第三部
第518話 目覚め、少しの寂寥
「・・・・・・」
それは真黒な闇の中にいた。いや、その表現は適切ではないだろう。その真黒な闇、それ自体がそれなのだ。
「・・・・・・」
それは膨張していた。どこまでも。無限に。今も。
「・・・・・・」
とある生物が生まれた瞬間から。それも生まれた。以来、常にそれは在り続けている。
「・・・・・・」
それに自我はなかった。それはある総意ではあったが、ただ総意なだけであった。
「・・・・・・」
それは莫大なエネルギーを有していた。しかも、ここ最近は今までにないほどそのエネルギーが、力が高まっていた。恐らくは過去最高に。かつてないほどに。
「・・・・・・」
それは暗く冷たいものだった。暗く、冷たく、悍ましい、ドロドロとした真黒な闇自体がそれなのだから当然といえば当然だ。
「・・・・・・」
だが、それは1つだけ暖かで素敵なものを知っていた。過去に1度、それに繋がる端末から受け取ったものだ。その暖かで素敵なものは、かつてはそれの中で灯る1つだけの小さな、しかし、確かな、唯一の光だった。
「・・・・・・」
しかし、今それの中にその光はない。奪い去られた、というよりも――事にされたのだ。ゆえに、真黒な闇は完全なる真黒な闇のままだった。
「・・・・・・」
だが、それは確かに知っていた。覚えていた。かつて己の内にあった光を。煌めくものを。――事にされても、それは覚えていた。
「・・・・・・」
無限に膨張し続け、過去最高にまで力を蓄えたそれはいつしか、かつて己の内にあった光を求めるようになった。いや、求めるという言葉では生温い。恋焦がれた。
「・・・・・・」
それは一種の反動のようなものだった。闇が濃くなるほど光も、光を求める衝動も強まる。本来なら、真黒な闇だけのそれは光を知らないため、そんな衝動は生じるはずがなかった。
「・・・・・・」
しかし、それは光を知ってしまった。その衝動はやがて――
「・・・・・・ぁ」
ただの総意であったはずのそれに自我を芽生えさせた。
「――こんにちはー。今日も労働に来ましたよっと」
5月の大型連休が過ぎた頃。午後5時前。制服に身を包み、顔の上半分が前髪に支配された少年――帰城影人はバイト先である九条探偵事務所の2階のドアを開けた。
「よう。来たね助手。相変わらずシケにシケた面だね」
事務所の中に入ると、正面奥のデスクに座っていた女性がニヤリとした顔で影人を迎えた。パッと見たところ歳の頃は中年。日本人にしては彫りが深い顔立ちで、そのためか格好いい美人顔という印象を受ける。服装も白のシャツに黒のライダースジャケット。ジーパンに黒のブーツといったもので、その女――九条探偵事務所所長、九条蓮華をよりスタイリッシュに仕上げていた。
「悪かったですね暗くて。でも仕方ないでしょう。俺は俺なんですから。あと、最近はそういう見た目をイジるのはダメなんですよ。なんちゃらハラスメントみたいなやつです。だから、気をつけてください。うっかりお客さんにそういう事を言って、蓮華さんが訴えられでもして、事務所が閉鎖なんてなったら俺が困るんですから」
「そこで建前でもあたしを心配するんじゃなくて、自分が困ると正面から言い切れるのがあんたらしいねえ。安心しな。あたしは気に入った奴以外には軽口は叩かないよ。多分ね」
「どっちなんですか・・・・・・というか、軽口ではない気がするんですが」
影人はやれやれといった様子で軽く息を吐くと、鞄をソファの上に置いた。
「で、今日の仕事はどんな具合ですか? それと、そろそろその格好暑くないんですか? まだ5月ですけど今日けっこう暑いですよ」
