第6話 偽装・2

 オージの鳴き声でポルトは目を覚ました。辺りはまだ暗い。朝が近いわけでもなく、まだ深夜であろうと思われる暗さだ。けれど一緒に眠っていたはずのオージがギャアギャアと耳元で騒ぎ、ポルトの服を引っ張るように小さな手をパタパタと動かしていた。

 何かが起こったのだと察する。ポルトは慌てて体を起こすと、周りを注意深く観察した。


 今夜は比較的安全な場所にいたはずだ。先人の誰かの手によって作られた、木の上に組まれた居住スペースを発見したのだ。おそらく過去に街から追放された人がひとりでひっそりと暮らしていたのだろう。今は誰の姿もなく、落ち葉などが積もっていたが、掃除をすれば状態は良かった。ポルトの背の高さほどの場所に平らになるように木が組まれており、ポルトとレダ二人が横になれるぐらいの広さがあった。オージが騒ぐこともなかったので、多分近くに敵になるような生き物もいなかったはずだ。念の為、木の下に火を焚いて、レダと二人で眠りについた。


 けれど今隣にレダの姿はない。

「レダ?」

 闇に向かって声をかけてみるが、返事はない。体を乗り出して木の下を覗いて見ても、焚き火の炎に照らし出される範囲には誰の姿も見当たらない。ちょっと用を足しに行ったとか、そんなことではないようだった。


 ポルトがいよいよ強い不安にかられだした頃、バサバサと大きな音が響いた。平原との境界にほど近いこの場所よりも少し森の奥の方で、木が激しく揺れている。それは風に吹かれたレベルのものではない。


(何か、大きいものが、いる…?)


 続けてギャアアアと悲鳴のような鳴き声が響き渡る。オージの鳴き声をずっと低くしたような、腹に響く声だ。


(もしかして、レダが何かと戦ってるのか?)


 ポルトは耳をすませる。森の中は月明かりも届かずとにかく暗いため、音のみで状況判断をしなければいけない。この場所は安全なのか、レダに助けは必要なのか。下手に動けば足手まといになる可能性もある。動くことが良いのか、あるいはじっと身を潜めているのが良いのか、見極めは大切だ。


 木が激しく揺れ動く音や地響きのような足音は、近いけれどそこそこの距離があるように感じる。今すぐこの場が破壊されるようなそんな近さではない。よって、この場に留まることも選択の一つにして良いだろう。


 音はその後も断続的に続き、よく聞けばそれに混じってレダの声もかすかに聞こえた。助けを求めるような声ではなく、戦っている人間の気合のこもった吠えるような声だ。


 おそらく近くに敵がいることに気づいたレダはこっそりと起きて退治しに行ったのだろう。けれど気になるのはその音の大きさだ。何と戦っているのかわからないが、敵のサイズが相当であることだけはわかる。木々の揺さぶられる範囲があまりにも広い。


「どうしよう、オージ」


 レダが一人で戦えるような相手ではないかもしれない。あのサイズは地竜か、それとも天竜か。とにかく普通の動物ではないように思えるのだ。しかし、危険な相手であればあるほどポルトの存在は足手まといにしかならないこともまた事実だった。ポルトがいることでレダが思うように戦えなくなるのであれば、助太刀など何の意味もない。


 迷うポルトの服の裾をオージが咥えて引っ張った。どうやらオージの意見は早く行けということらしい。ポルトには見えないもの、聞こえないものがオージにはどれほど感知できているのだろうか。そしてオージにはどれだけの状況把握ができているのだろうか。わからないけれど、なんとなく、これまで一緒にいた経験からオージの感覚は信じられるもののような気がしていた。赤ちゃんだから何もわからないだろうと思うのは、人間の赤ちゃんしか知らないからだ。


「よし、わかった。キミを信じるよ、オージ」


 ポルトは手探りで木を降りた。高さは自分の背ほどしかないので万が一滑り落ちたところでたいしたことはない。すぐに地面に足が付き、音のする方へ向かって暗闇をゆっくりと進んだ。

