八重口千尋はバズりたくない

蒼樹里緒

八重口千尋はバズりたくない

絶対バズらない方法・その1

 たった一四〇字で自分の意見を発信するなんて、アホなのか?

 普段、声で伝えるのだって充分難しい。自分の意思が、相手に毎回一〇〇パーセント正確に汲み取ってもらえるとも限らないのに。

 そんな短い文章を不特定多数に公開して、いらん誤解をされちまったらどうするんだ?

 コミュニケーションSNS『ツイッテル』が始まったばかりの頃、オレは全然乗り気になれなかった。

 高校時代、周りの友達が次々にツイッテルに登録しても、あれこれ言い訳をして断っていた。

八重口やえぐち、一緒にツイッテルやんない?」

「いやー、百合漫画の続きが描きたいからさ、つぶやいてる暇ねえわ。もうちょいで完成しそうなんだよ」

千尋ちひろ、そろそろツイッテル始めねえ?」

「悪い、バイトが忙しくてさ。気が向いたらな」

 そんなふうに、のらりくらりとかわし続けていたのに。

 ある日、前言撤回するような事件が起きちまった。


『編集部と担当さんに許可をいただいて、今日からツイッテルを始めてみました。まだ使い方もよくわかりませんが、漫画の告知とか落書きとかをのんびり載せていけたらなと思います。よろしくお願いします!』


 ——荏原えばら先生がツイッテルに登録した、だと……!?

 オレが小学生の頃から大尊敬している少女漫画家——荏原芙美香ふみか先生。

 スマートフォンで愛読している彼女のブログに、ツイッテルについての記事がアップされたんだ。

 記事のリンクから、荏原先生のツイッテルアカウントに飛んでみる。

 アイコンは、先生が月刊少女漫画雑誌『ここあ』で連載している漫画の、ヒロインの絵だ。

 画面をスクロールしていくと、編集部や出版社の公式アカウントのつぶやきも載っていた。

「マジか……」

 今までは、先生のブログや『ここあ』の公式サイトで毎日欠かさず情報を追っていたけど。ツイッテルはブログよりも更新頻度が速いように感じた。

 途端に、世界がきらきら光り始めた気さえして。

「オレもツイッテルを始めます、荏原先生!」

 ついにオレは、ツイッテルの新規登録ボタンをぽちっと押しちまったのだった。一八〇度ひっくり返したてのひらが動くままに。

 登録確認メール受信後、オレはすぐアカウントを非公開設定にした。うっかり友達に見つからないようにするためだ。ユーザー名やプロフィールも、家族や友達にはバレないようなものにした。荏原先生の情報を追うだけのROM的な使い方をすれば、きっと問題ない。

 早速先生のアカウントをフォローすると、自分のタイムラインが彼女のつぶやきで埋まった。

「おぉ……!」

 思わず感動の声が漏れる。

 なんて素晴らしいんだ、ツイッテル。今まで毛嫌いして遠ざけていたのがアホらしい。

 とりあえず基本的な使い方を覚えようと、ヘルプページを眺めた。

 ——六か月間、ログインしないで何もつぶやかねえと、アカ削除されちまうのか。でも、特につぶやくこともねえしなぁ。

 強いて言えば、荏原先生に漫画の感想リプライを送ってみたいってささやかな願望ならある。

 ——鍵アカじゃ、フォローしてても相手にリプは届かねえんだよな。そのためだけに鍵開けるのも、なんだかなぁ……。

 荏原先生には、編集部宛に何度かファンレターを送ったことがある。先生は忙しいから、当然返事なんてもらえないけど。


『いつもお手紙ありがとうございます! 大切に読ませてもらっています。一つ一つにお返事ができなくて、ごめんなさい。私の漫画を楽しく読んでくださる皆さんとご一緒に、私ももっと楽しんで漫画を描き続けたいです』


 単行本の柱やブログに書かれている先生のお礼文を読むだけで、めちゃくちゃうれしい。

 ——それになんかこう、ツイッテルは距離が近すぎて、逆に気が引けるな。

 手紙をポストに入れたり、『ここあ』公式サイトのメールフォームを使ったりするのとはわけが違う。ネット経由だけど、すぐそこに先生がいて。自分もアカウントを公開設定にすれば、彼女に自分の想いをリアルタイムで伝えられるんだから。

 部屋の机に突っ伏して、深く息を吐く。

「緊張しすぎて、どうにかなりそうだ……」

 先生のサイン会に参加する勇気も、未だに出なかった。

 しばらくは、ただ先生のつぶやきを見ているだけでいい。

 そう決心して、その日はツイッテルからログアウトした。


  ▼


 二週間後。学校帰りに『ここあ』最新号を本屋で買ったオレは、家のベッドでごろごろ転がった。

 荏原先生の漫画が、ものすごく盛り上がる展開になっていたんだ。

「なんだこれ、なんだこれ、胸熱むねあつ!」

 胸が熱い、略して『胸熱』。語彙力ごいりょくなんて、どっかへ飛んでいった。

 ——こりゃあぜひとも先生に感想を伝えねえと!

