赤い魔物と魔法使い

小紫-こむらさきー

炎で暁を満たす者


「さぁ、花弁の魔法使いクフェア・フルプレア。こいつらをぶっ潰すついでに世界の終わりでも本格的に願うかい?お前とならかつての力を全て取り戻すのも夢じゃない気がしてきた」


 褐色の肌を見せつけるような華やかで露出の多い格好をしたままの彼女は、腰から下の獅子の身体をぶるると震わせて毛を逆立たせる。


「願いはこの用事を済ませてからちゃんと言ってやる」


 腹に穿たれた穴も塞がり、金色の猫のような瞳を爛々と光らせる焔色の髪を持つ彼女は今すぐにでも走り出したいと言った様子でウズウズしているのが伝わってくる。


「そうだな、あんたとの結婚でも願おうか?」


「そりゃあ面白い冗談だ。じゃあ、さっさとこいつら始末するぞ我が夫よ……なんてな」


「さぁ、決着をつけてやろうじゃねーか」


 軽口を叩きながらケラケラと声を上げて笑った彼女と俺は、目配せをしてから俺たち睨みつけている一角獣ユニコーンとその主人の方へ向き直った。

 


※※※ 


「今日も師匠は帰らない……か」


 忌々しい赤銅色の髪を切って小瓶に入れていく。 

 毎日毎日、つまらなくてくだらない。

 学校も家もなにもかも死ぬまでの暇つぶしみたいなもんだ。数世代遅れの携帯端末も使えやしない。

 同じ暇つぶしなら、こんな惨めな伸びるのが早いだけが取り柄の赤銅色しゃくどういろのくせっ毛なんかじゃなくて、あいつみたいに全部恵まれた状態で生まれたかったなんで思わなくもない。


 伸びるのが早いのも、そもそもそこまで取り柄でもない。肩の辺りまで常に伸びている髪をひとまとめに括っているのも同年代のガキどもに舐められるもとだからだ。


――あなたのあかがね色の髪はね、とてもすごい力を秘めてるのよ


 髪をいっそのこと剃ってしまおうと思うたびに、師匠の言葉を思い出す。

 魔法使いとしても魔術師としても俺の髪は価値があるらしい。

 だから、いやいやながらも師匠がいなくなった今でも自分の髪で編んだ紐を数束ローブの内側に隠し持っている。


 イライラは一向に収まる気配を見せない。俺はムシャクシャする気持ちをどうにも出来ないまま足元に石ころを蹴飛ばす。石ころは転がって道端に咲いているカウパセリとその花に群がる白くて小さな蝶の羽を背負った隣人妖精たちを揺らした。


 何も言わずに行方を眩ませた師匠が残したのは、この羽付きネックレスだけだ。

 ダラダラと学園内に入る時間を先延ばしにしようと歩いていると、ムシャクシャする声が耳に入る。

 通りの向こうにいるあいつ……ルーカがいる。次第に見えてきた完璧を体現した同級生を見て更に気分が下がる。

 風が吹けば清らかな音を立てて靡きそうな絹糸のようなルーカの金色に輝く髪、それに、あいつの碧眼は一点の曇りもない晴れの日の空みたいに透き通っている。

 それにルーカは、俺みたいに誰かからのお下がりのくすんだ色のローブなんかじゃなくて、新品の上等そうな薄紫のローブを身にまとっている。


「御機嫌よう、小さなお嬢さんたち。早く校舎に入るんだよ」


 雲間から顔をのぞかせた太陽に照らされた肌は、俺の青白い色ではなく、陶器みたいになめらかで一点のシミすらない健康的な色をしている。

 猫背の俺と身長も同じくらいのはずなのに、背筋がすっと伸びているせいであいつのほうがすらっと背が高く見えるし、人に囲まれながら柔らかな表情で微笑みを浮かべる様は絵画に描かれている天使みたいだ。まぁ、見た目だけの話ならだけど。


「おはようございますフィニアン卿」

「ルーカ様に朝から会えるなんて……今日も一日がんばれそうです」


 きゃあきゃあと騒ぎながら、ルーカに挨拶をされた下級生の女子たちは古ぼけたレンガ造りの校舎の中へ入っていく。見た目は古ぼけていてぱっとしないのに魔術の名門校だっていうんだから腹が立つ。