 とにかくまずは正確な状況を把握しなければいけない。火を持って行こうかとも思ったが、下手に目立ってしまうのは良くないと考えてやめた。どのような状況であろうと、身を守ることに最大限の注意を払わなければいけない。ポルトの迂闊な行動がレダの命を奪うことにつながる危険性だってあるのだ。


(冷静に。考えろ)


 自分に言い聞かせ、暗闇の中なんとか微かに見える目の前、そして足元の状況を見ながら音を頼りに歩く。

 右肩の上にはオージが乗っている。進む先が危険な時には耳元で小さく鳴いたり、耳を引っ張って方向転換を促したりして助けてくれるおかげで、ほとんど視界がない状態でもわりとスムーズに移動することができた。


 音のなる方へ向かって5分ぐらい、いや、慎重に進んでいたので10分ぐらい経っていたかもしれない、それぐらい進んだ頃にピタリと音が止んだ。無音の状態が続く。音が激しく鳴っているのも怖いが、無くなったら無くなったでそれもまた怖い。一体何が起こっているのか。

 ゴクリと自分が唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。

 けれど身構えていても何も起こらない。ただ無音の時が過ぎる。

 レダが敵を倒したのだろうか。あるいは両者対峙してタイミングをうかがい合う緊張の時だったりするのだろうか。

 何も動く気配はない。


 おそらく感覚的にはもうだいぶ現場近くに来ていると思うのだ。もしかしたらレダもすぐそこにいるかもしれない。ただ無音の時が過ぎ、このままではどうにも埒があかないと思ったポルトは小さな小さな声でレダを呼んでみた。

「…レダ?」

「来るな、ポルト。じっとしてろ。まだれてない」

 すぐに抑えた声が返って来た。どうやら上手いことかなりレダの近くまで来ていたようだ。多分5メートルも離れていない。ポルトはレダの存在に安心し、言われた通りに身を潜めた。


 しばらくすると再び大きな音がして慌てて身を縮めたが、大きなものを引きずるような音とゆっくりした足音、そして木の揺れる音は次第に二人のいる位置から遠ざかっていく。森のさらに奥の方へ向かっているようだ。レダに深手を負わされ逃げていった、というようなところだろう。レダは追いかけてとどめを刺すということもなく、息を潜めてそれを見守っていた。



「レダ」

 遠ざかっていく音がやがて聞こえなくなり、もう大丈夫だろうというタイミングでポルトは再びレダを呼んだ。先ほど返ってきたレダの声が少しおかしかった気がしたのだ。戦いによって息が上がっているのか、あるいはずいぶん疲労しているのか、とも思ったが、もしかしたら怪我をしているのかもしれない。大きな声を出さないほうがいい状況だったことは確かだが、どこか声を出すのが苦しそうな、そんな感じがしたのだ。

「レダ、どこ?大丈夫?」

 ポルトの問いかけにレダは小さく「ここだ」と返した。いつもだったらレダの方がポルトを探し出して来てくれるところなのだが、レダが動く気配はなく、ばさっと落ち葉の上に横たわるような、そんな音が聞こえた。


 音のする方へ、ポルトは慌てて駆け寄る。

「レダ?怪我してるの?」

 近寄れば、暗い中でもレダが倒れているのがわかる。

「さすがに天竜相手に一人じゃきつかったわ」

「天竜だったの!?」

 大きいとは思っていたが、まさかこの暗闇の中天竜と戦い、それを退けたとは信じられない。しかし、天竜であったから同じ天竜のオージが敵と見なさなかったのかもしれないと思うと納得もできた。

「ああ、商隊を襲った黒いやつだ。ずいぶん弱ってたから何とかなるかと思ったんだけど、倒しきれなかったなあ」

 掠れた声で悔しがる。こんな状況でも、生き残れたことを喜ぶよりも倒せなかったことを悔しがるなんて、レダは生粋の戦士だ。なんともレダらしい。


 あの時、商隊の兵士たちと戦い負傷した天竜は、上空へ飛んでいったように見えたが、傷が深く飛びきれなかったのかもしれない。近くの森に落ち、そこで傷を癒していたのだろう。そのテリトリー内にポルトたちが入り込んでしまったのだ。不運だった。けれど相手が手負いの状態で良かった。通常であれば、いくらレダが戦闘に長けていようとも人間一人で天竜を相手にできるわけがない。とはいえ健康な状態の天竜がこんな森の中にいるわけがないのだから、やはり不運なのだ。