 妙な使命感が湧いた勢いで、スマホでツイッテルにログインする。投稿フォームに文字を打ち込んでいくけど。

「やっぱ、一四〇字なんかじゃ足りん。圧倒的に足りんッ!」

 作品やキャラへの愛をたった一四〇字にまとめるなんて、オレにはとても無理だ。いつも通り、手紙書いて送ったほうがよくね?

 雑誌に付いている読者アンケートハガキをじーっと見つめながら、悶々と考える。これも先生の応援のために、毎月欠かさず書いて送っていた。

 ——ハガキの意見感想欄も狭いし、なんかツイッテルと同じで限られてるよな。なるべく短い文で伝えるなら……。

 ハッと顔を上げる。ひらめいた。

 どきどきしながら、自分のアカウントを公開設定にした。

 タイムラインから荏原先生のツイッテルアカウントに飛んで、リプライボタンを押す。


『荏原先生、初めまして。僕は男ですが、前に先生のアズールフレンドという漫画を読んで、先生の絵や作品、それから百合が大好きになりました! 自分でも趣味で百合漫画を描いてます。ずっと応援してます、がんばってください!』


 深呼吸して、投稿ボタンを押す。『送信されました』っていうシステムメッセージが表示された瞬間、脱力してベッドに仰向けになった。

 ——ありきたりな言葉しか書けなかった……でも、先生が読んでくれたらいいや。

 一回だけ。この一回だけでいい。明日になったら、鍵アカに戻ろう。

 リプライの文章は、最初に送ったファンレターにも書いたことだ。けど、どうしてもまた無性に伝えたくなった。細かい感想文は手紙で送ろう。

 それから、中学生の妹と晩飯を食った後、またツイッテルにログインしてみた。

「……は!?」

 目玉が飛び出そうになった。

 通知欄に届いていたのは——荏原先生からのリプライだ。


『応援ありがとうございます。男性の方にも私の漫画を楽しんでいただけるのは、とてもうれしいです。百合も機会があればまた描いてみたいですね。女の子同士の細かい感情を表現するのも、大好きですから』


「うおーッ! マジかー!」

「ちぃにい、うるさい!」

 廊下から響くかわいい妹の苦情も、この時ばかりは耳をするっと通り抜けていった。

 お手玉みたいにスマホを放り投げて、キャッチして。にやけながら、オレはそんなことを繰り返す。

 ——八重口千尋、我が生涯に一片の悔いなしッ!

 荏原先生のホームタイムラインをのぞいてみる。いつも自分のタイムラインから見ていたせいで、気づかなかった。彼女は、ファンからのリプライ一つ一つに、丁寧に返信してくれていたんだ。ついには、このオレにまで。

 授業の課題も、今ならさくっと余裕で片付けられそうだ。

 にやけ顔のまま、先生のリプライに『いいね』ボタンを押す。スクリーンショットも撮って読み返そう。むしろ印刷して壁に貼ろう。漫画のモチベーションアップのために。

 そして、ツイッテルからログアウトしかけた時。

 通知欄のアイコンが、ぴこっと光った。しかも、何回か連続で。

「げッ」

 オレの先生へのリプライが、ほかのユーザーたちに拡散され始めた。

 ——フォロー外の通知設定、切っとくの忘れてたー! てか鍵かけよう!

 焦って設定ページに飛んで、アカウントを非公開設定に戻す。通知設定も変えた。これで問題ない、はずだ。

 ほっとして通知欄を見返すと、他人からのリプライもいくつか表示されていた。


『男のくせに小中学生向けの少女漫画読むとか、キモい。ロリコン?』

『これだから百合豚は……』

『自重しろ』

『荏原せんせーにすり寄らないで!』


 ——怖えー! ツイッテルってかネット、マジ怖えー!

 ガクブルっていうネットスラングは、きっとこういうときに使うんだろう。

 クソリプを送ってきた奴らを片っ端からブロックして、今度こそログアウトした。

 オレの対処が遅かったら、あのままやたら拡散されてバズっちまっていたかもしれない。そのせいで、荏原先生にまで迷惑をかけちまうようなことだけは避けたかった。

 ——荏原先生も、もしかしたらこんなクソリプを送られちまってるのかもな……。

 想像すると、やるせなくなる。一般人のオレでさえこの有様なんだから、有名人はそれこそアンチから暴言を投げつけられまくるんだろう。

 ——てか、何だよ。男子高校生が小中学生向けの少女漫画とか百合とか好きでいちゃ悪いのかよ!

 猛烈に言い返したくなったけど。いちいちあんな奴らにかまう暇があるなら、自分の百合漫画を完成させたほうがずっといい。

 ——やっぱ、オレはずっと鍵アカでいたほうが性に合ってるな。

 この経験も、人生の勉強になった。

 これからも、何かの手違いでうっかりバズらないように平穏に生きていこう。



 絶対バズらない方法、その1。

 アカウントは非公開設定を貫くこと。

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