交渉
噴水広場は大勢の人であふれていた。
といっても、雰囲気は様変わりしている。開始直後はお互いの様子を窺いながら、身を寄せ合うようにしていたのに……今では各々で好き勝手な活動をしている。
パーティを集めて狩りへ行こうとしているプレイヤー、ギルドメンバー募集の声を掛け続ける集団、何か作ってもらいたいのか生産系スキル持ちを探している奴……。
俺には馴染み深い、MMOの日常の風景とでもいうものだ。
もちろん、狙い通りに、様々なアイテムを売るプレイヤーの姿もある。
「うわぁー……すごい活気だね!」
「なんだか……本当の街みたいですね」
カエデやアリサエマは目を白黒させて驚いている。
目の前に広がる光景こそが……大勢のプレイヤーがいて、その一人ひとりが好き勝手にすることそのものが……MMOが他のゲームと一線を画す最大の要因だと思う。
「……ようこそ、MMOの世界へ」
多少、かっこうつけて言ったのだが――
「もう! いきなりかっこつけないの!」
とカエデにツッコミを入れられる。
まあ、失敗でもないか。怒っているわけじゃないみたいだし……むしろ楽しそうですらある。こんな風にじゃれあうのが俺とカエデの形なのかもしれない。
色んな形があるなんて知らなかった。カエデが教えてくれたことだ。……一応、ネリウムもか。
アリサエマもニコニコと笑っているし、楽しんでくれているのだろう。
商売をしているプレイヤーたちは一箇所に集まっていた。自然と住み分けというか……目的別に決まった場所ができつつあるのだろう。
これなら売る方も楽だし、買う方も楽だ。
売り買いされているほとんどは俺たちも知っていたアイテム――『基本溶液』や『みどり草』、二種類の回復薬――だったが、予想通りに魔法書の売りもあった。
「タケルの予想通りだったね!」
「でも……もの凄く値段の差が激しいような……」
ざっとみただけで『フリーズシュート』に『エンチャント・ウェポン』、『エンチャント・シールド』の三種類が確認できたが、その値段はバラバラだ。
一番人気は『フリーズシュート』らしく金貨九百枚前後、『エンチャント・シールド』は不人気で金貨七百枚前後というところだ。
「まあ、用途で欲しがる人も変わるからな。それに値札はあてにならんぞ。金貨百枚分くらいは軽く値切れるはずだ」
最初に重要なことを二人に伝えておく。
あまり歓迎されることではないが、値切るのはマナー違反とはされていない。
ほとんど全てのプレイヤーが売り手であり、買い手でもあるから、あまり露骨だったりしつこかったりはNGだが、挨拶程度に値切るのは良くある話だ。
「それに今はなんというか……いわゆるデフレ状態だからな。金貨九百枚も持っているプレイヤーは一人もいないんじゃないか? それにパーティでドロップしたレアアイテムは早めに売りたくなるもんなんだ」
「へ? どうして?」
二人とも不思議そうな顔をしている。
「そりゃ、簡単な理屈だ。俺たちのパーティで魔法書をドロップしたとするだろ? そしたらどうする?」
「アリサにあげる?」
カエデはそんなことを即答するが、逆にアリサエマは困ってしまっている。
「さすがに……そんな高いものを貰うのは……」
「まあ、全員がカエデと同じ気持ちだったらそれでも良いけど……普通は売却して金貨をメンバーに分けるんだ」
カエデは納得していないようだが、話を続けるしかない。
「それで誰かが立て替えとかできりゃ楽だが……金額によっては難しい。だから、売れてしまえば分けやすくて良いんだ。だからそういう売り物は急いでいるのさ」
俺の説明にカエデはしぶしぶ、アリサエマは納得して肯いた。
「それじゃ……あの『エンチャント・シールド』を値切って……金貨六百枚くらいで買えるのかな?」
カエデはそう言うが……なぜか羨ましそうにアリサエマの方を見ている。どうしたんだろう?