「怪我の様子は?」

 近寄っても暗くて細かいところまでは全然見えない。軽く触ってみたけれど、すぐに命に関わるほど大量に出血しているようなところはなさそうだった。

「わかんねえけどいろんなとこが痛い。ちょっと動けそうもないから、道具とか持ってきてくれるか?」

「わかった、待ってて。明かりも持って来るから」


 ポルトは急いで来た道を引き返す。あれだけ喋れれば大丈夫だとは思うが、あのレダが自分から動けないというぐらいだから結構ひどいのだと思う。どこか骨が折れているのか、それとも筋をやられてしまったのか。とにかく早く戻って明かりの下で状態を見なければ。

「道案内頼むよ、オージ」

 肩の上のオージが頼もしくギャアと鳴いた。こちらの言葉をどこまで理解しているのかわからないが、声をかければ返事をする。そこに何かしらの感情があるような気がするのは、自分の期待が見せる幻想なのだろうか。真実はオージにしかわからない。


 寝床まで戻ることは比較的簡単だった。焚き火の明かりが目印になるからだ。それさえ視界に入ってしまえば方向を見失うことはない。木の上からリュックを取り、焚き火で松明を作り、急いでレダの元へ戻る。

 それこそ今度はオージが頼りだ。不安もあったけれど、レダのところに連れて行ってとお願いしたら肩の上の定位置を飛び降り、ポルトの前をピョンピョンと飛ぶように歩きながらレダの元まで一直線にたどり着いたのだ。賢い子だ。あとでたらふく肉を食わせてやろうと思いながら、先ほどと同じ体勢で転がっているレダを明かりで照らした。


 近くの木に上手に松明をくくりつけ、レダの状態を観る。

 ずいぶん青い顔をし、肩で息をしながら脂汗を流していた。思っていたより酷いのかもしれない。先ほどの喋りはレダの強がりだったのだろうか。

「レダ、一番痛いところは?」

「胸のところ、多分爪でやられてる。あと左腕、折れてると思う」

 先ほどよりもだいぶ力ない声でレダは答えた。


 レダの言う通り、胸のあたりは服が引き裂かれており、血も滲んでいる。持ってきた水で傷口を洗い流す。

「大丈夫、そんなに深くはないよ」

 布を当て、強く圧迫して止血をする。これぐらいなら多分大丈夫だ。そう思いながらも手が震える。商隊の怪我人を何人もこうして手当てした。けれど今回は相手がよく知らない人ではなく、レダなのだ。専門的な医療の知識や道具があるわけでもない。自分のやっていることは正しいのか、その確証すらない。数日前に読んだ本の知識だけで、医者でもない自分に一体どこまでのことができるのか。レダを失う恐怖がよぎり指先が冷たくなる。


(だめだ、冷静な判断をしなくちゃ)


「大丈夫だ、レダ。僕が助けるから」

 レダを、そして自分を鼓舞する。


「少し血は止まってきたかな。レダ、右手は動く?これ、自分で押さえられる?」

 レダが頷いたので、レダの右手を胸の上に当てた布を押さえるような形に導いてやる。その手がしっかりと布を固定するのを確認すると、今度は左腕の治療に取り掛かる。


 押さえるように少し力を込めて腕を掴むと、レダは小さく呻いた。

「ああ、これは前腕のあたりがやられてるかな。折れてるかどうかはわかんないけど、ずいぶん腫れてる。折れてたとしても変なふうに曲がったりはしてないからこのまま固定すれば大丈夫かな。少し冷やした方がいいかも」

