第37話 思い出
「お母さん、なんでお父さんと結婚したの? 怒ったらねちねちうるさいし……。顔もそんなにカッコよくないしさ! お母さんなら、もっとカッコいい人と結婚できそうじゃない? 顔も言葉遣いも綺麗じゃん」
3年前、和葉はよく母の菜津子の膝に頭を乗せ、耳掃除をしてもらっていた。もうすぐ中学生なのに、と父の林太郎はその行為を咎めるため、彼のいない時間にこっそり和葉は頼みに行くのだった。
学校で嫌なことがあったときには、菜津子は膝の上の頭を撫でながら慰めの言葉をかけてくれる。涙が母親のスカートに染み込むのを見て、和葉は心を落ち着かせていた。
「ふふ、和葉はまだお父さんの魅力に気づいてないのよ! お父さんは不器用だけど、優しいの。いっつも和葉のこと考えてる。心配性で、繊細で、お母さんが気づかないことによく気づく……。だからお父さんばっかり怒っているように感じるんじゃない?」
菜津子は所謂「お嬢様」だ。気品は人一倍で、和葉は本当に親子なのかと疑いたくなるくらいだった。
(信じたくないけど、私ってお父さん似なんだよなあ……顔も、音痴なところも……)
和葉は現実を知り始めた年頃だった。できれば母親に似ていると言われたいものだった。
「本当に怒ってるように思うけど……。っていうか、お父さんって繊細なの? それは違うんじゃない?」
「そりゃあ、そういう繊細なところを見せないからよ。見栄っ張りなの。泣き虫なくせに人前じゃ泣かない……。そんなお父さんが、昔お母さんの前で泣いたの! 若いころにね、骨折して病院に入院したことがあるんだけど、お父さんったら大したケガじゃないのに走って病院まで来て、『無事ですか!』って大声で叫んで……。もう恥ずかしくって顔から火が出そうだった! やめてよ、大した事ないから帰ってって言おうとしたけどできなかった。お父さん、子どもみたいに泣いてたんだもん! もう絶句しちゃった!
でもその出来事が、私が林太郎さんと結婚したいって思ったきっかけになったの。自分の見栄とか、恰好とか、そんなことよりも人を大切にできる、世界で1番かっこいい人なんだって、確信したの」
いつの間にか「お父さん」が「林太郎さん」になっていることに和葉は気づかなかった。
菜津子はアクアマリンをほの明るい光に重ねた。林太郎の話をするとき、彼女は必ずこの仕草をする。その仕草は和葉のお気に入りだが、父親のことばかりを褒めるのが何となく面白くなかった。
だからこの思い出は、記憶の片隅に追いやられていたのだろう。まさか思い出すのが、湖の中になるなんて、和葉には予想もできなかった。
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