 やめだやめだ。今日はサボろう。


 そもそも魔術の才能があるから是非来てくれと妙な女――すぐに俺の魔法の師匠になった――に頼み込まれたから、特待生という条件で俺みたいな親もいない貧乏人がこの学園カレッジへ入れただけだ。別にナニカ学ぼうとか立派な魔法使いにも魔術師にもなろうと思っていない。

 同じ特待生でも、全ての科目でトップの成績を収めているルーカと違って、俺は座学はボロボロ、魔術の基礎である薬学や錬金術の成績ですら下の上がいいところだった。

 取り柄と言える魔法だって今ではろくに使えない。そもそも、使えることは秘密にしておけと言われたので本当に俺は全てにおいて不出来な人間だった。

 赤髪は怠惰で性悪で短気で不出来。言われるのは気に入らないがまさに自分はそんな人間だと自分でもよくわかっている。


「邪魔なんだよ。そこを退け学費泥棒」


 ドンと勢いよく押されてつんのめる。この声の主はふとっちょのパルムだな?


「ああ?こっちだって好きで特待生してるわけじゃねーんだよ」


 体制を立て直しながら、振り向きざまに腕をパルムの顔をめがけて大きく振り抜くと、拳が肉に当たるいい感触がした。


「クソ!不意打ちは卑怯だぞ!頭に血が登りやすいからそんな髪色だってのはマジなんだな」


「もういっぺん言ってみろ!ぶっ殺すぞ」


 校舎の壁に背中を打ち付けて尻餅をついたパルムが、血がダラダラとでている鼻を片手で押さえながら悪態をついた。

 カッとなって、動けないパルムの顔面にもう一度拳を打ち付けようとするが、体を後ろに引かれてよろめく。


「貧乏人だから性格が悪いのか、そんな髪rangaだから性格が悪いのかどっちだ?」


「ドブネズミちゃんにやられてなさけねぇなぁ。オラッ」


 じたばたするけれど、筋骨隆々とした男たちにはがいじめにされているのでびくともしない。

 俺を羽交い締めにしたチップを中心としたクラスメイトの脳筋たちはおもしろそうに笑うと、俺をすぐ近くにあった池の中に投げ入れた。

 バシャンと派手な音がして鼻の奥がツンとする。


「この髪の色もこれで洗えばマシになるんじゃねーか?」


 起き上がろうとした背中を踏みつけられ、底の浅い池に再び体が沈められる。

 俺が逃げ出さないようにしっかりと押さえた脳筋たちが、池に浮かんでいる藻を

木の棒で持ち上げた。


「君たち、わざわざ小鼠を甚振る野良猫のようなみっともない真似はやめたまえ。魔術師として選ばれし力を持つ我らは、この地に住むものをすべからく守るための勇敢な獅子として立ち振る舞うべきなのだから」


 脳筋たちが持っていた木の棒を放り投げ、背中の重みがなくなった。

 忌々しい声がした方を見ると、予想通りそこにはルーカが微笑みをたたえて佇んでいた。


「ちょ、ちょーっと悪ふざけしてただけだよ。なぁニンジン頭」


「……ああ」


 口元だけに笑顔を浮かべて変に汗をかいた脳筋が、立ち上がろうとしている俺にやけに大げさなそぶりで肩をかそうとする。

 それを振り払って一人で立ち上がった俺は、すまし顔をしているルーカを睨みつけた。でも、あいつは俺のことなんて目に入ってないみたいにスッと踵を返して校舎の中へ戻っていく。

