ゲームのシナリオと読み物としてのシナリオ

 この二つって、実は違うものだと思ってます。

 はい、唐突に本題に入りましたね。最近FGOを遊んでいて物書き繋がりの友人とシナリオについて話すことが多くなったのでちょっとこの辺のことを考えてみたというか、思ったことというか。そういうのがあります。

 『ゲームのシナリオ』と小説などの『読み物としてのシナリオ』。この二つはかなり違うものだと私は思ってます。

 物にもよると言えばそうなんですが、小説などはまずキャラクターがいて、そのキャラクターを追っていく形で読み込むものです。これに対してゲームというのはまずプレイヤー、遊ぼうとしている自分自身がいます。そして自分がそのままゲームのシナリオを辿っていくわけです。

 視点的にわかりやすく言うと小説とかは第三者の目線でそのキャラクターを見下ろす形で追っていくもの。それに対してゲームは自分の視界がそのままシナリオの視点になります。

 この視点構造の違いに加えてもう一つ重要なのが読者とプレイヤーのモチベーションの違いです。

 小説などの読者は他人であるキャラクターを俯瞰して追うためにちょっとのことでモチベーションが下がります。それに対してゲームはすでに遊ぼうと思った時点でかなり高いモチベーションを持った状態で始まります。

 これらの違いから結局何なのかと言うと、ゲームは自分がやりたいと思って関わる体験型のシナリオであるのに対して小説などは頑張って読者に読んでもらおうとしているシナリオだということです。

 要するにゲームのシナリオは大きな粗がなければ割と問題なく読み込めちゃうんですよね。もちろんいいシナリオであるのに越したことはないんですが、この要素が違う時点で気を付けなくてはいけない最低限ができていればさほど問題が起こりにくいという特徴があります。

 その上で言うと、ゲームシナリオはシナリオの構造としてどんなに良いものでもプレイヤーを置いてきぼりにするような書き方や視点のずれなどがあると一発アウトになることでもあったりしますが。基本はそういうところを押さえておけばプレイヤーのモチベーションは高いままなのでそこまで難しくなることはないんです。

 そんなわけで読み物としてのシナリオとゲームのシナリオはそもそもの書き方が違う、注意すべき点も違うということなわけです。

 私も注意して書かないとなあ(突き刺さるブーメラン)。

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