練習用短編集

四葉陸

幸せな夢

「ねえねえ理沙りさ

「んー?」


 名前を呼ばれて、顔を上げる。目に入るのは、見慣れた私の幼馴染のかなえだ。


「理沙はさ――」

「りょっと叶、ここ図書室だよ。もうちょっと声抑えて」

「ああ、ごめんごめん」


 叶は咳払いを一つすると、改めて私の方を向き、今度は周りを気にかけながら問いかけた。


「もうそろそろ私たち高3だけど、理沙は何処の大学行くか決めてるの?」

「大学?」

「そう、私はA大学を目指してるんだけどね。あれ、言ってたっけ?」

「いや、初めてきいたよ。そうだね、私は……」


 ……どうするんだろうか。

 A大学と言えば、この辺りでもかなりレベルの高い大学だ。間違っても私がいけるような大学じゃない。

 かといって、他の大学も正直言って、自分の将来にまったく期待していないから、行きたいところなんてないのだ。


「……まだ、決めてない」

「そっかー、まだこれからだもんね」


 図書室の椅子の背もたれに叶は体重を預け脱力する。そんな姿すら様になっているというのだから、私とは大違いだ。


 ――叶は私のことを、どう思っているんだろう。


 叶は人気者だ、女子バレー部のキャプテンで、勉強もかなりできる。かわいい顔やしぐさと、周りまで明るくさせる性格は、間違いなくクラスの中心人物のそれだ。受けた告白の数だって一つや二つでは無いだろう。


 でも、そんな彼女は幼馴染だというだけで、こんなクラスでも友達のほとんどいない下らない人間の私とずっと仲良くしてくれている。


 それはとても嬉しいことだけど、同時に劣等感でもある。

 その劣等感は、最近の私の別の悩みとあわせて、どんどん私の中で大きくなっていく。


 ……少し、ほんの少しだけ、最近は叶と一緒にいるのが辛い。



 ※



 ――夜、今日も私は夢を見る。


 それは、もう一つの私の悩みだ。別に悪夢を見るわけではない、もしかしたらその方がよかったかも、とも思うけれど、むしろその逆だ。


 


