 本から目線を外して振り返ると、そこには博士が立っていた。

 アフリカオオコノハズク。フクロウ目フクロウ科コノハズク属に分類される動物の【フレンズ】だ。

 フレンズとは、動物がヒト化したものと言われている。大昔は【アニマルガール】とも呼んでいたらしいけど、今はそう呼ぶフレンズはいない。


「あー、ごめんなさい博士」


 博士はこの地域一帯を治める長だ。大体いつも助手と一緒にいる。

 動物の特徴が出ているのか背が低く、髪や服も白と黒のグラデーションが目立ち、全体的に灰色な印象だ。


「全く……まあ、本を読むのもおまえくらいしかいないですし、多目に見てあげるのです。早めに下に戻しておくのですよ」


 そう一言残して、博士は頭の羽を使って大空へ飛び出していった。

 私はその姿を見送って、本をパタンと閉じた。目の前の積み重なった本の上に読んでいた本を置くと、私は立ち上がって広がっている本を閉じて片付け始める。

 画集や写真集、文庫本や辞典……。様々な種類の本が積み重なっていく。

 纏め終わると、積み上がった本を抱えて階段へと向かった。

 下り階段へ足を踏み入れる直前、ふとそこで立ち止まって、目線を内壁に向けた。

 目の前には空っぽになった大量の本棚が壁に沿って積み上がっている様子しかない。

 所々に窓だった穴があり、その周囲は自然に晒されて著しく劣化しており、そこに収められていた本だけは意図的にそのままの場所に置かれている。

 雨風日光に侵食され、手のつけようがなくなったのだ。

 階段のすぐ脇の本棚にも同じように放置されている本が一冊ある。

 私はその灰色に染まって背表紙のタイトルすら読めない本を手に取ろうと手を伸ばすが──。

 触れたところから砂になって崩れていく。

 背表紙が、ページが、表紙が砂になって、消えていく。

 残ったのは灰色の砂と、表紙に使われていたと思われる原型すら分からない何かだった。


 私は手についた砂をじっと見つめた。


 こういうときだ。よくわからない感情が胸を締め付けるのは。

 少しして、軽く深呼吸してから私は片付けに戻った。


 沢山の本を積み上げて、階段を下る。

 お日さまシステム……太陽光発電システムで作られたエネルギーで光っている照明が、地下通路を明るく照らしている。

 この図書館は蔵書の保管目的で地下室が存在しているのだが、大樹の根に侵されて中心に位置する部屋は全て使えなくなっている。

 唯一使えるのが、第一保管庫という周囲を防壁で固められた部屋と、小さい管理室と電源室のみだ。

 厚い扉を開けて、廊下を進んで突き当たり。これまた厚くて丈夫そうな扉を開けた。

 第一保管庫、今現状この図書館で読むことができる本が納められた【ヒト】の歴史の結晶だ。

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