第7話 絆・1
レダはそれから二日間眠ったままだった。激しい戦闘で費やした体力と、体に負った傷を回復するためなのだろう。必要な休息ならばと無理に起こすこともなく、ポルトはそれを見守った。
傷口は定期的に清浄し、近くを探索して見つけてきた薬草を塗った。途中、少し発熱した際には体を冷やし、背中や尻にダメージを負わないよう時々体を動かしてやったり、布や落ち葉で柔らかく温かくしてやる。そんなことをしていても、レダは一度も目覚めることなく眠っていた。
呼吸や心音を何度確かめたことだろう。それらは安定していてただ眠っているだけのように見える。けれど、ポルトは医者ではない。この眠りがただの睡眠でなく、脳への損傷などによるものであったなら、このままずっと目を覚まさないということだってあるかもしれないのだ。ポルトにそんな判断がつくわけもなく、不安に身を焦がしながらも看病を続けるしかなかった。
幸いにも食料は蓄えの分がある程度あるので、狩りはできなくともあと数日の間は食べるものに困ることはない。ただ、このままどれだけ眠り続けるかわからないレダを頼りにしていくことへの不安はあり、空いた時間で弓の練習をしてみた。初めはまともに飛ばすこともできなかったが、レダのフォームを思い出して真似をするということを続けていくと次第にコツが掴め、ある程度狙ったところに矢を飛ばすことができるようになった。実際に生き物を射る度胸はまだない。けれど、食料のストックがなくなった時にはこれでオージのごはんを確保しなくてはいけない。
オージもずいぶん協力してくれた。ポルトがレダの元を離れる時にはポルトの代わりにしっかりレダを見守ってくれていたし、近くに何かしらの動物が近寄ってきた時には追い払ってくれたりもした。レダと二人きりでなかったことを心から感謝した。小さな存在でも、こんなにも心強い。
そして三日目の朝、レダは普通に一晩寝て起きたといった様子で、ものすごく普通に目を覚ました。
「レダ!?」
「…ああ、ポルト、おはよう」
寝ぼけ眼をこすって大きくあくびをする。そして伸びをしようとして、途中で体の痛みに気づいて小さく呻き、断念した。
「よかった、レダ。このまま目を覚まさなかったらどうしようかと」
ポルトはレダの枕元にへなへなと座り込み、両手で顔を覆う。泣きそうだった。
「何だよ、大げさな」
「大げさじゃないよ。丸二日、何をしても目を覚まさなかったんだからね」
「うそ…」
「あの夜から三回目の朝だ。寝坊にもほどがある」
一人で胸の奥に溜め込んでいた不安をぶちまける。そんなポルトの形相に、レダは少し慌てた様子を見せた。状況を把握してポルトの気持ちを察したのだろう、怪我をしていない方の手を伸ばして膝のあたりをトントンと宥めるように軽く叩いた。
「悪かったよ。でもおかげで体は結構軽いかな。痛いところは痛いけど」
胸と腕の怪我でうまく起き上がれないレダの上体を起こしてやる。
「あれ、口の中も切れてたかな。汚れてるから口ゆすいで、それからゆっくり水飲んで」
水筒を渡すとレダはおとなしくポルトの指示に従った。かと思ったら、ものすごい勢いで水を飲み干した。
「ゆっくりって言ったじゃん。二日間動いてなかったんだから胃がびっくりするよ」
「喉カラカラだったんだ。腹も減ったぁ…」
「じゃあ何か胃に優しいものを」
「肉食いたい、肉。血が足りてない」
「…わかったよ。今は干し肉しかないけど」
レダが元気で、良かった。病み上がり、と言うのかどうかわからないが、それにしてはあまりにも元気すぎて、これまで張り詰めていたものが一気に溶けて無くなったような気がする。
「普通の肉が良かったら僕、取ってくるよ。レダがいつ目を覚ますかわからなかったから、弓の練習をしたんだ。まだ動物を狩ったことはないしうまく取れるかどうかわからないけど、レダのためなら頑張るよ」
今なら何でも出来るんじゃないかという気分になる。生き物を殺すのは忍びないけれど、レダのためだと思うことで恐怖心は自分の心の奥の方に引っ込んでいく気がするのだ。決してなくなるわけではないけれど、それに勝るものがある。
けれど立ち上がろうとしたポルトの手をレダが掴んで押しとどめた。
「いや、いいよ。干し肉で十分だ。怪我なんてすぐ治るから、そういうことは俺がするから大丈夫だ」
「レダ、でも僕今回のことで思ったんだ。レダに頼ってばかりじゃダメだって」
「頼るとか甘えるとかそういうんじゃなくて、これは役割分担だ。ポルトだって俺のできないことをやってくれるだろう?」
「それはまあ、そうだけど…」
それでもやれることはやりたい。無理なんかじゃない。そう思ったけれど、確かにそれはただの強がりなのかもしれない。命を狩るというのはそんなに簡単なものではないと、レダにはよくわかっているのだろう。
