第7話 絆・2
ブラドと名乗った彼は、もっさりした見た目に反してさっぱりした性格のおじさんだった。なんと、かつてこの寝床を作り上げた張本人であり、あちこち移動しながら、通り道になると時々このようなかつての寝床を訪れるのだそうだ。
「荷物が置いてあった時にはまさかと思ったね。森の中で人に出会うことなんて滅多にないから。荷物も焚き火の跡も新しそうなのに待ってても誰も帰ってこないし、どこかでくたばっちまったのかと思ってた。元気そうで何よりだ」
人と会うのが久しぶりすぎて嬉しくて仕方がないといった感じで、ブラドは上機嫌に喋りながらポルトの肩をバシバシ叩く。痛いというほどではないが、もう少し手加減してもらいたい。たった一人で森の中で生きているのだから当然なのかも知れないが、がっちりとした立派な体つきをしていて筋力は相当なものだと思われる。
「君みたいに細っこいのがよく無事でいるね。まだ町を出たばかり?ここら辺りだと、ノートンかウェルムか」
「ノートンです」
町の名前を口にするとすでに懐かしい感じがする。まださほど日にちは経っていないはずなのに、毎日が濃密すぎるのだ。この数日で本当にいろんなことがあった。これまでの町で暮らした14年間を凌駕してしまうほどの経験をしている。それを思うと、目の前のこの人はいったいどれほどの経験をしているのだろうかと畏敬の念が沸き起こる。大大大先輩である。
「ここらの地形には詳しいんですか?」
「まあ何度か来てるからなあ。おじさんの書いた地図やろうか?」
「いいんですか?」
「ノートンじゃ外の地図は出回ってないだろうからなあ、ちょっと待ってな」
ひょいひょいっと身軽に木の上の寝床に登ったブラドは、そこに置いてあった彼の持ち物であるらしいボロボロの麻袋の中からよれよれの紙を取り出し、またひとっ飛びに木の下に降りてくる。結構おじさんに見えたが、とても身が軽い。もしかしたら思ったよりも若いのかも知れない。
「俺の感覚で書いてるからわかりにくいかもしれないけど」
広げた彼の手の中を見ればまあ独特な、下手くそな絵が散りばめられている。
「今いるのはここな。この三角の印が俺が作った寝床の位置だ」
地図の中には結構な数の三角が書かれている。こんなにあちこちにこのような寝床を拵えているらしい。見つけたらまたお世話になろうか。
「で、丸印が町だ。こいつがノートンな」
丸の下にはミミズが這ったような文字が書かれている。解読できないがおそらくノートンと書かれているのだろう。絵もそうだが、どうやら文字も才能はないらしい。
「この数字っぽいやつは何ですか?」
何とか数字っぽいと分かる程度の小さなミミズを指差すと、ブラドは嬉しそうに少し得意げな顔をした。
「それは距離だな。俺の足でかかる時間が書いてある」
「なるほど。足早そうですよね、ブラドさん」
先ほど見た身体能力や、一人で旅を続けていけることなどから推測する。常人よりさらに足の遅いポルトからするとあまり参考になる数字ではないかもしれない。
「この絵は何ですか?」
線で表されるのはおそらく道、もじゃっとしているのは森なのだろうと推察できる。謎なのはところどころに書いてあるダンゴムシみたいなやつだ。顔っぽい表現に足がたくさん生えているような感じだ。正直気持ちが悪い。
「これは動物の巣があるところだ。これは兎でこれは牛だろ?それからこっちは地竜で、この羽が生えたのが天竜な。竜のマークのところには近寄っちゃいけねえよ」
そう説明されたけれど、それぞれの違いが全くわからない。とにかく絵があるあたりには近づかないのが得策か。けれど食糧難の時にはそこへ行くのがいい場合もあるのかもしれない。せめて近づいていいところと悪いところの区別ぐらいつくといいのだが。じっくり眺めてみたが、結局これといった法則性も見つけることができなかった。
「これ、僕がもらっちゃってもいいんですか?」
とはいえ、道と近くの町しか書いていないような地図しか持っていないポルトからしたらとんでもないお宝であることに間違いはない。おそらくポルトたちの旅にとって最も必要なのは森の中の情報なのだ。この地図にはそれがふんだんに載っている。
「いいよ。もうずいぶん昔に書いたやつで、俺は全部頭に入ってるから」
「ありがとうございます」
「それあげるから、今日一晩一緒に寝かせてくれる?」
ずいぶん簡単な交換条件だ。ここまで話してみて、危険だという感じは全くしない。ちょっと変わり者だけど気さくなおじさんといった印象しかなかった。起こりうる最悪な状況を想像してみても、地図が手に入るというのはそれを賭けてもいいほどに魅力的だと思った。
「あ、はい、それはもう、寝かせてくれるっていうか、もともとあなたのものですし、逆に僕たちが居させてくださいとお願いする立場で」
「そう。よかった。じゃあ上に行こう。よければ何か話を聞かせてくれよ。君たちの町の様子とかさ。久しく町には寄っていないから、今どんなふうになってるのか聞いてみたい」
「はい」
「いやあ、今日は楽しい夜を過ごせそうだ」
鼻歌交じりにするすると木を登っていくブラドに続いてポルトも不器用に登っていく。モタモタしていると上から手を伸ばして引っ張り上げてくれた。
「ありがとうございます」
「ポルトくんさ、ほんとよく今まで生きてこれたね。なんというか、その…」
「どんくさいですよね。すみません」
