Hな話
いや、タイトルに悪意がありますね。
ツイッターでエロ本を探す母親というネタのツイートが回ってきたのがこの記事を書くきっかけなんですが、実のところこの問題はずっと個人的に不思議でしょうがないことだったりします。
何の話かというと『エロいもの』についての問題。
まずエロって言葉でくくりはしますが、性に関する知識や営みって人間である以上切り離すことはできず、必要なものであるわけじゃないですか。
でもエロって全部ひっくるめて社会的に否定されてると思うんですよ。
この母親が子供のエロ本を探すっていうのに集約されていると思うんですが、じゃあなぜ母親(社会)はエロ本(エロ全般)を否定するのでしょうか?
これに対する否定の理由として、人間の理性的な社会構築に必要と言われれば、そうじゃないだろうと思いますし。また、子供に対して悪影響と言われれば“じゃあ何が悪影響なのか?”についてはみんな考えもせずに否定するわけです。
個人的にここら辺の事を自分で考えてみると、社会構築については全く別の問題ですよね。社会を作るうえでも性の営みは関わってきますし、何より理性的な社会っていうならそれこそ理性的である場所と時間、性について使う場所と時間、それぞれを使い分けることが必要と言うだけです。それができないから性を排除するというならそもそも社会を否定するのと同じです。人間社会に性は必要ですから。理性と欲としての性を使い分けられないならそれこそその使い分けられない人が未熟なだけで、公私混同はなはなだしいわけです。
未成年に対する悪影響を考えた場合でも、まず何がどう悪影響なのかの定義が定まっていない気がします。私が知らないだけかもしれませんが一般的に悪影響の内容について詳しく語れる人はあまりいないと思います。私個人で悪影響の内容を考えてみると、まずエロさの問題。一般的な性の営み以上に過激なエロ表現であるならば何らかの精神的なショックを与える可能性があるのでそれは規制されるべきでしょう。それこそ十八禁というやつです。ですが、エロすべてを規制するのは違う気がします。性の目覚めは個人差があるものであり、正しい知識と指導が必要なものでもあると思います。その結果からエロ全てを規制、あるいは否定する態度はちょっと違うのではないかと思うわけです。年齢による規制、ゾーニングを叫ぶならなぜもっと細かいゾーニングをしないのか。例えば十歳以下とか十五歳以上とか、個人差があるものであり、メディアに手を伸ばすのは個人の意思である以上そういった細かいゾーニングが必要なだけであると思います。現状の全体的に否定の姿勢でゾーニングもいまいち大雑把という状態は疑問です。
と、このように社会的にエロが否定されたり後ろめたい物であったりするのがかねてからずっと不思議だったわけです。
その上で性教育の未熟さなどが叫ばれ、それによる問題なども見られる今の社会って、禁酒法時代とかと似てるんじゃないかとすら思います。必要ないのに過度に否定したことでその分野の問題を逆に大きくしてしまっているような状態。
私は性の目覚めが比較的早めだったこともあり、子供のころからずっと不思議だなあと思っていたわけです。
社会の誰もが社会に必要なものを否定し、それによって社会的な損をしている。なぜわざわざそんなことをするのか、不思議な話です。
私としてはエロというだけで考えなしに否定せず、必要なものでありコントロールするべきものであるとして共存する方法を考えるべきだなあと思うわけです。
見ないふり、思考停止。そういったことを否定するべきであってもっと真剣に見つめることが大事ですよね。
皆さんはどう思うでしょうか?
もっとこういったことに疑問を抱いてもいいのではないかと思います。
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