雲のお菓子屋さん

赤瓦

雲のお菓子屋さん

高い高い丘のてっぺんにある不思議な塔の一番上に、不思議なお菓子屋さんがありました。


お菓子屋さんを切り盛りしているのは一人の青年。

青年は毎日一人で雲を集めてお菓子を作ります。


不思議な塔の周りにはふもとの村の村人たちの呟きが集まってきます。

嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと、楽しいこと、そんな心の呟きが雲となってふわふわと空に上がっていき、塔の周りに集まるのです。

青年はその雲を大きなフォークでかき集めて、まとめて練って焼き上げてお菓子を作ります。

青年のお菓子は村でも世界で一番だと大人気でした。


ある日、青年がいつものように雲を集めていると塔の下から泣き声が聞こえてきました。

不思議に思って下をのぞくと小さな女の子が泣いています。

青年は尋ねました。

「どうしたんだい?なんで泣いているの?」

少女は突然の声に驚いたのか、あたりをきょろきょろと見渡しています。

青年はさらに続けました。

「上だよ、塔の上に登っておいで。」

長年一人でお店を切り盛りしている青年、それはそれは優しい声色でした。

青年の姿に気が付いて、おっかなびっくり上を見上げていた少女ですが、ゆっくりと塔の中に姿を消しました。


しばらくするとお店のドアに取り付けてあるベルがからんからんとなりました。

雲を集めていたフォークを置き、お店のほうに行ってみるとそこに立っているのは先ほどの少女です。

「いらっしゃい、まずは顔を洗ってくるかい?」

青年が優しく話しかけると少女は頷き、青年が指差した先の洗面所へと向かいました。

その間に青年は子供用の足の長い椅子と冷たいミルクを用意します。

青年のお店はお茶も楽しめるようになっていますが、大人用のテーブルと椅子しか用意していないのです。


そうしている間に少女が洗面所から帰ってきました。

洗面所に置いてあった踏み台は少女には低すぎたのか、袖が濡れてしまっていました。

青年は苦笑して、まずハンカチで少女の袖を拭いて、それから椅子に座らせてあげました。少女は泣きはらした目で何も言わずにされるがままです。


「ミルクは好き?ジュースのほうがよかったかな?」

青年の問いに少女は首を縦に振り、横に振ります。どうやらミルクは好きなようです。


安心した青年は、少女の向かいの椅子に腰を下ろしました。

少女は相変わらずだんまりと口を閉ざしたままです。

ちびちびとミルクに口をつけては、何かを我慢するように下を向きます。

青年は尋ねました。

「どうしてあんなところで泣いていたんだい?」

少女は黙ったままです、唯、目尻にじわりと涙が浮かびました。

青年は待ちます。だんまりの少女に合わせるようにだんまりを決め込んで待ちます。


いくらか時間がたったのち、少女がゆっくりと口を開きました。

「…学校でね、お遊戯があるの。」

ちいさなちいさな声でした。

「私、すごくつまらない役をやるの。嫌な役なの。…ほんの少しの出番と台詞なのに、とても嫌な役なのよ。」

「それが嫌で泣いていたの?」

ぽろり、と少女の目尻から涙が零れました。

「お芝居をやるの、すごく楽しみで…おとうさんもおかあさんも、楽しみにしてくれているの…でも、そんな役になって………」

ぼろぼろぼろぼろ、少女の涙は止まりません。

青年はそっとハンカチを彼女に差し出しました。さっきので悪いけれど、と苦笑付きで。

「少し待っていて。」

青年はそう少女へ言うと、厨房へと向かいました。


厨房には先ほどかき集めた雲があります。その中から青年は黄色っぽい雲をまとめて練って生地を作りました。そこにお砂糖、卵、ミルクを加えてよく混ぜ、フライパンできつね色に焼き上げていきます。