 腹が立つ。恵まれたやつから哀れな赤髪への慈悲ってやつかよ。反吐が出そうだ。


「ほ、ほらな。あ、授業に遅れちまう!急ごうぜ」


 脳筋たちもパルムを抱き起こしていそいそとルーカのあとを追いかけるようにして校舎の中へ戻っていった。

 びしょびしょに濡れて全身生臭くなった俺は一人中庭に取り残された。

 あとから廊下を駆けていく生徒たちも、中庭でずぶぬれになっているみすぼらしい俺を見て見ぬ振りをして通り過ぎていく。


 やっぱり赤髪の俺は、名門魔術学園カレッジにはふさわしくない。

 さっき池に投げられたときに足を挫いたかもしれない。少しだけ痛む右足を引きずりながら生徒たちの流れに逆らって歩き出す。


「ぅわ……っと。気をつけてくれよ」


 鈍臭そうな眼鏡をかけた小柄な男が俺に体当たりをしてきた。見慣れない亜麻色の髪をした小柄な男をチッと舌打ちをして睨みつける。

 眼鏡の男はビクッと肩を竦めて無言のまま背中を向けようとした。そうはいくかよ……ムシャクシャしてるし憂さ晴らしを手伝ってもらおうか。


「おいおい、ぶつかっておいてそれはないだろ?なぁ、誠意ってもんがあるんじゃねえか?」


 立ち去ろうとする小柄な男の肩を抱いて寄りかかる。

 真っ黒で上等そうなローブには銀の刺繍で百合の花が縫い付けられている。そこそこ名家の出らしい。


「ひっ……その……悪かった。以後気をつける」


 胸ぐらをつかみ壁に詰め寄ってくる俺に、両手を前に出して小さな抵抗をする眼鏡の男は頭を深く下げて泣きそうな声を出した。


「……おう。気をつけてくれよな」


 じっと見つめたあと、わざとらしくニコニコと表情を変えると、わかりやすいくらいホッとした表情を浮かべた。

 もう行けと手で合図をすると、眼鏡の男は脱兎の如く走って校舎の中へ駆け込んでいった。

 どうやら育ちがいいらしい。多少不自然に体に触れたってのに自分のものがすられてるなんて想像すらしないんだろう。


「まぁ、これくらいもらってもいいだろ。ちょっとは値がついてくれりゃあいいんだがな」


 肩を抱いたときに拝借したのは、黒く塗られた手のひら大の木箱だった。

 やけに光沢のあるその箱の蓋は、血のように赤い紐で十字に留められている。

 調べてみたけど特に盗難防止のための魔術の気配はしない。臨時収入もアテも出来たし、今日はサボって街の方へ出てみるか。


 不思議な木箱をローブの内側にしまった俺は、さっさと学園からおさらばすべくひと目のない校舎裏へ急いだ。

 さっきの小柄な男が無くし物に気がつくと面倒だ。


 校舎裏には、懐かせているクレマチスの隣人花の妖精がひとりいる。こいつに頼めば一瞬で学園の外に俺を運んでくれるだろう。

 教師や他のやつらにはこいつら妖精たちが視えないし、視えたとしても話そうとしないんだからおめでたい。小さな隣人たちこいつらは願い方さえ間違えなきゃ便利に使えるってのに「そんなことは魔術書には書いていない。隣人妖精たちの力を借りるには段階があり、彼らの気まぐれに頼ることは魔術師として云々」といちいち出来ない言い訳を吐き出してきやがる。


 これは師匠から教わったことだ。隣人妖精たちは与えたものには多くもなく少なくもない相応の対価を渡すものだって。


「gwallt coch hardd Dynol Rhowch y trysor i mi」


 こいつらは何を言っているのかはわからない。でもこうすれば大体言うことを聞いてくれるのは知ってる。

 俺は、師匠みたいに隣人妖精と言葉を交わせるわけじゃないからうまくいかないことも多いけど。

 ローブの内側に忍ばせておいた自分の髪を編んで作った紐を薄紫色のロングドレスを身にまとったクレマチスの隣人妖精の小さな小さな手に乗せる。


「Byddai'n braf. Os gwelwch yn dda yn dymuno」


 手渡した髪を見つめたクレマチスの隣人妖精は、いつもどおり、聞き取りにくい言葉を発しながら大きく頷き、得意げに胸を張った。

 準備ができたらしいので、さっそく両手を組んで校舎の外に出してくれと念じながら目を閉じる。

 ふわっと浮く感覚がして、頭の中がぐにゃっとし終わったら移動完了の合図だ。行きたい場所を思い浮かべても髪を多めに渡しても出る先は校舎の外なので髪の毛と引き換えにできるのはここまでということなのだろう。


「この頭のせいで俺は怠惰で出来損ないで手癖も悪いんだ。これくらい役得があったっていいだろ」


 今日はやたら移動の時間が長いな。

 目を開けたくなるのを耐えながら師匠に「ぐにゃぐにゃーってしてるときに目を開いたら空を飛べるかな?」と聞いたときのことを思い出す。

 空を飛ぶ約束はしていないから……と前置きをした師匠は、隣人妖精との約束を破ったり、相手を疑うと、怒った彼らにガマガエルにされたり、カタツムリにされるって、珍しく真面目な顔をして言ってたっけ。

 そんな子供だましをこの年になってまで信じているわけじゃないけど、得にならない実験なんてしたくない。


――Dyma ble wyt ti?