 今日の夢の舞台は教室だ。この幸せな夢の舞台で教室が一番多いのは、やはり普段、叶のいない教室では一人も友達がいないことの裏返しだろうか。


 夢の中で、私は友達に囲まれていた。

 しかし、とは言ってもそれは夢の中、私の現実のクラスメイトに囲まれている訳ではなく、全然見知らぬ人たちだった。そもそも教室からして私の通っている学校じゃないし。


 授業終わりのチャイムが鳴るなり、私の席の周りに人が集まってくる。彼女らと私は、幸せに満ちたような表情をしながら、自分たちの将来について語り合っている。


 ――――吐き気がする。


 今日は教室だったけれど、日によっては別の場所にいる夢も見る。


 ……たとえば体育館で、友達とバスケットボールに励んでいる姿を見る。


 ……たとえば学校の図書室で、何人かの友達とひそひそ話をしながら勉強をしている姿を見る。


 ……たとえば私の家で、現実だと一言も会話をしない妹に、中学の勉強でわからないところを教えている姿を見る。


 他にもいろいろあるけれど、まるで現実の私への当て付けかのようなそれらに私はうんざりしていた。


 ……けれど、一番の問題は、私がそんな夢の中の私を"羨ましい"と思っていることだ。


 こんな、子どもの思う未来の理想像みたいな夢の中の私に、なりたいと思ってしまう。

 けれど、夢は夢でしかなくて、実際問題どうすることもできない。

 ずるいのは、これだけ違っていても、それでもと、理由もなくそう感じてしまうところだ。



 ※



 ――目が覚めた、最悪の気分だ。


 あんな夢を見せられたあとでは、現実の自分に嫌気が差して、死にたくなってしまう。


 それでも学校に行かない訳にはいかない。夢の中と違って、笑顔で将来を語れるほどの学力はないから。


 自室の鏡を見ると、見たくもない自分の嫌いな顔が映っていて、思わずぶん殴ってしまった。手を少し怪我していたので、少し後悔もした。


 リビングに行っても誰もいない。両親はもう仕事に行ってしまっている時間だし、妹はまだ起きてくる時間じゃない。


 ――夢の中なら、もっと近い高校だったから、妹と朝に会話できたのに。


 そんな考えが頭に浮かぶ。私にはどうしようもないんだと言い聞かせ、無心で朝食を口に入れる。


 学校での授業も、ちゃんと聞かなきゃいけないのに、無意識に夢の中と比べてしまって、上手く理解できない。そんなことだから、休み時間も授業の復習に消える。どうせ叶は違うクラスだから、教室での私は完全に空気だ。


 結局今日も、放課後に叶と会うまで、誰とも会話しなかった。


 あの夢を見るようになってから、叶の顔を見るのが少し辛くなった。夢の中の私がなんだか叶への嫉妬心で生まれたもののような気がするのだ。


 けれども、叶に対してそんな感情を向ける訳にはいかない。彼女は今も昔も、私の唯一の友人だ。けれど、一人でいるとき、私はいつも考える。


 ――私が生きてる意味ってなんだろう?


 まるで思春期真っ只中の中学生のような考えだ。半年も前の私が見れば一笑に付すような、そんな下らない考え。


 けれど、あの夢を見るようになってから、これは、私にとっての一番の疑問になっていた。

 何を見ても、夢の中と比べてしまう。夢の中の私ならこうだった。なんて考えが、現実どは意味が無いことはわかっていても、その思いは徐々に私の人生から、価値を奪っていく。


 ――もう耐えられなかった。

 私の人生がこんな夢なんかに嘲笑われて、崩れていくのが。


 ――もうどうでもよかった。

 何より自分の人生を嫌っていたのが、私自身だとわかっていたから。



 ※



 その日は起きた時から、少し体が重かった。別に、咳やくしゃみが出るわけじゃなかった、熱があるわけでもなかった。


 けど、学校に行く気が、どうしても起きなくて、学校に休みの連絡を入れた。

 妹は、家を出るまでなにも言ってこなかった。私の部屋なんて気にかけなかったから、気づかなかったのか無視したのかもわからない。


 誰もいなくなった家を出る。いってきます、なんて、もう何年言ってないだろうか。


 いまの時間から家を出ても、もちろん学校は遅刻だ。けれど、今日の目的地は学校じゃない。ふらふらとした足取りで、叶の家があるマンションまで行く。叶ももうとっくに学校に行ってしまったあとだろう。

 叶のマンションは、この街が変に田舎なところも相まって、オートロックなんてものはない。

 誰ともすれ違うことなく叶の部屋がある14階に到達する。外廊下から、自分の街の風景が一望できる構造で、そのなかに含まれている私の家を見て、なぜか口角が上がってくる。



 ――――そのまま私は、廊下の縁に手を載せて、体を前に押し出した。



 ※



 目覚まし時計の音が聞こえる。早く止めないと、またお母さんに怒られてしまう。


 目を瞑ったまま、手探りで目覚まし時計を探し、アラームを止める。


「ふぁ」


 自室に備え付けの鏡を見れば、いつもと変わらない私の、が映っている。


 ……まあ、普通なのはなにも顔だけではない。学力も運動神経も平凡だし、人付き合いだって悪くはない。いつもそこそこ仲のいい3、4人とつるんでいる。


 そんな感じに、自分の特徴とも言えない特徴を考えていると、ふと頭に浮かぶ、最近のちょっとした私の悩み。


 最近、


 友達に軽く相談もしてみたりしているけど、まあ所詮は夢だ。たいしたことは無いだろう。


 お母さんの声も聞こえるし、私は軽く自分の頬を叩いて、渇を入れた。


 さあ、1日を始めますか。

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