第521話 謎の転校生
「暑い・・・・・・」
6月に入ったばかりのとある日。午前8時20分頃。昇降口で靴を上履きに履き替えていた影人は思わずそんな言葉を漏らした。気がつけば夏はもうすぐそこだ。制服も夏服になったが、それでも汗がじわじわと滴ってくる。
「そういえば、今日からしばらくバイトないんだったな・・・・・・」
教室に向かって校舎の中を歩きながら、つい昨日蓮華が旅立った事を思い出す。蓮華はまず、人形が封印されていたイタリアのローマに向かった。影人も一応ローマには行った事があるし、コロッセオの中にも入った事があるが、あの時は戦っていたのでゆっくりとローマを楽しむ暇がなかった。そのため、仕事で行くとはいえローマに行って本場のパスタやピザが食べられる蓮華に影人は羨ましさのようなものを感じていた。
ちなみに、蓮華の見送りだが影人は行っていない。単純に空港が遠いのもあるが、蓮華が来なくていいと言ったからだ。取り敢えず、蓮華は日本に帰って来たら連絡すると言っていたので、九条探偵事務所が再び開くのはその時になるだろう。まあ、蓮華がいつ日本に帰って来るのかは分からないが。
「・・・・・・ん? でもよく考えたら、俺も1回ローマには行ってるから、行こうと思えばいつでも行けるのか・・・・・・今度1回食いに行ってみるか」
そういえば、今の自分はシトュウから超長距離転移の力を貰っているんだった。影人の超長距離転移の使用条件は、1度行った事がある場所限定だが、幸いローマの地は踏んだ事がある。日本でお金を円からユーロに両替して、転移でローマに行けば本場のパスタとピザが食べられる。言語の問題は、スプリガンの力や零の力を使えばどうとでもなる。明らかに私的な力の使用だが、それくらいは許されるだろう。
「おい、聞いたか?」
「ああ、何でも急な転校らしいな・・・・・・」
「3組の奴がたまたま見かけたらしいけど、女の子らしいぜ。それも、ヤバいくらいの美人だとよ」
影人が3年の教室がある階に辿り着くと、廊下がザワザワとしていた。
「なんだ・・・・・・?」
朝のホームルーム前の廊下は他クラスの生徒たちがよく話をしているので、生徒の数はそれなりに多い。だが、今日は明らかにいつも以上に生徒の数が多かった。影人が疑問を感じていると、どこからかこんな声が掛けられた。
「あ、帰城さん。おはようございます」
「イェーイ。おはよ、影人☆」
影人に声を掛けてきたのは、サラリとした髪に中性的な顔、小型な体型の一瞬女性と見紛う容姿の少年と、茶と金髪の間のような色合いの長い髪、着崩した制服が特徴的な派手な見た目の少女だった。
「春野、霧園さん・・・・・・」
影人が2人の名前を呼ぶ。男の方は春野海公。女の方は霧園魅恋。2回目の2年生の時のクラスメイトだ。3年生になった現在では2人とは違うクラスになってしまったが、いったい2人はなぜ廊下に出ているのか。影人の記憶では、魅恋は別だが海公は朝はあまり廊下には出ていなかったはずだ。
「おはようございます。あの、この賑わいはいったい何なんですか?」
普段、影人は海公に対してはタメ語で話すのだが、魅恋に対しては丁寧語、もしくは敬語で話す。この辺りの線引きはまあ、単純に普段からの距離感だ。影人は今はその距離感を主に魅恋に調整していた。
「知らないの? 転校生が来るんだぜ! しかも、噂では超絶美人!」
「配属は帰城さんのクラスらしいですけど・・・・・・本当に知らなかったんですか?」
「は? 転校生? いや、そんな話今聞いたばっかりですけど・・・・・・」
魅恋と海公からそんな事を聞かされた影人は驚きを隠せなかった。実際、数日前のホームルームで――休みを挟んでいるので――は担任である紫織は何も言っていなかった。