 いつもなら数秒もすれば変な感覚は終わる。でも今回はそれがやけに長く感じる。

 それに変な声も聞こえてきた気がする。空耳か?クレマチスの隣人妖精が話す言葉と似ているけれど声が違う。


――Aut ubi sum?


 なんだ?これは目を開けたほうがいいのか?女の声に呼びかけられてるってことはわかる。

 今度も聞き慣れない言葉だ。何を言ってる?すぐ近くから聞こえてるのはわかる。

 

 それになんだかさっきいただいた木箱がやけにガタガタ揺れて熱い。

 声もだんだん大きくなっていて、苛ついているように思える。


 子供騙しを信じているわけじゃない。きっと目を開いたところで大したことにはならないさ……と思うけど、とりあえずこの声の主に話しかけてみることにする。

 こいつに俺の言葉が通じれば、無駄に隣人妖精を怒らせずに済むわけだし。


「なぁ、さっきからなんなんだ?俺を呼んでるのか?」


――Arhoswch ychydig少し待て


 よくわからない声にかぶせて、分かる言葉が微かに聞こえた気がして不安でぐるぐるしていた気持ちが少しだけ和らぐ。

 ただでさえ足場はふわふわして踏ん張れないし、頭の中も体の中もぐるぐるかき混ぜられているような変な気分なんだ。

 早く面倒なことなら終わってくれ……そう思っていると、さっきまでガタガタ揺れていた木箱の気配がない。

 確かにローブの袖口に忍ばせていたはずだったし、今の今まで俺の腕に触れていたはずなのに。


「目を開けてもいいぞ。花の小娘に話は通した」


「ったく。なんなんだ」


 パッと目を開けると、見慣れない部屋の中央にいることに気がつく。

 曲線を描いている壁には継ぎ目も窓も扉もない。天井にはやけに豪華な金色のシャンデリアがぶら下がり、目の前には細工を施した金で縁取られた瑠璃色の円卓がどっしりとした威圧感を放っている。

 手をそっと置いてみるとひんやりと冷たい。

 閉じ込められた?あの眼鏡の野郎から拝借した木箱に偽装を施した盗難防止の魔術でもかかっていたのか?

 円卓と同じ材質で造られているベンチを見ながら考えを巡らせていると視線を感じた。


幽世かくりよで私を目覚めさせたことは褒めてやろう。お陰で固有結界部屋を作るのが楽だった」


 さっきまではいなかったはずの人物が、床から染み出してきたかのように浮かび上がる。

 腰まである血のような紅い髪は歩くたびにサラサラと揺れ、体のラインを強調させている短い上着と腰に巻いているスカーフはどちらも上等な生地のようだった。

 縁取りには金の糸の刺繍がふんだんに使われているそれは、動くたびにヒラヒラと揺れて異国情緒あふれる甘い香の香りが漂う。


 褐色の肌を見せつけるかのような露出の高い扇情的な格好をした女は、首にも腕にも宝石を惜しむことなくはめ込まれた金の装飾品を身に付けている。

 キラキラと光る金の編み靴を鳴らしながら歩くと、腰布の縁に施されている金貨の装飾品が揺れてシャラシャラと楽器のような音を奏でた。


「さて、人間。お前は私に何を願う?」


 獰猛なヤマネコを思わせる大きな金色のツリ目で俺の顔を捉える。見た目は俺と対して変わらない年齢の少女のように見えるが、中身はとてつもなく邪悪で異質なものだということがわかってしまう。

