第10話 模索・4

 ドアが開き、そこによく見知った顔を確認すると、レダは潜っていた布団から這い出して「遅い!!」と怒鳴った。もちろんそれは天竜の鳴き声であり、人間の耳には言葉として伝わらない。

「すまん」

 耳慣れた人間の言葉で答えたのはラバスだ。その手でぎゅっとポルトの手を握って、引きずるようにして室内に連れ込む。

 ポルトのもう片方の手には本が開いたまま握られており、そこから目を離す様子は一切ない。多分今自分がどこにいるのかすらわかっていないのだろう。

 部屋の灯りで本が読みやすくなったのか、ポルトはちょっとだけ嬉しそうな顔をしてそのまま床に座り込む。

 外はもう暗い。それなのに道中片時も本から目を離さず引きずられてきたのだろう。

(やっぱりこれだ。ラバスを迎えにやってよかった)

 こうなったらもう全て読み終わるまで何をしたって無駄なのだ。レダは身を持ってよく知っている。

「俺もつい夢中になってしまった。せっかくだからポルトを待つ間、文字を勉強しようと思って」

 ラバスが申し訳なさそうに頭を掻く。

(あんたもか…)

 彼もまた、夢中になると周りが見えなくなるタイプのようだ。二人はよく似ているとレダは思う。興味を持ったことに対して一直線だ。他人からどう思われようとお構いなしで、ただ純粋に突き進む。おそらくあまり他者とはうまく付き合えないが、突き詰めたものに関する知識は突出しているのだ。

(ポルトがラバスを恨みながらも心を許してしまうのはそういうところなんだろうな)

 おそらくこれまで一度も誰にも抱いたことのない親近感。仲間意識とでもいうのだろうか。

(そんなやつが見慣れた俺の姿をしてたら、気を許さないわけがないよな)

 仕方がないなと小さくため息を吐き、レダはポルトの隣に行き、その手元を覗き込む。本の内容を覗き見ようと思ったが、身長が足りずによく見えなかった。退屈だが終わるまで待つしかない。




「そうだ、レダ。腹が減っただろう。君のごはんを買ってきたよ」

 ラバスがちょっと得意げに紙袋からオレンジ色の果物と焼き魚を取り出して机の上に並べた。途端に腹の虫が鳴く。

『なかなかいいチョイスじゃん』

 レダが呟くとラバスは少し照れたように「ありがとう」と言った。

 少しずつだが、言葉は通じるようになってきている気がする。伝えたいことがうまく伝わらないストレスは日毎に少なくなっていく。

(賢いんだよなあ、ラバス)

 見聞きしたものを理解して自分のものにするという能力に長けている。さすが長い時を生きているだけある。見た目がレダだし中身がピュアなので、自分たちと似たような年代だと思いがちだが、実際のところは町の長老よりも長生きなのだ。長い時の中で身についたものはきっとレダが想像する以上にたくさんあるのだろう。

『食べていい?』

「どうぞ」

『君たち食事は?』

「ポルトの読書が終わるまで無理なんじゃないかなあと思うんだけど、どうしたらいいかな」

『部屋に持って来れないか宿屋の人に聞いてみればいいよ』

 言葉を理解しきれなかったのかラバスはしばらく考えた後、わかったと大きく頷いて部屋を出て行った。

 若干の不安を抱えつつも、レダは魚にかじりついた。

(うま…)

 肉ばかりの生活だったので、久しぶりの感覚が身に染みる。この体だと小骨を気にすることもなくガブガブ食べられる。

 果物の方も爽やかな酸味があって非常に美味い。人が食べるために改良された作物だけあって、野生にあるものよりも苦みや渋みといったものが少なく格段に食べやすくなっている。

(やっぱり町はいいよなあ)

 そう思うけれど、この体では叶わぬ願いだ。もしかするともう一生町には入れないかもしれない。もう少し体が大きくなれば、こうやって忍んで来ることだって出来ないだろう。天竜の体で生きるということは、そういうことだ。

(あまり考えないようにしよう)

 辛いことや悲しいことは考えないほうがいい。いくら嘆いたとて、現状が変わるわけではない。ならば前向きに受け入れたいと思う。出来ないことを嘆くよりも、出来ることを楽しんだほうがいい。




 しばらくするとラバスが戻ってくる。手には食事の乗ったトレイを抱えている。おそらく本日の夕食のおかずであっただろう煮込んだ肉やら何やらがパンに挟まれた状態になっている。わざわざ作り直してくれたらしい。ラバスにそこまでの指示ができるとは思えないので、きっと彼の拙い説明で宿屋の人が気を利かせてくれたのだろう。

『これだったらあの状態のポルトでも食べるかもしれないな』

 ラバスはなるほどと頷いて、ポルトの片手にパンを握らせた。すると一瞬だけ自分の手を見つめたポルトはそれを口に運んだ。もぐもぐと咀嚼しながらも目は文字を追い続ける。

 よく目にした光景だなとレダは懐かしさに目を細めた。ぼろぼろと食べこぼすものを慌てて拾い上げていくレダの姿も含めて懐かしい光景だ。今はそれをしているのはレダではなくラバスだが、見た目は思い出のそれと同じだ。こんなふうに第三者の目から見たことなんてもちろんないけれど、思い出というのは必ずしも自分が実際に目にした視点ばかりでもないのだ。


(俺たちは変わらない)


 町にいたあの頃から、きっと何も変わっていない。ものすごく根本的に変わってしまっているはずなのだけれど、きっと何も変わらないのだ。



 ラバスがいるのとは反対側に、ポルトを挟む形でレダは腰を下ろした。

「食べる?」

 ラバスが小さくちぎって差し出すパンをレダは小さな両手で受け取る。

『ラバスも食べなよ。人間の食べ物は美味いよ?』

 ポルトを気にしつつ、自分もようやく食事にありついたラバスは、感動で目を潤ませながら「うまい!」「すごい!」と連発していた。

(そうだろう、だって俺の舌はずっとその味で育ってきたんだ)

 きっと、レダがこのオージの舌で感じているよりもずっと、あの体にとってはこれが美味いと感じるはずだ。

(満喫してくれよな、俺の代わりに)

 その体が喜んでいるのを見ると、レダも共に満たされるような気持ちになるのだ。何とも不思議な感覚だ。

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