あっという間においしそうなパンケーキの出来上がりです。

「お待たせ、パンケーキは好きかい?」

お皿を持って戻ってきた青年の声に、コクリと少女はうなずきました。

青年はにっこりと笑って、少女の前にパンケーキを置きます。

「僕からのサービスだよ、どうぞ召し上がれ。」

パンケーキを一口食べた少女の顔に笑顔が浮かびました。

青年の集めた黄色い雲は村人たちの「楽しい」という心の呟きの雲でした。

青年は少女に楽しくお芝居をしてほしかったのです。たとえ嫌な役だとしてもお芝居には必要な演出だと感じたからです。そんな娘を見て両親も悲しくなるはずがない、と。

「ごちそうさま、とってもおいしかった!」

あっという間にパンケーキを食べ終わった少女の顔にはもう涙はどこにもありません。

「それはよかった、また悲しくなたらおいで。僕にはお菓子をあげることしかできないけれど。」

そういった青年に少女は笑顔で二回目のお礼を言いました。


少女が帰った後、青年は窓から空を見つめました。黒っぽい小さな雲がぽつりと浮かんでいます。先ほどの少女の心の雲でした。

大きなフォークで手繰り寄せて、ためしに少し口に含んでみます。

悲しい、悔しい、苦しい、その雲はとても苦い味がしました。

少年は苦笑します。

「これはとてもお菓子には使えないな。」

集めた黒い雲を空の上へと放り投げました。

風に流れに乗って雲は彼方へと消えていきます。

仕方のないことなのです。青年は人を幸せにするお菓子屋さんなのですから。


それから少女は青年の店の常連客になりました。

悲しいことがあると少女は目を腫らして青年のお店にやってきます。

そのたびに青年はミルクをだし、ハンカチを渡し、お菓子を振舞いました。

たまにそのハンカチを返しにやってくることがありましたが、結局ため込んだ不満を青年にぽつりぽつり零し、結局彼女は返しに来たハンカチを持って帰っていました。

また、そのたびに青年は少女の黒い雲を放り投げ続けました。


少女が徐々に大きくなっていき、青年とそう変わらない年になったころでした。

唐突に、彼女が店にやってこなくなりました。

青年は不思議に思いつつも、仕事の手を止めるわけにはいきません。

青年のお店にやってくるのは少女―否、彼女だけではないのですから。

毎日毎日、雲を集めてはお菓子を作り続けます。

ただ、前と違ったことといえば青年の心の中にもやもやとした薄暗い雲ができたことでした。


***


ある日、唐突に彼女が店に訪れました。

彼女は青年よりもずっと大人の女性になっていました。

彼女は嬉しそうに微笑みながら言いました。

「今度結婚することになったの。ケーキとお菓子を作ってほしいんだけど、頼めるかしら?」

青年の胸がちくりと痛んだ気がしました。

彼女は続けます。

「それとね、招待状を持ってきたの。貴方にも式に参加してほしくて。」

白いきれいな封筒でした。

「ありがとう、でもお店を空けるわけにはいかないから。」

そう青年が言うと彼女は残念そうな表情を浮かべていいます。

「貴方にはとてもお世話になったかぜひ来てほしかったのだけれど、残念だわ。いつもいつもありがとう。」

ふわり、と微笑みを浮かべて彼女は言いました。

もう涙で目を腫らしていた少女はどこにもいません。

青年の目には全く別の人に見えていました。


彼女が店を出た後、青年は窓の外を見てみました。

いつも浮かんでいたあの黒い雲はどこにも見当たりません。

いつも捨ててしまっていたあの雲が見当たらないことが、なぜかとても残念でした。


彼女の結婚式の日、青年は初めてお店をお休みにしました。

朝早くに集めた雲はみんな嬉しそうで楽しそうで、おいしいお菓子がたくさん焼けました。

特別幸せそうな雲で大きなウエディングケーキも作りました。これはきっと彼女とその旦那さんの心に違いないと確信が持てたからです。

大きなケーキとたくさんのお菓子を抱えてやってきた青年を、彼女はとてもうれしそうに迎えてくれました。

彼女の旦那さんも紹介してくれました。

無口で笑顔の少ない男性でしたが、とても意志の強い瞳を持っていました。

仏頂面の旦那さんに彼女は困った顔を浮かべています。

「いつもこの調子なの。私と結婚するのが嫌なのかしら。」

青年の胸がまたちくりと痛みました。ですが、長年一人で店を切り盛りしている青年。笑顔はなれたものです。微笑みを浮かべて、彼女に言いました。

「大丈夫、今日はとてもおいしそうなケーキが焼けたんだ。君と旦那さんの幸せがたくさん詰まったケーキだ。そんなケーキを食べれば、旦那さんだって笑顔を見せてくれるはずさ、昔の君みたいにね。」