 長く紅い爪が伸びた両手で俺の顔を挟んだ女は、薄く形の良い唇の両端を持ち上げた。


「願いも何も……一体何なんだよ……お前は誰だ」


「ふむ……何も知らずに私を目覚めさせたのか。お前は愚かな人間の中でもとびきり愚かな部類のようだな」


 ニヤリと笑ったまま、女は言葉を囁く。

 その声は、脳を内側からゾリゾリと削ぎ落として抵抗する気力も、反抗心も奪っていくような気がした。


「教えてやろう。私は炎であかつきを満たす者……人の魔力を食らって生きながらえてきた神話の残滓ざんしさ」


「神話の……残滓ざんし?」


「お前の姿を見るに、どうやら久方振りの目覚め……というわけではないな。ふむ……どうしたものか」


 俺から離れた女が、細くくびれた腰に手をあてがい、周りを見回したときだった。

 鋭い破裂音が響き、滑らかだった壁に一筋のひびが入る。


「おっと……おしゃべりはここまでのようだな。どうやら他の人間が私に気がついたらしい」


 ヒビが大きくなり、床がグラリと横に揺れる。


「ここは崩れるぞ。こっちへ来い」


 よろけそうになる俺の首元をグイと掴んで肩に担いだ女は、ヒビ割れが大きくなっている床を軽く蹴って飛び上がり、拳で天井を叩き割った。

 顔に布が触れる。蛇みたいに這って顔を移動したかと思うと、その布に目元を覆われた。

 視界が奪われているけれど、女が俺を抱えたままものすごい速さで動いているのはわかる。

 ビュンビュンと体の近くをなにかがものすごい速さで掠めているが、それを確かめるすべは今の俺にはない。


 あっという間のような、数時間のようななんともいえないときを過ごした俺は急に手を離され床にドサッと落とされた。

 顔に巻き付いていた布も同時に取れたようでいきなり目に飛び込んできた光が痛く感じる。


「何故、お前が空の炎スカイフラムと共にいる?」


 床に這いつくばったまま聞き覚えのある声の方を見る。

 やっと視界が光に慣れてきた。


「知らねーよ」


 何故か目の前にいるルーカにそう返して立ち上がる。

 この女がなんなのかも、学園カレッジの外に行こうとしていた俺がなんで薄暗い石室こんな場所にいるのかもこっちが聞きたい。


「知らないのなら丁度いい。そいつはお前なんかには過ぎたものだ。僕に大人しく手渡せば悪いようにはしない」


「お前なんかにはってどういうことだよ」


 やっぱりこいつは苦手だ。いい子ぶってる癖に心の底では俺の髪色を馬鹿にしてるのが隠しきれていない。

 冷たい視線のまま口元だけ笑みを作ったルーカは、相変わらずスカした様子でサラサラとした前髪を指で弾くと腕組みをして顎を少しばかりあげた偉そうな態度でこっちを見た。


「これは失礼。鼠にもわかるように伝えてやろう。金が欲しいなら好きなだけくれてやる。だから早く空の炎スカイフラムを渡せ」


「……ああ?」


―― Rwy'n cael rhwystredig気に入らないねぇ


 俺がルーカに言い返すのと同時に女の低い声が頭の中に直接響いた。

 不遜な態度を崩さないまま、空の炎スカイフラムと呼ばれた女は俺の体を抱き寄せるように引き寄せ、親しげに体を寄せる。