「あ、やっぱりそうなんだ。さっき影人のクラスメイトに聞いたら同じ事言ってたからさ。って事は、ガチ完全サプライズ? でも、この時期に転校って珍しいよねー。あ、でも去年にフィズフェール先輩が転校して来たのも今辺りだっけ」
「そうですね。フィズフェール先輩が転校されてきたのは6月の中旬でしたし。いずれにせよ、この時期の転校ですから何か事情はあるとは思いますけど・・・・・・」
魅恋と海公がそんな言葉を交わしていると、朝のホームルームを知らせるチャイムの音が鳴った。廊下に出ていた生徒たちは慌てて自分たちの教室に駆け込んでいく。魅恋と海公も「ヤバっ。じゃ、また後で転校生見に行くから!」「失礼します!」と教室に向かった。
「・・・・・・転校生ね」
自分が所属している3年7組の教室に入った影人は、自分の席に腰を下ろした。漫画や小説などでは転校生が物語の始まりとされる事が多々ある。
だが、現実はそうではない。夢も希望もない言い方をすれば、クラスメイトが1人増えるだけだ。まあ、その転校生と出会った事で、友達になった事で人生が大きく変わるきっかけになったという事もないとは言えないが、そんな事は稀だろう。
少なくとも、影人に限って言えば二重の意味であり得ない。転校生と友達になる事もない。だって、影人は一匹狼だから。転校生と出会って人生が大きく変わる事も、物語が始まる事もない。だって、影人の人生は既に大きく変わっていて、物語も始まっているのだから。ゆえにと言うべきか、影人は転校生なる存在に大して興味はなかった。
「ふぁ〜あ・・・・・・眠いし暑いし最悪だ。お前ら席に着け。ホームルーム始めるぞ」
ガラリと教室前方のドアが開かれ紫織が入室してくる。いつも通りの面倒くさそうな、やる気のない様子で。紫織は教卓に両手をつくと、こう言葉を続けた。
「えー、急だが今日から新しいクラスメイトになる転校生が来てる。って事で、ちゃちゃっと紹介する。おい、入って来い」
紫織が教室の外に向かって呼びかける。すると、スッと再び教室前方のドアが開かれた。
「・・・・・・」
教室に入って来たのは、噂通りというべきか女性だった。その女性の姿が教室に入ってきた瞬間、教室内はどよめきに包まれた。
「うわぁ・・・・・・」
「うぉぉ・・・・・・マジかよ。凄え・・・・・・」
「超絶美人って本当だったんだな・・・・・・」
「綺麗・・・・・・素敵・・・・・・」
男子も女子も、一目見てその女性の容姿に心を奪われていた。無理もない。それほどまでにその女は美しかった。
「・・・・・・」
漆黒に薄い藍色と薄い紫が混じったような何とも言えぬ美しさを誇る長髪は、誇張でも何でもなく芸術品のようだ。その長髪に映えるような白い肌はさながら薄雪のようである。風洛の夏服に身を包む体は非の打ち所がない。身長も女性にしては少し高めで、恐らく160センチ以上はあるだろう。モデル体型。そんな言葉が想起される。
最後にその面。当然というべきなのか、非常に整っている。まるで人形だ。芸術品のように美しい容姿は人の目を惹きつける。
だが、真に女が人を惹きつけているのは、その目だろう。深い深い、まるで深淵のような、全てを吸い込むような真黒な目。光すらも食い尽くすほどの黒。イヴの人間形態の時の目の色も奈落色だが、それとほとんど同じだ。いや、恐らくはイヴよりもなお深い黒だ。
「じゃ、自己紹介頼む」
「はい」
教壇の上に立った女に紫織がそう促す。女はニコリと微笑み首を縦に振る。
「初めまして、皆様。私の名前は・・・・・・
その女――行城闇奈は黒板に自身の名を書くと、優雅に一礼した。聞く者の脳裏に響くような、心地いい甘い声で。
「「「「「・・・・・・」」」」」
闇奈の自己紹介を聞いていたクラスメイトたちは、少しの間惚けたような顔を浮かべていた。