逆にアリサエマはなんだか気に入らない様子だ。そして俺の様子を窺うように言った。
「できたら……その……『エンチャント・ウェポン』の方がいいんですけど……」
細かく考えると『エンチャント・ウェポン』と『エンチャント・シールド』なら、優先するべきは『エンチャント・ウェポン』ではある。理由はごく単純だ。アリサエマは盾をもっていないから、『エンチャント・シールド』では一人のときに全く役に立たない。
どちらも魔法書としては安い部類のようだし、覚えるべきものようだから、順番などどっちでも良いはずではあるが……。
「『エンチャント・シールド』が先でも――」
そこまで言いかけて先を続けられなくなってしまった。
なぜかアリサエマが少し悲しそうな顔をしたからだ。
二人にとって俺は……雛鳥が最初に見た相手も同然で……MMOの案内人として、すこしは誠意のある態度であるべきだろう。
アシストのお礼の先払いの意味もある。多少面倒くさいし、上手くいかない気がするが……ここは『エンチャント・ウェポン』の方を値切るべきか。
やるだけやればアリサエマも納得して、すぐにアシストを開始してくれるだろう。
「……じゃ、まあ……『エンチャント・ウェポン』を売りに出している奴のところへ交渉に行ってみる?」
「はい!」
ただ交渉に行くだけなのに、アリサエマは大喜びをしている。まあ、悪くない判断だったか。……情けは人の為ならずとも言うし。
「でも……なんであの人……金貨千二百枚で売っているんだろ?」
そう、それが厄介に思えて仕方がなかった。
交渉に行くと決まったのに、なかなかアリサエマは動きださなかった。
その気持ちは解からなくもない。
俺などはすでにMMOで慣れてしまっているが、普通は値切りの経験豊富という人は少ないはずだ。俺だってゲームならともかく、リアルでは考えたことすらない。
「アリサ……もしかしてこういうの苦手? 良かったら変わってあげようか?」
気をつかってカエデが申し出るが……どうも善意だけでなく、好奇心も多分にあるようだった。羨ましそうにしていたのはこれが理由かもしれない。
「でも……私の用事ですし……」
アリサエマは遠慮するが――
「いいの、いいの! ……実はボク、値切りってやってみたかったんだよね。それにタケル! なにぼやっと見てるのさ! こういうのは男の役目なんだよ!」
と言って押し切ってしまう。
そして俺の背後に回り、背中を押して交渉相手の方に促す。……小さな手だなぁ!
正直、相手は男だし、交渉するならカエデかアリサエマの女性――アリサエマは見た目は完全に可愛い女の子だから大丈夫だろう――の方がスムーズだと思うが……まあ、ここは模範演技と割り切ることにしよう。……厄介な相手かもしれないし。
俺たちが近寄ると、交渉相手の男はすぐに気がついた。
不景気な顔をしているが、それもそうだろう。初日にレアドロップを当てる幸運に恵まれたにもかかわらず、肝心の売却が上手くいってないのだ。内心、不満と不安でいっぱいのことだろう。
「『エンチャント・ウェポン』の魔法書あるよ! いまなら『初級MP回復薬』をオマケけに付けてもいいぜ。買わないか?」
案の定、向こうの方から話しかけてきた。
売る気はあるようだし、少し焦れているようだが……演技の可能性もある。
この男が付けた値段は明らかに間違っていた。
だが、NPCから金貨千枚で買えるアイテムを、金貨千二百枚で売っても無駄……そう考えられるのは、俺たちがその情報を持っているからだ。
きちんと情報収集をしていないプレイヤーの場合、どんな魔法が入手できるのか、それがいくらなのか、どこで入手できるのか全く知らないだろう。
おそらく、この男は周りの魔法書の値段をざっと調べ、そこから適当に値段を付けてみたのだ。……それもコンセプトは『絶対に自分が損しない値段』に違いない。
MMOのプレイヤーで最も多い考え方ではあるが……最も交渉相手として向かない相手でもある。負けないことを最優先に考える相手は、迷う場面で勝負そのものを回避しがちだ。この場合は「損をするくらいなら売れなくても良い」という決定をするだろう。
……しかし、そんな人物像を偽装した詐欺師の可能性まである。
俺たちが騙されることはないが、詐欺師を相手に値切り交渉は時間の無駄だ。
どう切り出そうかと考えていたところで――
「金貨七百枚……ちがうや……金貨六百枚なら買う!」
自信満々にカエデが口火を切った。
いきなりなはじめ方に、俺と男は呆気にとられた。
俺がこんなことを言い出したら、全く相手にされないはずだ。
やはり、男相手の交渉ごとは女の子にさせるに限る。……俺も『最終幻想VRオンライン』ではリルフィーに交渉をやらせたものだ。中身が男かもしれないと感じても、相手は自然と甘くなってしまう。
「なっ! いきなり何を言い出すんだよ! 金貨六百枚とか……それじゃ半額じゃねえか! 値切りの相場は一割程度だろ? そんなの交渉にもならねえよ!」
さすがに男は文句を言うが……交渉の余地があること、理詰めで考えるタイプなのが判明した。
値切られたことに不快感も感じているようだから……それなりに上品なプレイスタイルの可能性が高い。詐欺師の線は捨てても大丈夫か?
