それから男は怪訝な顔をする召使たちを尻目に、暇さえあれば厨房で本格的に人間の料理の勉強を始めた。


 書物庫を更に探して新たな人間用の料理本をいくつか発見した。


 亡き父の書物庫に無い本などあるわけがない、そう思っていたのだがそれは正解だった。料理本だけでなく、年代は少し古いが人間の風俗や文化が分かる本も見つけた。


「魔王様、城主であり王であるあなた様がこんなところで料理などしていると知れれば、心無い他国の者たちになんと言われるか……」


 召使たちは口々にそう言う。しかし。


「事情を知らぬ者には好きに言わせておけばいい。事情を知ってなお何か言うのであれば、残念ながらその者とは始めから上手くいかない相性だったのだろう」


 と、傷とヤケドだらけの指で、男はにこにこしながら料理をしている。


「どうだ、皆も食べないか? 最近は人間も魔族も両方おいしく感じられるような味付けに挑戦しているんだ」


 そう言って自分も一口味見をすると「うむ、悪くない」と無邪気な笑顔を浮かべた。


 自分たちの主は優しいのか、バカなのか、能天気なのか。変わり者の一言で片付けてしまうにはあまりに情け深く、常識にとらわれない存在だった。


「また料理の勉強をされていたのですね」


 女の部屋から食後の皿を下げてきた家来の少女が、呆れを通り越しもう慣れたものと淡々と言う。


 その声を聞いて男は駆け寄った。そしてすっかりきれいに空になった皿を見て、嬉しそうに顔をほころばせた。


「よかった、また全部食べてくれている」


 女の世話は基本的に家来の少女が任されていて、男が人間の食事を作るようになってからもう何度も配膳をしている。空いた食器を下げてくるたび、自分の主はこうして安堵し、喜ぶのだ。


「魔王様! ある程度方法が分かれば召使たちにも作ることは可能かと思います。あなた様自らが人間の女の飯炊きなどしていると知れたら、きっと女に馬鹿にされ、男性としても失望されますよ!」


 同じく傍に控えていた家来の少年はそう忠告するが、男は首を縦には振らない。


「皆が心配してくれてるのは分かる。しかし、私が彼女に作ってやりたいと思うのだ。私は彼女から奪うばかりで、何も与えてやることは出来ない。だから少しでも彼女にしてあげられることがあって、幸せなんだ」


 今は何を言っても意味がないだろうと思える充実した表情に、周囲はみな肩を落とした。


 そんな皆に男は「大丈夫、誰が作っているかなんて分かったりしないよ」と明るく言ってみせるが、皆が思っているのはそういう問題ではない。


 こんな時に渡していいものだろうか、と少し悩んでから、家来の少女は自分の服のポケットから一枚の紙を男に差し出した。


「女が書いたものです」


 不思議そうにその紙を受け取って、男は驚いた。


 そこには小さく一言だけ、「ごちそうさま」と書かれていた。


「こ、これは……?」


「わたくしが食器を下げに部屋を訪れた際、渡されたものです。以前にこの料理はわたくしが作ったものではないと言ってありますし、恐らく、料理を作った者に伝えてほしいということだと思いますが」


 男は感極まって、泣いてしまうかと思った。


 女はこの城に連れて来られてからというもの、一言も言葉を発していなかった。自分たちに心を開くつもりがないからなのか、はたまた具合が悪くて本当に声が出ないのかは定かではない。


 それでも男には、まだ聞いたことのない彼女の声で「ごちそうさま」という言葉が聞こえてくるようだった。


 男はわきあがる喜びをかみしめながら、目をキラキラさせて周囲の家来たちにこう言った。


「……なあ、みんな。私に良い考えがあるんだ、協力してもらえないだろうか?」


 皆は面倒な予感しかしなかった。そしてその予感は的中した。




 男が書物庫より見つけた人間の流行りの生活に関して書かれた本を元に、大規模に女の部屋の内装を変えることになった。


 冷たい石の材質がむき出しだった壁面には暖かみのある色の壁紙がはられ、鉄格子がのぞき隙間風の吹き込む窓は、小さな植木が乗った可愛らしい出窓に変えられた。ゴツゴツした古いレンガの床には、柔らかな絨毯が敷き詰められた。


 そして家具はなんと、召使たちに少しの間だけ人間の姿に擬態してもらって、人間の国に買いに行かせたのだった。かなり疲れるしリスクも高いことだったが、自分たちの主がどうしてもと願うのだから仕方がない。


 女が何を好むのかが分からなかったので、また見当違いなことして彼女を傷つけてしまわぬよう、男は召使たちに判断基準を与えた。


「本によると、人間の娘というのはとかくピンク色が好きらしい。なるべくその系統の色で買い揃え、その色がなければ、碧色か白っぽい金色にしてくれ」


「碧と、白っぽい金色……でございますか?」


「ああ。彼女の瞳と髪の色だ」




 天蓋付きのふかふかのベッド、久々に見る人間の世界の棚や机にきょとんとしている女の元に、家来の少年少女が訪れる。


 二人は小柄な身体いっぱいに、前も見えないくらいの大荷物を抱えていて、女は慌ててその荷物を受け取った。


 ふう、と態勢を立て直した家来の少年が女にこう告げる。


「すべて、あなた様への贈り物にございます!」


 誰から、とは言わず、目の前の大小様々あるきれいな色の袋や箱たちを示した。


 女はしばらく呆然と目をしばたかせていたが、目の前の二人の視線に押されて、袋の一つを開けてみた。


 すると、出てきたのは。


 深い色の宝石が飾られたネックレス、細かく編まれたレースがあしらわれたドレス、きれいな色をした透き通るようなガラスの花瓶、きらりと輝く万年筆。


 その他にも人間の女が喜びそうなかわいらしいものやきれいなものが次々出てきた。


 突然夢のように変わった部屋と、沢山の素敵な贈り物。


 女は魔法にでもかけられているのではないかと、目を丸くしてしまった。


 実際、この大規模なインテリアの変更には魔王の特殊な力も多少使われた。一瞬にして壁紙をはり絨毯を敷き、窓の形を作り変え、大きな家具を運び込む。


 しかしその他は魔王自らの手や召使たちの協力によってなされ、何よりこの贈り物たちは魔王自身の財力で人間の世界から買い揃えたものだった。つい買いすぎてしまい、しばらくは一層慎ましやかに過ごさなくてはならないなと、苦笑いを浮かべながら。


「お気に召されましたか?」


 家来の少女がそう尋ねると、女はもらったばかりの万年筆の先をインクに漬した。


 何も声を発さずとも手元の紙にしっかりと綴られる「ありがとう」の文字。


 女はそれを家来の少女にそっと手渡した。


 家来の少年少女たちが出て行くと、女は少し迷ってから再び贈り物の山を開封していく。こんなものが魔族の世界でも簡単に手に入るのかしら、などと愚かなことは思わない。これらは間違いなく自分のためだけに人間の世界から用意されたものだった。


 そして、家来たちの荷物の重ね方が悪かったのか、一番下の地層から潰された花束が出てきた。


 女はあわててその花束を救い出し、もらったばかりの花瓶に水を注いでそこに避難させた。


 自分を優しく包むような部屋と贈り物をぐるっと見回してから、女はしばらくじっと、その白い花と見つめ合っていた。

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