ヘンリー王子に媚びよう!

「どうかなさいましたか、ジュリア様?」

「いえ、なんでもないわ……」


 手に持ったイヤリングを握りしめる。そんな私の行動に特に不信感を抱くこともなくソフィアが部屋を退室する。足音が遠かったのを確認してから私は椅子から立ち上がる。


「なんでええええ!?なんで殺されたの私ぃぃ!?おかしくない?おかしいよ!」


 ヘンリーへの苛立ちと殺された理由への不条理さを込めて叫ぶ。叫んだらちょっとだけスッキリした。


「しかし今のは予知夢っていうにはやけにリアリティがあったわね……もしや死に戻りというやつかしら?」


 冷静に自分の状況を分析した結果、導き出した結論に我ながら深く納得する。たしか、死をトリガーに記憶を持ったまま時間を逆行する能力だろう。時間操作系の能力があるとゲームでも言ってたし、それの可能性が高い。


「今度は殺されないように上手く立ち回ろう……」


 ヘンリーが私を殺した理由はいまいち理解できないが、私なりの仮説を立ててみよう。まずイヤリング、彼はかなりこれに固執していたから着用しよう。


 次に『君も僕が要らない』的な発言だ。ゲームだと婚約破棄をジュリアが凄い勢いで嫌がった。前回の私はあっさりと承諾したせいで彼のリリアに振られた記憶トラウマを刺激してしまったのだろう。となれば話は簡単だ。今回はしっかり婚約破棄を嫌がればいいだけ。


「今度こそ、平穏なスローライフを満喫してやるんだから……ッ!!」


 決意を新たにイヤリングをしっかりと装着する。コンコンと控えめなノックに応対すれば件のヘンリーがいた。


「少し遅れてしまいました。怒ってますか?」

「いえ、いえ全然!丁度今支度が終わったところですわ!」


 彼の腕に自分の腕を絡めながら歩き出す。ちょっと彼がびっくりしていたようだが気にすることはない。全力でヘンリーに阿って縋り付いてやる!!


 ◇◆◇◆


「僕は君と婚約破棄するつもりです」


 きた、この質問だ!今回は前回より少し早いタイミングでかましてきたが返答は用意済みだ!


「なんで恐ろしいことを仰るんですか!?嫌です!!私はあなたがいないと生きていけません!!」

「落ち着いてください。僕も非情ではありません、貴女が自分を改め反省するというならしっかり誠意を見せてください」

「見せます見せます!しっかり見ててください!」


 面食らったような顔をしつつも負の感情を感じないので問題ないだろう。


「そうですかそうですか。そんなにも僕が必要なんですね!」


 むしろ嬉しそうに微笑んでいる。婚約破棄したいのかしたくないのかはっきりしてほしいところだ。


 私?婚約破棄したいです。でもそんなこと言ったら前回の二の舞になってしまうので……


「ああ、そろそろパーティーが始まりますね。詳しい処分は後日通達します」


 よし、今のところ順調だ!このままパーティー終了までヘンリーに媚びるぞ!!


 ◇◆◇◆


 許してください。


 三十段もある長い階段を見下ろし、抱いた私の感想は極めてシンプルだった。


 背の低いジュリアはコンプレックスを隠すためにハイヒールを好んで着用している。高貴な貴族らしく、公の場では卸したての靴を用意していたのだ。


 履きなれない靴でこの長い階段を降りるのか。拷問かな?遠回しないじめかな?あ、いじめてたのはジュリアじゃん!当然の報いだな!


 階下のダンスホールではそっとリリアの肩を抱き、これからの断罪イベントを心待ちにしながら笑うアランが私を見上げている。多分「あの女に下される正義の鉄槌をご覧、俺の愛しいリリア……」「アランったらワイルドで素敵!」みたいなラブラブ会話を繰り広げるんだろう。


「ゆっくりで構いませんよ」というヘンリーの優しさに甘えながら慎重に階段を降りる。


「さすがヘンリー王子、完璧なエスコートだ」

「すてきねぇ」


 周りの貴族がうっとりとした表情でヘンリーを見つめている。その横にも視線が向くわけで、衆目に晒された私は緊張のあまり激しく暴れる心臓の鼓動やら演奏隊の楽器の音しか聞こえなくなっていた。


 すごいな、以前の私ジュリアは。


 かつて見下していた悪役令嬢にある種の畏怖を抱く。


 一挙手一投足、爪先にすら絡みつくような視線。何をしても品定めされているなかで堂々と振る舞えるかと問われれば、私は否と答えよう。


 前世で経験したような就職面接や上司との面談での威圧感とは比べ物にならない重圧をヒシヒシと感じた。


 ゆっくり慎重に、しかし優雅に見えるように。体に染み込んだ令嬢としての振る舞いを頼りに長い階段を降りてゆく。


 残すところあと五段。脚を持ち上げた時、それまで無言だったヘンリーがふいに話しかけてきた。


「今日、何か様子が変ですが」

「はえっ!?」


 限界まで高めていた集中力がぶつりと千切れ、ドレスの裾を踏んでしまった。手触りの良いシルクと階段に敷かれた毛足の長いレッドカーペットは限りなく無に等しい摩擦を生み出す。


 つるり、と滑って体勢を崩した私。優しさゆえに咄嗟に支えようとするヘンリー。しかし、彼は体格に恵まれた生まれではなかった。加えて、使用人や護衛は階段にまで付き添っていなかった。


「ジュリアッ……!」


 階段から落下する私を支えようとしたヘンリーもバランスを崩した。スローモーションに流れる景色の中で彼の影が顔にかかる。


「あぶないっ!」


 咄嗟にヘンリーを抱きしめて衝撃に備える。


 ズサ、ズサ、ズササッ、ドサッ!