「わかった、じゃあ干し肉を軽く炙ろう」
少しだけ胸にわだかまるものはあったが、保存用に干した肉を袋から出し、焚き火にかざして炙ってやる。
「うーん、いい匂いだ」
嬉しそうなレダの声を聞くともやもやしていたものなどきれいさっぱり消えて無くなり、幼い子供みたいに涎を垂らしてポルトを待つレダの姿に愛おしさがこみ上げる。またこれまで通りに旅ができるのだと、元気な姿を見て実感する。
良かった。本当に良かった。
怪我が治って元通りに動けるようになるまではもう数日かかるだろうけれど、思い描いていた最悪のシナリオは回避できた。
その後レダは、小型の動物まるまる一匹分食べ尽くすぐらいの勢いで干し肉を次から次から腹に入れた。これだけ食べられるなら、後でお腹が痛くならないだろうかという心配は残るものの、まず問題はないだろう。
「レダ、動けそうならあの木の上の寝床に移動しようか。あっちの方が安全だ」
「ん?ああ…えっと、どこだっけ?」
「あの時は真っ暗だったからね、方向わからないか。僕についてきて。歩ける?」
「ああ、大丈夫だ」
レダは確かめるように足を動かし、小さくピョンピョンと跳ねた。足には擦り傷以外の負傷はないようだった。
レダが眠っている間に、何度か荷物を取りに往復した道だ。さすがにもうオージの案内なしでも迷うことはない。オージはポルトの肩の上の定位置に陣取り、周囲の様子を警戒している。凛々しい顔をして、すっかり守護者気取りだ。
ちょうど寝床が見えてきた頃、そんなオージが突然鋭く声を上げる。
「待て、ポルト。誰かいる」
レダがいち早くそれに気づいた。寝床の上で動く姿がある。動物ではない。人だ。
まさかこんなところで人と出会うとは。旅人だろうか。あるいは迷い人だろうか。このようなしっかりとした寝床があれば、見つけた人が寄ってくるのは当然と言えば当然なのかもしれない。ポルトたちだってそうだったのだ。
「どうしようか」
こそっとレダに相談すると、ひとまず身を隠そうと言う。
「どんな人間かわからないからな。こんなところに一人でいるんだ、普通に考えて怪しいだろう。様子を窺ってみた方がいい」
いつになくレダが慎重なのは、何かあった時に自由に動ける体ではないからだろうか。物陰に隠れて様子を見ることにした。
木の上の人物はしばらく寝床の上をうろうろと歩いた後、唐突に飛び降りた。歳の頃は30代後半といったところだろうか。もじゃっとした髭を生やした男性だ。くたびれた服装で、ずいぶん長い間旅をしているのだろうと想像できた。
「おい、そこにいるんだろう?別に何もしやしないから出てきなよ」
彼はこちらに向かって声を張り上げる。ポルトたちの存在に気づいていたらしい。けれど、はっきりした居場所まではまだ掴んでいないようだ。多分この辺りにいるだろうという想定のもとで声を出している感じだ。
返答するか否か、レダに目配せをするが、少し悩んでいるようだった。信用してもいいのか、判断材料は何もない。一見したところ武器も持っていないようだし、殺気立っているわけでもない。
「なあ、ここの先客だろう?荷物があったから誰かいるんだろうとは思ってたんだ。勝手にお邪魔して悪かったけど、一晩だけご一緒させてもらえないか?見ての通りただのはぐれ者だ」
何かを企んでいるようには見えなかった。旅人を襲ったところで何か彼に得があるだろうか。何かを奪うといっても、商隊でも狙うならまだしも一旅人の荷物なんてたかが知れている。こんな森の中で人間同士が殺しあうことに意味はないし、食料が欲しいと言うのなら分けても構わないと思う。街には長い間寄りついてはいないような身なりであるし、ただのはぐれ者だという言葉に偽りはなさそうだ。
「僕が行ってくるからレダは念の為隠れてて」
「待て、ポルト、危険だ」
「大丈夫、何かあったらレダが助けてくれるでしょ?」
レダは少し考えて、渋々ながら了承した。役割を交換したところで、レダに何かあればポルトは取り残されるばかりで何もできないからだ。それに、何かに興味を持ち始めたポルトは止められないことをレダは知っているのだろう。いつもポルトに巻き込まれていると言っていたレダの言葉を思い出す。本当にそうだ。こんな風にあからさまに渋って見せることはあまりないので今まで無自覚であったけれど。
「行ってくる。オージもレダと隠れてて」
肩の上のガーディアンをひょいっとレダの上に移動させて、ポルトは物陰を出てゆっくりと立ち上がる。
「こんにちは」
姿を見せると彼は嬉しそうに微笑んで近寄ってくる。レダが見つからないようにポルトも自分から彼の方に歩み寄った。
「やあ、まだ少年じゃないか。自分探しの旅かい?」
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