彼女は笑ってくれました。


ケーキとお菓子を届けて青年はその場を後にしました。

式には参列しませんでした。

彼女は残念がっていましたが、青年はお店を言い訳に塔へと帰りました。

塔についてもお店は閉店のままにしておきました。

ふと、青年は窓の外をみてみました。

するとそこには黒い小さな雲が浮かんでいました。

彼女が涙を流しに来るときに浮かんでいる雲にそっくりでした。

久しぶりに見たその雲に青年は驚きます。だって彼女は今幸せの真っただ中の筈なのです。

いそいでたぐり寄せて口に含んでみると、黒い雲は苦い味がしました。

ただ、彼女の雲よりももっともっと嫌な苦い味がしました。

悲しくて、苦しくて、悔しくて、全部をぐちゃぐちゃにして練りこんだ苦い味。

いつしか青年の目からは涙が溢れていました。

ぼろぼろぼろぼろ、あふれる涙は止まりません。

青年は涙を止めるすべを知りませんでした。

雲を集めようにも浮かんでいたおいしい雲は全部彼女の元へと持って行ってしまいました。

青年は一人厨房で泣き続けます。


どれくらい泣き続けたでしょうか。ふいに、からんからんとベルの音がしました。

青年は驚いてお店のほうに目を向けます。

そこに立っていたのは何故か水浸しの彼女でした。

びしょ濡れになった彼女は厨房へと歩いてきて青年を見つければ、微笑んで言いました。

「どうしたの?なんでないているの?」

青年は涙をこぼしながら首を横に振ります。

彼女はポケットから何かを取り出して青年渡しました。

青年が彼女に貸し続けたハンカチでした。

そして彼女は待ちます。何もしゃべれない青年に合わせるようにだんまりを決め込みます。


いくらか時間がたったのち、青年がゆっくりと口を開きました。

「わからないんだ…どうして、こんなに悲しいのか、僕にはわからないんだ」

泣き疲れて随分としゃがれた小さなで声でした。

しゃくりあげながら泣き続ける青年に優しく彼女は微笑みます。

そして、青年の頭をなでながらいうのです。

「わからないんなら、泣けばいいわ。泣きたくなくなるまで思いっきり泣けばいいわ。涙がしょっぱいのは自分の中の嫌なものが溶け込んで外に出ようとするからなんですって。」

彼が教えてくれたのよ?と彼女ははにかみます。

「だから、我慢なんてしなくていいの。無理に楽しくならなくたっていいの。だって苦しくなるのは楽しいことがあるからだもの。楽しいことをするために、苦しいことも忘れちゃいけないの。」

そういった彼女の微笑みはとても綺麗でした。

あの日から青年が彼女に与え続けた「喜び」よりも、ずっとずっと綺麗な笑顔でした。


青年は大声で泣きました。

目が腫れて、喉が痛くなって、胸が苦しくても泣きたくなくなるまで泣きました。

彼女はそんな青年にずっと付き添ってくれました。

何を言うでもなくだんまりしたまま、時折青年の頭や背中をなでながら、青年が泣き止むまで一緒にいてくれました。

青年は初めて流した涙を彼女と空に託して、一晩中泣き続けました。



その夜、ふもとの村ではずっと雨が降っていました。

黒い雲は村を覆って、ずっとずっと、悲しげな雨音は響き続けました。




***


高い高い丘のてっぺんにある不思議な塔の一番上に不思議なお菓子屋さんがありました。

お菓子屋さんを切り盛りしているのは一人の青年です。

毎日毎日青年は村人たちのためにお菓子を作り続けます。

楽しいこと、嬉しいこと、幸せな思いを練りこんでおいしいお菓子を作ります。


ただ以前と少し違うところがありました。

ショーウィンドウの隅にはそっと、ほろ苦い大人のお菓子が置かれるようになりました。

何もかもにつかれてしまったとき、ほんのひと時子供のころを気持ちを取り戻せるような、切ない味のお菓子です。




そんな青年のお店には最近新しい常連さんが増えました。

花のように笑って、嵐のように泣く、彼女によく似た少女です。


今日もからんからんとお店のベルが鳴りました。

青年は笑顔で向かえます。


「いらっしゃい、今日はどんな気分だい?」


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雲のお菓子屋さん 赤瓦 @AO0910

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