「「「「「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」」」」」
そして、次の瞬間凄まじい歓声が沸き起こった。
「ヤバ! ヤバすぎでしょ! 可愛ええええええ!」
「こんな超絶美人とこれから一緒のクラスだなんて! 最高すぎて最高だ!」
「モデルみたい! というか、そこらのモデルでも太刀打ちできないでしょ!」
「声もめちゃくちゃ澄んでるし可愛い! 声優さんみたい!」
クラスメイトたちは興奮した様子で口々にそんな言葉を述べる。とても朝とは思えない賑やかさだ。
「あー、うるさいうるさい! 興奮するなお前ら!」
そんな生徒たちに向かって紫織がそう叫ぶ。だが、生徒たちの興奮は中々冷めやらなかった。
「・・・・・・行城か」
そんな生徒たちとは違い、影人だけは特段いつもと変わらぬ様子だった。確かに、闇奈はクラスメイトたちが興奮するのも分かるほどの超がつく美人だった。
だが、影人は基本的に女性にというか他人に興味がなかったし、超がつく美女やらイケメンは見慣れている。ゆえに、影人は闇奈を見ても本当に何も思わなかった。
ただ、一点だけ気になった事があった。それは闇奈の名字だ。行城。影人の名字である帰城とまるで対をなすような名字だ。世の中には妙な偶然があるものだ。
「はー、うるさくて悪いな行城」
「いえいえ。皆さん、私を受け入れてくださっているようでとても嬉しいです」
軽く頭を押さえながらそう言う紫織に、闇奈はニコニコと首を横に振る。そんな所作ですら一々絵になる闇奈に生徒たちは更に歓声を上げた。
「で、行城の席だが・・・・・・悪いな。昨日用意しなきゃと思ってたんだが、色々とゴタゴタがあって設置するの忘れてた。って事で、悪いが誰か下の空き教室から机とイス持って来てくれ」
「じゃあ俺が!」
「おいずるいぞ! 俺も行く!」
「ちょっと男子! 行城さんに席を用意するのは私よ!」
紫織がそう言った瞬間、生徒たちは我先にと一斉に教室を飛び出して行った。結果、クラスに残ったのは紫織と闇奈、影人と出遅れた数人の生徒だけだった。
「先生! 行城さん! 机とイス持って来ました! 1番綺麗なやつを選んだつもりです!」
「さあ、どこに置きます!?」
そして数分後。男子生徒が机を女子生徒がイスを教室に運んで来た。
「おー、サンキュー。置けるとしたら後ろの方しかないよな。後ろも置ける場所は限られてるから・・・・・・仕方ない。花田の隣に置いてくれ」
「よっしゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
紫織が机とイスを持っている生徒にそう指示を出すと、教室後方の入り口近くの席の男子生徒がガッツポーズをした。影人はクラスメイトの名前と顔をほとんど覚えていないが、恐らくは彼が花田だろう。クラスメイトたちは闇奈と隣の席になる花田に羨ましそうな目を向けていた。
「うーん・・・・・・榊原先生。すみませんが、少し交渉してもいいですか?」
「は? 交渉?」
紫織が首を傾げている間に闇奈は教壇を降り、教室後方に向かって歩き始めた。机と机の間を縫って闇奈は真っ直ぐに、真っ直ぐに影人のいる方へと歩いて来る。そして、闇奈は影人の座っている席の前で立ち止まった。
「ふふっ」
「っ・・・・・・?」
影人を見て笑顔を浮かべる闇奈。影人はなぜ闇奈が笑顔を向けてきたのか全く分からなかった。
「あの、よろしければ何ですけど・・・・・・私と席を変わっていただけませんか?」
「え、私?」
闇奈は影人から顔を背けると、影人の隣の席に座っている女子生徒にそう言った。突然そんな事を言われた女子生徒は驚いたように目を瞬かせる。
「はい。どうかお願い出来ないでしょうか?」