リュックを下ろして座ると、途端に気が抜けた。安全な場所があるというのはいい。常に気を張っているというのはとても疲弊する。特にこの2日間は、自分が何とかしなくちゃという思いでずっとガチガチだった気がする。
初対面だけれどブラドとも上手くやれそうだし、できればこちらももっと情報を聞き出してみたい。どうやって生きてきたのか、知りたい。
「で、ポルトくん、お仲間はいつ呼びに行くのかな?」
「えっ」
不意の問いかけにどきりと心臓が跳ねる。この人は大丈夫そうだと感じてはいたけれど、レダのことはまだ告げていなかった。怪我人であるし、オージも連れている。もう少し様子を見てからと思っていたが、先に指摘されてしまった。
「だって、ここにリュック置いてあったけど、君リュック背負ってるじゃない。普通一人で二つのリュックは背負わないよ。それに、君はさっき僕たちって言ったね。こんなところでとても生きていけないような君には仲間が必要だろう」
あのセンスのない地図で何となく油断してしまっていたが、ただ絵や字が下手なだけで決して馬鹿な人ではないようだ。何も考えていないようでいてとても鋭い。体力や感覚だけで生きているタイプの人ではないらしい。観察眼もあるし、思考も鋭く的確だ。常に考えている、だから生き残れるのだ。
ポルトのようなただの子供がこんな人を騙し通せるわけがない。
「まあ、それは真っ当な判断だよね。俺みたいな怪しいおじさんに最初から手の内を全部見せたりはしないさ。その慎重さは生き延びるためには重要だなあ」
ブラドは気分を害した様子もなく、ポルトの頭を撫でて褒めた。変わった人だ。だが信用できる気がした。こんな曲者を判断できるほどの人生経験もないポルトなので、それはただの勘でしかないけれど。
「ブラドさんは常識にとらわれるタイプの人ではなさそうなので大丈夫かなと思うんですけど、許容範囲は広いほうですか?」
「ん?まあ多分、柔軟な受け入れ態勢はあるんじゃないかと」
「どんな奴を連れてきても敵対しないと約束してくれます?」
「もちろん。今晩共に過ごすと俺から申し出たんだから好き嫌いはしないさ」
ポルトの言い草に、いったいどんな連れが出てくるのかとブラドは少しワクワクしたような顔をする。ポルトと同じ、好奇心が強い人間なのかもしれない。
「レダ!大丈夫だから出てきて」
ポルトはレダが隠れている茂みに向かって声を張り上げた。するとしばらくの間を置き、まだ少し警戒した様子でレダは姿を現す。
「怪我をしているのかい?」
「はい、それでしばらくここへ戻ってこれなかったんです」
「登れるかい?上から引っ張り上げようか?」
ブラドは木の上からレダに向かって手を伸ばすが、彼を睨むつけるように見上げていたレダはその手を掴みはせず、無事な右手一本で器用に上がってくる。
「おや、こちらは身体能力の高い子だ。それと…」
伸ばした手のやり場に困り苦笑しながらもレダに感心したブラドは、その肩の上の白い生き物に目を止める。
「なんと、天竜を連れているとは。こりゃ参ったね」
挨拶なのか威嚇なのかギャアと鋭く鳴いたオージに少し驚きながらも、ブラドは大きな声を上げて笑った。
「いや、大丈夫、得意な方ではないが、敵対はしないと約束した。受け入れる」
「よかった」
こんなにあっさりと天竜を受け入れてくれる人間がいるとは思わなかった。おそらくブラドが変わり者なのだと思うが、町の外にはそういう人間もいるのかもしれない。竜が敵であるという認識が全人類共通の認識であるのは間違い無いと思うが、だからといって全てが排除対象であるわけではないと認めてくれる人が存在しないわけでも無いのかもしれない。ポルトの知識はあの狭い町の中のことだけで、これまでの常識が全てではないのだと思い知る。世界のどこかには、ポルトがオージと共にあることを許容してくれる場所もあるのかもしれない。ないかもしれない。ポルトはまだ何も知らない。未来は決して閉ざされてはいない。
「そんなわけでレダ、明日の朝までこちらのブラドさんと一緒に過ごすことになったから、よろしくね」
レダはあまり納得がいった顔はしていなかったが、ポルトが言うのなら仕方がないといった感じでおとなしくポルトの隣に座った。
「ブラドさんはこの寝床を作った人なんだって。お世話になるのは僕たちの方だね」
そう言うとレダは少し驚いた顔をして、世話になりますと頭を下げた。
その後、怪我人は休んでいなさいと言い残して木を降りたブラドは、今晩の宴用だといくつか小動物を仕留めて帰ってきた。さすが年季の入った狩りの腕である。仕留めた傷口の鋭さにレダが感心していたから相当なのだろう。
暗くなる前にあっという間に火を起こし、絶妙な焼き加減に仕上がった肉を持って木を登ってきた。
本当に世話になっているのはこちらの方だ。今日一日何もせずに、ポルトもレダもオージも食事にありつけるのだ。おかげさまでここ数日の疲れが回復できた気がする。
「何から何までありがとうございます、ブラドさん」
「いやいや、おじさんこんな可愛い子たちとパーティーできて嬉しいのよ。普段ずっと一人だからね、人と喋るの興奮しちゃうよね」
最初にずいぶん警戒してしまったのが申し訳なくなるほど、ブラドはいい人だった。純粋にポルトたちとの出会いを楽しんでいるのがわかった。それでもレダはどこか少し警戒心を残しているように見えた。
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