「でも、その魔法書の相場は金貨六百枚くらいだよ! そっちの値段の方が変だよ!」
カエデの反論はあらかた正論ではあるが……どさくさに紛れて「相場は金貨六百枚」というのを押し付けている。やり方はてんでなっちゃいないが、押しの強さは評価したいところだ。
「相場? 今日は初日だぞ? そんなのまだ、ある訳ないだろ」
男は反論するが……周りで商売をしている奴らを見回してもいる。実際は自分の付けた値段に自信がないのだろう。
この手のタイプは商売として成立するかどうか……最大限の利益を叩きだせるかどうかより、適切な値段を付けたかどうかを気にするタイプだ。もう一押しだが……このままでは上手くない。
さり気なくカエデの肩に手を置いて、会話の主導権を握っておく。
「いや、多少の変動はあるかもしれないが、価格帯としてはそんなもんだぜ? むしろ、そっちの値段の方が……少しやばくないか? マナー的に?」
最後の方で少し声を落とし、相手を心配するような声音を作っておく。
「……マナー的にって……なにか情報あるのか?」
マナーに神経質になりすぎることも無いのだが、こんな風に言われれば嫌でも気にしてしまうものだ。上手いこと釣り込めたか?
「『魔術学院』でその魔法書が売っているんだけど、価格が金貨千枚なんだよ。それを金貨千二百枚で売るのは……少しまずくないか?」
「……マジで? どうりで売れない訳だ……それに……ちょっとまずいな」
親切を装って教えてやったら、男は心配そうに答える。
慌ててクリップボードをしまいこんでいるし、俺の読みはほとんど外れていないだろう。……これが詐欺師の演技でなければ。
「ね? ボクの方が正しかったでしょ?」
カエデが得意満面の顔で男に言うが……どちらかというと失策だ。
だが、別にそれで怒る気にはならなかった。……リルフィーが相手だったら後で説教しているところだが。得意満面のカエデがとても可愛かったのだから、仕方がない。誰だって俺と同じ結論になるはずだ。
男の方は渋い顔をしながら――
「情報ありがとう。助かったぜ。悪いが俺は……ちょっと、その『魔術学院』へ行ってみることにするよ」
と言い出した。……想定内ではある。
俺が相手を詐欺師かと警戒するように、相手だって警戒するだろう。いきなり話しかけてきた奴の言葉を鵜呑みにしてたら、なんど騙されるか判ったものではない。
どうやら交渉は流れてしまいそうだ。
カエデは信じてもらえなかったと思ったのか、何か言いたそうにしたが……頭をポンポンと優しく叩いて止めた。実りの少ない交渉だったのだから、これくらいの役得がなければ……。
しかし、男は去り際に――
「情報が間違ってなかったら……そうだな、金貨六百五十枚で魔法書は売るよ! それなら買うだろ? またそこで売りに出すつもりだから、買う気があるならそこで待っててくれ。それとお嬢ちゃん! あんまり押し一点張りだと上手くいかないぜ!」
と言い残していく。
……それは想定外だったし、少し困る展開だった。
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