 布を濡らして腫れているところを冷やす。添え木をして固定しようと思ったがその前に。

「肩が脱臼してるね。だから左手動かないんだ」

 痛がるレダをちょっとだけ無視して、外れた肩を少し引っ張るように動かして元の位置に戻してやる。

「これで腕は上がると思うよ。でもまだ動かさないで」

 冷やしていた前腕部分に木を当てて固定をし、これで腕は完了だ。

「あとどこが痛い?目の上がちょっと切れてるね。これも押さえて止血して、と」

 レダは投げ飛ばされて背中を強く打ったと言ったが、傷はなさそうだし背骨や腰にも異常はなさそうだった。他に見受けられるのは腕や脚などの体の表面の細かな傷ぐらいだ。時々爪でやられたような深い切り傷や酷めの擦過傷もあったが、大小含め一つ一つ傷を洗って綺麗にし止血をする。


「よし、これで全部かな。大丈夫、すぐ良くなるよ」


 傷口から菌が入るなどしなければ問題ないと思う。のだが、妙にレダが辛そうにしているのが少し気になる。もちろんこの程度の治療で痛みが消えるわけではないし、だいぶ血も減っているだろうから辛くないわけはないのだが、怪我の重度以上に苦しんでいる気がするのだ。経験があるわけでもないのでどれぐらいの怪我でどれぐらいの辛さなのかなんてわからないが、どちらかといえばレダは辛いこともやせ我慢するタイプなのだ。こんな風に肩で息をしながら辛さを露わにするのは珍しい。何か見落としていることはないかと考えてみるが、これ以上ポルトにできることは何もなかった。


「今日は一晩ここで寝よう。僕が起きて見張っているから」

 体力のないポルトが一人でレダの体を動かすことの方が危険だと判断し、持ってきた大きな布を掛けてやる。こんな状況では自己回復力に頼るしかない。眠るように促してポルトは自分もその布の中に入る。一緒に眠るつもりはないが、レダの体温を上げるためだ。


 しばらくしてレダが寝息をたて始めると、少しほっとした気分になる。ポルトは寝床を抜け出して、消えかけていた松明を使って新たな焚き火を起こす。


(お願いだから、元気になって)


 商隊からも離れた今、レダがいなければ旅などできないことは明白だ。もしもレダが死んでしまうようなことがあれば、すぐに後を追うようにポルトにも死が待っているだろう。もしもレダが死なずとも体が元のように動かなければそれもまた旅を続けることは難しいだろう。ポルトは自由に動けないレダを街まで連れ帰ることはできるだろうか。いずれにせよ待つのは共倒れの未来なのかもしれない。


(僕がレダを巻き込んだのに)


 こんな酷いことはない。ポルトがのうのうと寝ている間に、レダはポルトを守るために天竜と戦い負傷したのだ。


(助けられなければ僕はただの疫病神だ)


 ポルトに出会わなければ、きっとレダは街でいちばんの戦士となって立派な人生を送れただろう。


(そんな人生はつまらないって君は言うんだろうね)


 ポルトだってレダと出会えたことは何よりの幸福だと思っている。それは旅に出るよりもずっと前からだ。レダにとっても幸福であるといいと願いはするけれど、ポルトにはその自信がない。レダに辛い思いばかりさせてしまっているような気がする。


「ごめんね、レダ。がんばって」


 眠るレダに、祈るように小さく呟く。パチパチと時折小さな音を立てて燃える炎が映し出すレダの寝顔は辛そうに顰められている。

 自分の無力さを思い知る。これまでも無力である自分をわかってはいたけれど、今回のことは殊更痛烈に胸を抉った。


 膝を抱えるポルトの腕にオージがよじ登ってくる。そして励ますようにポルトの鼻先を小さな舌でちろっと舐める。オージだって心配しているのだ。レダのことも、ポルトのことも。

 ポルトは泣きそうになるのをぐっとこらえ、オージの頭を撫でた。泣いている場合ではない。夜が明けたらやらなければいけないことはたくさんある。レダを守りながら、これまで二人で分担してきたことを全部一人でこなさなくてはいけないし、治療のための薬草も探しに行きたい。どう動くのが最良か、頭の中でシュミレートする。できないことは多いけれど、できることは全てやろう。全てだ。効率よく、的確に。


 辺りが少しずつ明るくなってきている気がした。ほんの少しだけ微かに太陽の光が漏れ出てきている。

(夜明けまで、少しだけ寝よう)

 座ったままで目を閉じた。夜が明けたら動き出せるように力を蓄えることも必要だった。

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