 階段の角が背中にあたり、段差を滑り落ちる。ゲホゲホと咳き込み、視界にチカチカと星が瞬く。前回の記憶もあって本気で死ぬかと思った。怖かった……。


「すまない、ジュリア!大丈夫かい!?」

「大丈夫です……。それよりヘンリー様の方こそお怪我はありませんか!」

「僕は大丈夫です。それより女性を下敷きにするなんて……!」


 慌てて飛び退いたヘンリーの様子を見るに恐らく大事はないと思うが、彼は一刻の王太子だ。駆け寄った使用人やアランに心配ないと伝え、服の乱れをビシッと直す。


「ジュリア様、お怪我はないようですね。……!」


 私もすっかり青ざめた使用人に助け起こされた。


 もしヘンリーに何かあったら私確実に死んでた……!!危なかった……!!そりゃ皆青ざめるよ。怖かったあ。


「僕のエスコートが至らないばかりに君に痛い思いをさせてしまった」


 悩ましげに視線を伏せていた彼が徐々に視線を上に上げていく。


「怪我はないと思うが……あ、ああああ!?」


 ヘンリーの悲鳴が会場に響く。先ほどまでスマートに謝罪していた彼はアワアワと慌て出した。


「どうしたんですか、ヘンリー様!?もしや何処かお怪我を!?」

「ああああ!?怪我をしているのは君だよジュリアアアアア!?医者を呼べ!君は動くな!」


 ジュリアの記憶でもゲームシナリオでも見たことない形相で私に駆け寄る。そういえば私もぶつけたところがジンジンと痛んできた。程度を確かめる為、軽く手で首筋を擦る。


「怪我といっても軽くぶつけた程度ですわ。冷やせば大事にはなりませ……血ですわね」


 べったりとついた真っ赤なそれの名称を冷静に口に出す。血はしとどに溢れ、赤色のドレスを濡らしていく。どうやら頭から出血したらしい。


 これはもしや二回目の死に戻りか?心のメモ帳に『ヘンリーに媚びろ』『階段に気を付けろ』と書き記しておくべきかな?


「止血します、動かないでくださいね」


 ヘンリーが首から下げていた『血の涙』を外し、目を閉じて握り込む。そのまま彼が私の額に手を当てるとその部分がポカポカと暖かくなって痛みが引いていく。


「すごい、これが『血の涙』……。王家の秘宝と言われるだけありますね」


 アランが感心したように呟く。


 婚約者の私であってもアーティファクトである『血の涙』を見る機会は少ない。ましてや実際に使われるところを目撃するというのは初めてだった。


 ヘンリーはうっすらと目を開けると安心したように微笑んだ。


「傷は塞ぎましたが、念のために頭を動かさないでください。医者の診断を待ちましょう」


 使用人からタオルを受け取ったヘンリーが甲斐甲斐しく血を拭う。罪悪感からか生来の優しさからなのか、とても優しい手つきだった。


 そうこうしているうちに会場の扉が開け放たれ、白衣を着た男女が慌てて駆け込んできた。服装から察するに王宮付きの医者か。


「失礼します、失礼します!急病人はこちらですか!あらぁ〜すごい出血量ですね。ちょっと移動しましょうか」


 医務室に連れて行かれ、なにやら魔法で体を調べられた。医者によると大事はないが頭を打っているので暫く安静にしたほうがいいと告げられたので、お言葉に甘えてベッドに横になる。


「ジュリア様がお怪我をなさったと聞いた時は生きた心地がしませんでした……跡が残らなくてなによりです」

「心配性ねえ、ソフィアは。それよりもヘンリー様に何もなくてよかったわ」

「なんとお優しいのでしょう……不肖ソフィア、ジュリア様の気遣いを心に刻みますわ」


 ソフィアに手伝ってもらいながらコルセットを外し、ベッドに横たわる。出血した所為でちょっと貧血気味なのよね。


「屋敷には明日帰れるように手配させていただきます。それではお休みくださいませ」


 シャッと医務室のカーテンを閉めたソフィア。よく出来た従者だ。


 白い天井をぼんやりと眺めているうちに目蓋が重くなってきた。まあ、パーティー抜け出せたし、ヘンリーが後日処分を下すとか言ってたし結果オーライかな……


 やってきた睡魔に抗うことなく意識を暗闇に閉ざした。

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