 ルーカの眉間に深い皺が刻まれるのを見て、ニタリと笑った空の炎スカイフラムは俺の顔をさっきしたみたいに両手で掴んで自分の方へ向ける。


「この色は炎の色、大地に流れる地脈の色……赤が優れていないなんてことはないのさ」


 吐息が鼻にかかる距離にまで近付いた彼女の顔の中心に爛々と輝く金色の光が揺らめく。

 赤く薄い唇から熱く甘い香りの吐息が漏れているのがわかる。


「坊や、空の炎スカイフラムなんて無粋な呼び方をしたのが失敗だったねぇ。それに」


 キスでもされるのか……と焦って身を捩って回避しようとしたその時、女の顔がルーカの方へ向いて内心ホッとする。

 俺の顔を放した女は、モデルのように艶かしい様子で数歩前に進むと、両手を腰に当ててルーカと俺の間に立つ。


「私は金色よりもこっちのあかがね色が好きなんだ」


「っち。赤頭は怠惰故に魔に憑かれやすいということか」


 薄く輝くローブを翻したルーカが舌打ちをして顔を歪める。

 ぶっ殺すぞと言いながらルーカに飛びかかりそうになる俺を女は細い腕一本で抑えると呆れたような顔をした。


「そうじゃないよ。こっちのちびよりもあんたの物言いが気に入らないだけさ」


「ならば、力尽くで奪ってやろう。稲妻の網Net made of lightning 小鳥の檻caged bird 矢のようになれLike an arrow


 薄い唇を歪ませて見たこともないような邪悪な笑みを浮かべたルーカが片手を横に突き出すと、石室の壁にビリビリという音とともに蒼い稲光が走る。

 横に突き出した両手をこちらに向けたかと思うと、壁から無数の鋭い稲妻が俺たちの方へ真っ直ぐに向かってきて足元に大きな穴を幾つも穿つ。

 

「次は当てる。死にたくないなら空の炎スカイフラムを置いていけ」

 

 こいつマジかよ……。攻撃用の魔術を使ってくるなんて反則だろ。

 嫌な汗が背中を伝う。ここで死ぬよりは金をもらってこのわけのわからない女を置いていくほうがどう考えても得だ。

 髪色を馬鹿にされたのは腹が立つ。でも、攻撃用の魔術を使ってこられたら俺に勝ち目はない。


「……こんな子供騙しで脅そうってのかい。ったく今のガキは躾がなってないね」


 何を言ってるんだこの女は。

 そう思って俺の横で大きな欠伸をして不遜な態度のまま立っている空の炎スカイフラムを見る。

 こんなの食らったら人が死ぬんだぞ?人間は石でできた床よりも柔らかいんだ。


「……人間、あんたがちび妖精たちに渡してるものをあたしにも寄越しな。心臓とまではいかないけど目玉とか腕とかあるだろ」


「は?」


 突然のゴア表現に思考が阻まれる。さっきも思ったけどこんなときに何言ってるんだこの女。

 腕とか目玉なんてそうそう誰かにやるものでもないだろう。

 ルーカはさっきと同じ呪文を唱えたのか、石室の壁に再び蒼い稲光が走る。


「死にたくないならさっさと渡せってば。あの花のお嬢ちゃんに渡したもんと同じでいいんだよ」


「例え方が悪いんだよ!脅かすな」


 花のお嬢ちゃんという言葉でやっとピンときた俺は、少し前にクレマチスの隣人妖精にしてやったときと同じように自分の髪を数本抜いて空の炎スカイフラムが差し出している掌に乗せた。


