デルタ

月之 雫

第1話 少年二人

 ここは、天を駈ける天竜と、地を駆ける地竜と、そして小さいけれど群れた人間が棲む世界。

 天竜は地竜の肉を喰らい、地竜は人の魂を喰らい、そして人は天竜を狩る。そんな均衡した力関係でこの世は成り立っている。



   ***



 石造りの建物が並ぶ通りを二人の少年が駆けていく。

「待って、レダ」

 後ろを走る少年ポルトは、息を切らし、もつれそうになる足を必死で前に送りながら、前を行く親友レダに助けを求めた。栗色の髪が汗で額や首筋に張り付いて気持ちが悪い。心臓が耳元にあるみたいに大きな音をたてて、限界が近いことを主張している。

「だって、早く行かないと終わっちまう」


 二人とも年は同じ14才。けれどレダの方が明らかに体格がよく、体力もある。長い足で楽々と走り抜けるレダは、遅れをとるポルトを気にかけつつも、早く行きたくてうずうずしていた。紺碧の瞳がぎらぎらと期待に満ちて輝いている。


 今、街のすぐそばで天竜狩りが行われている。大人の男達によって行われるそれは、大概もっと街から離れたところで行われるものなのだが、今日は珍しく近場であった。見晴しの良い高台へ行けば、その様子が一望できるだろうと、こうして二人は駆けているのだ。

「こんな機会は滅多にないんだからさ」

 レダはポルトの手を掴み、強く引く。

「わわっ」

 自らの足に引っ掛かって転びそうになるのをなんとか堪え、レダに手を引かれたポルトのスピードが増す。


 街の中心部を抜け、南の丘をのぼると、やがて見えてくる土埃。街の外が見渡せるそこへ辿り着くと、眼下には戦いの場が広がっていた。

 人間の大人20人分ぐらいありそうな大きな竜を、街の男が総出で取り囲んでいる。狩りはもう終盤に差し掛かっており、竜の体には既に何本ものロープが掛けられているようだった。

「すっげえなあ」

 レダは目を輝かせて見入っている。

「空から引き降ろす所、見たかったなあ」

 大きな翼はもはや広げられなくなっている。ここまで来たらあとは息の根を断つのみである。

「俺も早く狩りに出たいな」

 レダは大人達の動きにあわせるように槍を突き立てる真似をする。

「あと4年か。長いぜ…」

 物見のつもりがいつの間にか武術の練習に変わっていたレダは、美しい舞でも踊るように、しなやかな動きで技をくり出す。あの手の中に本物の武器が握られていたなら、きっと誰よりも勇敢だろう。学校でも、レダの武術の成績は一番だ。

 男に生まれたからには、狩りの術を学び、戦いを学び、18になれば狩りに出るのが決まりとなっている。狩れないやつは駄目なやつだと虐げられ、時には街から追い出されることもある。

 強くあることが一番の価値であり、子供達はそれを憧れる。

 言うなれば、武術に優れたレダはエリートであり、体力のないポルトはおちこぼれ。そういう世界に二人は生きている。


「僕は、大人になんてなりたくないよ」

 短い草の中に腰を下ろし、ポルトは膝を抱えた。レダは目を輝かせて狩りの様子を見るけれど、本当はポルトは見たくなかった。近くで天竜の姿は見てみたかったけれど、あんな風にどんどん弱っていく様を見るのは嫌だ。

「大丈夫だよ、ポルトは臆病者じゃない。ちょっと体力は足りないけどな」

 レダは架空の剣をポルトの眼前に突き付けて笑った。レダの武術は本当に美しいと思うし、その姿を見るのがポルトは大好きだが、いつかその手には本物の武器が握られ、ああして天竜を刻むのかと思うと何とも言えない気持ちになる。

「違うよ、竜が可哀想だ。戦うのが怖いんじゃない。竜を殺したくないんだ」

 何をしたわけでもない天竜を、自分たちの都合だけで傷つけ殺すのだ。そうして命を奪ってしまうことが、ポルトには苦痛だった。それが自分たちの生き方なのだとわかっていても、どうしても天竜に情が移ってしまうのだ。

「やさしいな、ポルトは」


 身を投げるようにポルトの隣に転がったレダは、ポルトの首に手をかけて草の上に引きずり倒す。そのままわしゃわしゃとポルトの栗色の髪をかき回した。

「それでも、こうしていかないと俺たちは生きていけない。何かを殺して食べないと、自分が死ぬ。狩りは悪いことじゃない」

「わかってる」

 ポルトだって、ああして大人たちが倒した天竜の肉を食らって生きている。古来からずっと、人はそうして生きている。わかっている。それに抗うつもりもない。

 頬を膨らませ、ポルトは空を見上げた。空は青く、どこまでも高い。


「わかってるけど、レダのようには楽しめないよ…」

 まるでお祭りのようにワクワクと狩りを楽しむレダ。それは子供達にとってごく普通の感情だ。狩りの時は誰だって昂ぶる。男の子ならば尚更。

「俺はさ、守りたいんだ。この手で守れる全てを」

 青い空に向かってレダが掲げた両手は、頼もしい男の手だ。それはとても大きく見える。ポルトを置いて、レダは大人への道を突っ走っている。

「ポルトも守るよ。戦いたくないなら、しなくてもいい」

 レダは優しい。ポルトを引きずり回して猪突猛進しているように見られているけれど、本当は誰よりもポルトのことをよく見ている。誰よりもポルトのことを知っている。言葉にしたことのない心の内までも、レダには全部丸見えなんじゃないかと思うことがある。それぐらいの気遣いを、自然にできるいい男なのだ。

「ありがとう」

 だけどそれに甘えてばかりではいけない。戦えない男はこの世界では生きていけない。ポルトも18になれば否応無く狩り場へと向かうのだ。守られねば立てぬ者などそこにいる価値はない。レダのお荷物でありたくはない。

「でも、いいよ。僕は、男だ。こんなでも、人に守られて生きていくわけにはいかないよ」


 決めるのも自分。覚悟をするのも自分。

 友は友で、対当でありたいと思う。

 レダとは、いつだって親友でありたい。


「そうか。なら頑張れ」

「うん」

 レダは皆と同じようにできないポルトを決して馬鹿にしない。無駄と決めつけることもしない。無理やりしばき倒すこともしない。いつだってポルトがポルトであることを認めてくれるのだ。


(だから僕は僕にできることを頑張らなくちゃいけない)


 逃げ場なんてない。戦えなければ、その先に待つのは追放、そして死だ。

 レダと共に生きたいのならば、覚悟を決めなければいけない。

 己の心と戦うのもまた生きるということなのだろう。


(僕は今この世界で生きているんだ)


 高い空を一匹の竜が羽ばたきながら横切っていく。

 ポルトは小さく細い右手を高く上げ、片目を瞑ると、天竜の広げた翼を指先でそっとなぞった。触れられる気がした。



 叶うならば、共に生きたい。

 友は、多くてもいい。

 棲む世界が違おうとも、わかりあうことはできるはずだ。





  ———全てを愛したい僕は、欲張りだろうか。



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