ベスト・キッドは夢を見れない

 今さっきまでアーキエンジェを更新してたんですが、家の中にいる酔っぱらい(間違えてないよ、家の中なんだよ!)のあまりのうるささに集中力を欠いてしまったので執筆をそこまでにしました。そしたらどうでしょう、書いた分を更新したとたんに酔っぱらいが眠りこけやがったのです。あいつ絶対許さねえ()。


 そんなわけで気分も本編更新とはいかないのでこちらを更新。以前のエッセイで私もいじめを受けていたという話を軽く触れたんですが、今回はその辺のことを書いてみようかと。


 まず最初に言うべきなのが、私はいじめられることを経験したということと、いじめるということを経験したということ。そしてぶっちゃけ自分の行いを正当化はできないということです。

 いじめはもちろんいいことじゃないです。周りの対応も良くないことが多いです。でもだからと言って私が行ったことの全ては正当化できないという認識を私は持っているということは理解しておいてください。


 さて、最初はいじめられることから始まります。最初のいじめにあったのは幼稚園の時。その幼稚園から中学校まではほぼ同じ人間が通う地域だったので、そこから結構長くいじめられ続けます。いじめの原因はまあいろいろあると思うんですが、今考えれば私が障害者だということは大きく関与していると思います。なんで今考えたらなのかというと、私は障害者だということが社会に出てから発覚したパターンなのです。なので、今考えるとあの行動のきっかけは障害があったからだったんだなということが多々あります。最初のいじめの原因もそんな感じだと思います。実際に原因を言葉としてあげるなら、「どんくさくてマイペース、何やっても出来なくて、その上女の子と遊んでる方が楽しかった」という内容が馬鹿にするのにちょうどいいということでした。ちなみに女の子と遊ぶといっても私がゲイとかLGBTというわけではないんですが。今考えると障害の分何を覚えるのにも時間がかかり、それで人をイライラさせたという感じでしょうかね。女の子と遊ぶのが好きっていうのはなんだっていうと、おままごととかって緩く遊べるうえに一度覚えたらそれの繰り返しにアレンジしていくものじゃないですか。わからないときは女の子の方がお母さん役になりきっているので丁寧に教えてくれるわけです。なのでそっちのほうが溶け込めたんだろうなと。で、それらをまとめて馬鹿にされていじめられたわけです。どうやっていじめられたかはまあ書くほどでもないと思いますが、たいていのことはされました。暴力から精神的な苦痛までだいたいは。集団リンチもありましたっけね。ただ、いじめに関しては誰も助けてくれないし、恥を忍んで(これ大事)助けを求めても周りの大人は「はい、じゃあ今日から仲良くね」というお約束の精神破壊攻撃をしてくるわけです(笑)。そんなわけでいじめ問題は解決しないまま小学校に上がり、三年ほどが過ぎたころです。そのころになるともう、登校拒否しはじめるんですが、流石に(笑)。でも親とか先生は「仲直りしたでしょ?」って感じなわけです。そんな口約束で仲直りはできないし、素行の悪い奴は治らないわけですよ。でも仕方なく学校へ行く流れでした。で、そのころにですね好きな俳優がいたんですよ。『ジャッキー・チェン』と『サモハン・キンポ』です。割と笑っちゃうかと思うんですが、当時ブルース・リーからの流れでカンフーが流行ってまして。その流れの中なぜかブルース・リーじゃなくてジャッキー・チェンだったんですよ。で、ジャッキーとサモハンのキレキレの技にすごくあこがれてたんですよね。そしたらそこに、チラシが一枚飛び込んできたわけです。内容的には「近くでカンフー教えてます。あなたもやってみませんか?」っていう、まあよくある教室からのお誘いのチラシです。で、もちろんやるって返事したわけです。わかりやすい(笑)。それでしばらく教室へ通うことになるんですけど、ここからちょっと人間の精神構造の面白さというか。両親はカンフーで鍛えられたらまあ弱気にならずに済むだろう程度に思っていたと思うんです。でも実際どうなったかというと、弱気にならないのレベルを飛び越しちゃったんですよね。カンフーに通う。その時点でちょっと自信が芽生えてくるんですが、そこから体が鍛えられていくと精神がどんどんプラスに置き換わっていくわけです。最近ツイッターでよく見る「筋肉は最高の精神薬」的な、「筋肉は裏切らない」的なあれです(笑)。しかも鍛え方がなまじ突きとか蹴りとか。そんなわけでそのプラス思考を通り過ぎてちょっと狂暴化したんですよ。たぶんいじめを経験していないとか、もうその環境から逃げていたりとかであったら違うと思うんですが、さっきも言ったようにエスカレーター型の進学地域で引っ越しもしなかったので、いじめ環境のままだったんです。それがいけなかったんでしょうね。思っちゃったんですよ、今なら殺れると(笑)。さすがに殺しはしませんでしたけど、やり返しちゃったわけです。そこでまた悪魔がささやいたんですよ。これはやるしかないと、ある試みを。当時私のほかにもいじめられている子供は当然いて、いじめのグループも一つではなかったんですよね。生徒が多い時代でしたから。なんせ小学校の時は8クラスあったこともあります。そんなわけでいたるところでいじめがあって、みんな苦労してたわけです。そこで私が試した試みは、簡単に言えば『独裁支配』です。各グループそれぞれ拳でにゃんにゃんしてやって()、全てのグループに対して私より下であると示す。そしてもともといじめを見ていたけど見てみぬふりをしてたいい子ちゃんたちにいじめを見たら知らせるようにと脅迫して、いじめの連絡を受けたらいじめに関わってた人間を全員拳でにゃーん()してやると。そうして最終的にいじめ=拳でにゃんにゃんされるの図式を作っていじめをすることがマイナスの利益しか生まないという社会を作ったわけです。学校の中で。で、これってどう言い張っても結局私が不良グループをいじめているわけでしかなくて。いやまあ精神的な苦痛とかはやりませんでしたけど。結果自分の周りからいじめ自体はなくなったんです。まあ、姉が朝登校すると知らない後輩から「あ、monta先輩のお姉さん! ちーっす!」って頭下げらるみたいな弊害はあったわけですが(笑)。

 そんなわけでいじめられる側も、いじめる側も、どっちも経験があるんですよ。

 で、結局今思うのは「いじめは難しい」としか思えませんって感じです()

 当時は当事者だからというのもあっていじめられた自分に対してはなんで自分がとか思うし、いじめる側に立っていた時はこれでいいと思ってたんですが。でも今大人になってそういう環境から離れて、改めて俯瞰するとどっちも良くねえなと(笑)。いじめられてるときは周りの大人の対応ももちろん良くないし、自分も良くない。いじめの無いところへ逃げてしまえばいい話だったはずなんです。当時は理解者がいなくてできませんでしたが。いじめてるときは周りは確かにいじめがなくなって平和だったけど、その独裁政権はちょっと問題があるぞと。結果が良くても手段はあかんやろと。

 結果から言えば私はいい方なのかもしれません。いじめからは脱却できたから。でも、私にいじめられた人はやっぱり心に恨みが残ってることはあると思うんですよね。もちろん私もいじめられたことを許せるわけじゃないですし(仕返ししておきながら)。そう考えるとやはり、いじめってもっと社会的に解決するべきだなあと思うわけです。いじめは犯罪、懲役何年的な。

 最近ではいじめ問題は大人の社会でもありますし、なんにしても社会が未熟だと思うわけです。


 まあ、到底まだしばらくは未熟な社会のままだとおもいますけどね(寝こけた酔っぱらいに恨みを放ちながら)。

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