「最期の痴話喧嘩は終わったか?僕の魔術を馬鹿にしたんだ。空の炎スカイフラムといえど容赦しないぞ」


 苛立たしさを隠しもしないルーカが再び横に伸ばした手をこちらに向ける。

 ハッとしたときにはもう目の前に真っ青な光が迫っていた。


守りの壁Mur amddiffyn


 熱風と共に真っ赤な壁が目の前に出来上がって光とぶつかり合う。

 俺の髪先を少し焦がした壁は炎で出来ているみたいで、金色と赤を水面のようにゆらめかせながら浮かんでいる。


「あはっはあ!こりゃあいい。下手な魔術師の腕よりも燃費がいいじゃないか」


 高笑いをしたかと思うと空の炎スカイフラムは両手を腰に当てたままふぅっと吐息を吐き出す。

 吐息だったものは唇の少し先から真っ赤な炎になると部屋中を炎で埋め尽くした。

 もう一度吐いた吐息が、今度は蛇のように変わると空中を這ってルーカに向かって進んでいく。

 ローブを焦がすことなくいけすかないルーカを捉えている炎の蛇を見ていい気持ちになっていたはずが、急にこみ上げてきた吐き気で視界がぐらつく。


「……ありゃ。そんなうまいことはいかないか」


 空の炎スカイフラムは、倒れそうになる俺をひょいと片手で担ぎ上げると、空いている方の手でパチンと指を鳴らした。

 パッと赤い光が目の前に広がってあっという間に目の前から石室だった場所が消えていく。


 頭が割れるかと思うくらい痛いし、視界はやけにぐにゃぐにゃする。どこかで見たような部屋が目に入ったかと思うと俺の意識はそこで途絶えた。


※※※


「起きたかい?ここが残ってて助かったよ」


 温かな光が瞼を照らす熱さに耐えきれずに目を開くと、褐色の肌を露わにした燃える炎のような髪の女性がこちらを覗き込んでいた。

 まるで太陽が嵌め込まれているみたいに金色に輝く二つの吊り眼は俺の瞳を捉えると少し目尻の角度が和らぐ。


「ここは……師匠の……」


 どうやらベッドで眠っていたみたいだ。

 体を起こすと、木目が美しいよく見慣れた白木の壁が目に入る。

 窓辺の横に置いてある古ぼけたライティングビューロー、壁に飾られたまじないの品、干した薬草や枯れることがない花たち……どうやらここは去年俺を置いて失踪した師匠の部屋だとすぐに気がついた。


「あんたにも縁がある場所なのか。そりゃいい」


空の炎スカイフラム、お前はなんだ?」


 俺の師匠を知っているのか?何故?

 ギシッと音をさせながらベッドの端に腰を下ろした空の炎スカイフラムを睨みつける。

 しかし、彼女はそんなこと気にしないどころか逆に俺のことを鋭い視線で睨み返してくる。


「その無粋な呼び名を使うな。言ったろ?私は炎で暁を満たす者Llenwi'r y fflam awyr wawr


「だから……その発音は俺にはなんて言ってるかわからないっての……」


 怒るツボがわからない上に無粋かどうかなんて俺にはわからない。が、大層な剣幕なので両手を挙げて降参だという意思を示す。


「ふん。古い言葉もわからないなんてどうなってるんだ。神秘と繋がる眼グラムサイトの魔女はわかったぞ」


 両腕を組んでフンと鼻を鳴らした空の炎スカイフラムは、師匠の二つ名を口にしたあとしばし、視線を宙に泳がせた。


暁を満たす炎Fill the dawn sky flame……フィールだ。あの魔女は私をそう呼んだ」


「フィール、お前は一体なんなんだ?」


 やっと呼び方がわかったところで、再び疑問を口にする。

 いつ師匠と出会ったのかとか、師匠の居場所をしっているのかとか、聞きたいことは山程ある。

 でも、返ってきたのはそんな具体的なことではなかった。


「言っただろ?私は神話の残滓ざんし。神に封じられてこの世界に残された化け物の生き残りさ」


 ちがう、そんなことを聞きたいんじゃない……そう言おうとして俺は考えを改める。

 今更、俺を捨てていなくなった師匠のことなんて聞いてどうするんだ。冷静になって、俺はフィールと名乗ったこの焔色をした髪の女が最初に言ったことを思い出す。



――お前は私に何を願う?



 そうだ。どんな目的なのかはわからないが、こいつは願いを叶えてくれるらしい。

 だから、あのいけ好かないルーカもこいつを手に入れようとあんなことをしてきたんだろう。


「……そういや、俺があんたに世界の終わりを願ってたらどうなったんだ?」


「はっはあ!そりゃ私としては願っても無いことだけどね、その願いが本気だったとしても今の力じゃちょっと無理だ。せめて私の器が取り戻せれば……少しは望みがあるんだろうけど」