「別にいいけど・・・・・・何で?」
女子生徒は困惑したように闇奈にそう問い返す。それは当然の疑問だった。影人も、紫織も、クラスメイトたちも全員女子生徒と同じ疑問を胸中に抱いていた。
「そうですね。一言で言えば・・・・・・気になってしまったんです。あなたの隣のそちらの方が」
チラリと闇奈がその全てを吸い込みそうな黒い瞳を影人に向ける。その瞬間、どよめきが広がった。
「え!? 気になるってあの前髪が!?」
「嘘だろ!? あんな奴を!?」
「ま、まさか一目惚れってやつ!?」
「バカなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「なぜだ!? なぜ!?」
「俺の甘酸っぱい話(予定)がぁぁぁぁぁ! 終わったぁぁぁぁぁぁぉぁぁ!」
「始まるの!? 超絶美人の転校生とクラスで浮いてるド陰キャとのラブストーリーが!?」
クラス中の注目が闇奈と、そして影人に集まる。闇奈は全く恥じらいを感じている様子もなく、影人を見つめながらただ笑みを浮かべていた。
(何だ・・・・・・いったい全体、何がどうなってやがる・・・・・・)
急にクラス中から向けられた視線に不快感を感じながら、影人は戸惑っていた。この転校生は何を言っているのか。自分が気になる。今日初めて会ったばかりなのに。冗談だろう。心の底から影人はそう思った。そう願った。
「あ・・・・・・そ、そうなんだ。分かった。そういう事なら・・・・・・」
影人の隣の席の女子生徒は、戸惑いと恥じらいと興味が混じり合ったような顔を浮かべながら、机の中に入れていた教科書やノートを鞄に詰め、机の横に掛けていた体育館シューズを手に取り、机を空にした。
「ありがとうございます。お優しいんですね。榊原先生、交渉は成立しましたのでよろしいですか?」
「あー・・・・・・好きにしろ。ぶっちゃけ、私が困る事は何もないからな」
面倒くさがりの紫織はこれ以上うるさくなっても嫌だったので、闇奈に許可を与えた。紫織らしい、あまりにもな雑さである。影人は面倒くさがって即座に闇奈に許可を与えた紫織を恨んだ。
「という事で、よろしくお願い致します。前髪が素敵なあなた。ええと、お名前は・・・・・・」
「・・・・・・帰城です。帰城影人」
仕方なく、影人は闇奈にそう名乗った。影人の名前を聞いた闇奈は「まあ」と声を弾ませる。
「帰城さん。素敵なお名前ですね。もしかして、字は帰るに城でしょうか。だとしたら、運命的ですね。私は城から出て行き、あなたは城に帰る。パズルのピースのような名前ですね。ふふっ、どうやら、私があなたを一目見て気になったのは必然だったみたいです」
先ほど影人が思ったのと似たような事を闇奈は影人に伝えてきた。ただ、影人が偶然と捉えた事を、闇奈は必然と捉えた点は明確に異なっていた。
「・・・・・・一応、ご指摘の通りの字です。ですが、あくまで偶然だと思いますよ」
「まあ。では、やはり偶然ではなく必然ですよ。正直、少々緊張していましたけど帰城さん、いえ、帰城くんと出会ってワクワクドキドキしています。これからの学校生活はきっと楽しいものになる・・・・・・私はそう確信しました。改めて、これからよろしくお願い致します。帰城くん」
「・・・・・・こちらこそ」
蕩けるような笑顔を向けてくる闇奈に影人はそっけない様子でそう言葉を返した。いや、そう返すしかなかった。
――転校生は物語の始まり。影人はこの時思いもしなかった。行城闇奈との出会いが、新たな物語の始まりになる出来事だったとは。本当に、全く以て思いもしなかった。
帰城影人の物語に新たな1ページが刻まれる。
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