 冗談だと思ったらしいフィールは、大口を開けて笑う。笑いすぎて涙でも出たのか、細くて長い指で目尻を拭って俺の方を再び金色の眼で見る。


「器を取り戻せば、俺にこの世界が終わる様を見せてくれるのか?」


「器だけでどうにかなるほどこの世界はもろくないよ。そうだね……バラバラにされた私の本当の魔力を見つけられたら、その様を特等席で見せてやろうじゃないか」


 真面目な顔をしてグイと彼女に顔を近付ける。少し戸惑ったりすると思ったが、フィールは口の片方を持ち上げてニヤリと笑ってみせた。


「……ま、お前のそれが本気ならだけど」


 鼻先をツンと指で弾かれて首を仰け反らせる。

 見た目は同じ年齢くらいだというのに、まるで大人と子供だ。まぁ、彼女の言っていることが本当なら祖母と孫以上に年齢も離れていることになるので仕方のないことだけど。

 特に願いなんてない。退屈な毎日を終わらせたくて口にしてみただけだ。

 だけどなんとなく格好が付かなくて、からかうようなフィールの顔を見てもう一度冗談めいた願いを口にする。


「本気だよ。今の所はな」


 ベッドの端に座っていたフィールは、立ち上がって数歩前に出る。

 シャラシャラと金で出来た装飾品が音を奏でて、焔色の長い髪が揺れる。


「ああ……でもまぁ……そうだね、時間はかかる。だから願いを変えたくなったらいつでも言いな」


 後ろを向いていた彼女がそう言いながら振り返る。金色に光るヤマネコのような眼の瞳孔を針のように細めた彼女は禍々しいオーラを発しながらこう続けた。


「あんたの目玉や腕はうまそうだ。それを対価にすれば簡単な願いなら叶えてやろう。そうだな……気に入らないやつを殺す呪いや、神代にあった魔法を教えるとかなら今でも出来るぞ?」


「そりゃ俺の破滅願望を止めてるってことでいいのか?」


 ここで怯むなんてガキみたいな真似はしない。

 身が竦みそうになるのを耐えて、強がりながらそういうと、フィールはいつもの表情に戻って今度は親しげに笑ってみせた。


「世界を巻き込んだ癇癪を起こそうってのも私の時代にはよくあることさ。気が済むまでやればいい。これも縁だ。あかがね色の髪を持つ人間、あんたの癇癪に付き合ってやるよ」


 癇癪と言われたことは少し不服だが、そこまで強く否定もできない。

 永く生きてきた彼女からすればそう思えてしまうこともあるのだろう。

 でも、俺はこの退屈な俺の世界を壊してしまいたい。少なくとも今はそう思ってる。

 だから、手を差し出してきた彼女の両手に自分の両手を絡めて握った。


Yr wyf私は Llenwi炎で'r y fflam awyr wawr暁を満たす者  Perfformio addunedここに誓おう  By私 はddaf yn eich gleddyfお前の剣になり B私 はyddaf yn eich darianお前の盾になる  Hyd neお前のs eich bywyd yn wywo命が枯れるまで


「クフェア・フルプレア……我こそは神秘と繋がる眼グラムサイトの魔女に連なる花弁の魔法使い。私の力はお前の力。私の体はお前の体。この生命が枯れ魂が砕けるまで炎で暁を満たす者Fill the dawn sky flameと……ここにほどけぬえにしを結ぶ」


 絡み合わせた指が熱くなる。

 顔の前で組み合わせていた手を膝に下ろすと、炎で出来たアマリリスの花が一輪、自分の手から生えてきた。

 師匠がしていたような良き隣人たちの力を借りる地味な魔法ではなく、小さな頃に本や漫画で読んで憧れていた魔法きせきが目の前にある。

 普段は忌々しいこの髪の毛すら、少しだけ、魔性の者に好かれやすいこんな髪でよかったと思えた。


 生えてきた炎のアマリリスは、首がもげるみたいにポトリと花の部分を手の甲へ落とす。

 一瞬熱さを感じた部分から、アマリリスの花を模した紋章が描かれていく。

 花の紋章は、キラリと金色の光を帯びたかと思うと真っ赤な色の痣として残った。これがおそらく何らかの契約の証なのだろう。

 

「人間、お前のあかがね色をした髪は本当に綺麗だな」


 そう言われて結ってある髪に触れられて初めて自分の髪が肩甲骨の下辺りまで伸びていることに気がつく。

 伸びるのが早い俺の髪は数日切らないとすぐにこんな長さになるからうんざりする。


「待てよ。俺はどのくらい寝ていた?」


「そうだな……ざっと三、四日というところかな」


 サボりたいだとかやめたいと思っていたにもかかわらず、無断で学園をそれだけ休んでいた事実を目の当たりにしてスゥッと血の気が頭から引いていくのがわかる。


「……まだ、俺の籍はあるのか……」


 やめたいやめたいと言っていたが、寮を今追い出されるのは困る。俺には身内がない上に身元を証明するものは学園の在籍証だけだ。


 ルーカとやりあったときとは別の目眩を感じて、思わず額に手を当てていると得意げな顔をしたフィールが俺の顔を覗き込んできた。


「安心しろ。力が不完全だとはいえ並の魔術師共なら記憶を弄れるぞ」


 ルーカと対峙したときの何倍も、フィールのことを頼もしく思った瞬間だった。

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