「オシャレは我慢だよ。とまあ、年がら年中同じ格好の奴が言う決まり文句は置いといてだ。暑くなったらジャケットは脱ぐから大丈夫だよ。で、仕事の方だが、失せ物探しが1件入ったよ。ただまあ、こいつは依頼主の都合もあって調査できるのは後日って感じさね。裏の仕事も特に入って来てないから、今日は特にやる事なしだ」
蓮華は雑誌を読みながらそう答えた。蓮華の答えを聞いた影人は、数日前に事務所の冷蔵庫に入れておいた、お茶が入ったペットボトルを取り出しながらこう返事をした。
「まじっすか。じゃあ、今日は事務所でダラダラしてるだけで時給が発生する夢の日って事ですね。ああ、労働は最高だ」
「あ、忘れてた。助手、斜め向かいの谷町の坊やの庭掃除を手伝ってやりな。ちょうどいま腰痛で動けないらしくてね。誰かやってくれる奴がいないかって言ってたのを思い出したよ」
「なっ・・・・・・!? 何で俺が!? 俺はアルバイトしに来てるんであってボランティアをしに来てるわけじゃないんですよ!? 嫌ですよ俺は! 俺にもアルバイターとしての意地があります! その庭掃除が正式に依頼された仕事ならやりに行きますが、ボランティアならやりません! 社会は厳しいんです! 悲しい事に人は善意だけじゃ動けないんです!」
急に反乱の意志を示した前髪の化け物は蓮華にそう抗議し、ソファにどかっと腰を下ろした。そんな化け物を見た蓮華は深くため息を吐いた。
「はぁー・・・・・・無駄にプロ意識を持った扱いづらいバイト野郎だね。まあ、悲しい事にあんたの言う事も分からなくはないが・・・・・・あんたの根底にあるのは出来るだけ楽して金を稼ぎたいって魂胆だろ」
「ぎくっ」
「その魂胆が透けて見える内はプロ意識を語るんじゃないよ。ほら、所長もとい雇い主命令だ。さっさと行って来な。それと、1つ教えといてやろう。人に恩を売っておいて損はないよ」
「・・・・・・はぁ、分かりましたよ。行けばいいんでしょう」
影人は仕方がないといった感じで立ち上がった。どうやら楽々バイト代稼げる計画は早々に頓挫してしまったようだ。
「じゃ、行ってきますよ」
「おう。ちゃんとやるんだよ」
そして、影人は10分も経たない内に再び外に出る事になったのだった。
「何で掃き掃除まで・・・・・・」
約1時間後。影人は蓮華から庭掃除を頼まれた家の前で掃き掃除をしていた。庭掃除は既に終わっている。あまり広くない庭だったので、それほど時間はかからなかった。
影人が家の前で掃き掃除をしているのは、この家の家主のおじいちゃんからついでにと頼まれたからだ。流れ的に、さらに実はお菓子も貰っていたため中々断れれず、今に至るというわけだ。
ちなみに、蓮華が向かいの谷町の坊やと呼んでいたので、家主は若い男だと影人は思っていた。そのため、チャイムを鳴らしておじいちゃんが出て来た時、影人は軽く驚いた。思わず「どこが坊やだよ!」と言いかけた。
結局、なぜ蓮華が明らかにおじいちゃんである谷町さんを「坊や」と呼んだのか、という事に影人が気づいたのは庭掃除を始めた時だった。影人もよくは知らないが、蓮華は普通の人間ではない。普段の姿も変装のようなもので、本来の姿はもっと若い見た目だ。蓮華が実際何歳なのかは知らないが、谷町さんを「坊や」と呼べるくらいには、蓮華は歳を重ねているのだろう。
「箒をかけているお前も素敵だよ。うん。愛らしい」
影人が掃き掃除をしていると、そんな声が影人の耳を打った。チラリと影人がその長過ぎる前髪の下から声のした方に顔を向ける。
そこにいたのは、凄絶なまでに、神々しいまでに美しい女だった。無色、もしくは透明の長髪に同じく透明の瞳。纏うは白一色の着物で、体は少し透けていた。明らかに普通ではない。更に、その事実を補強するかのように、その女は浮いていた。
「うるせえぞヤンデレ幽霊。意味不明な事を言ってる暇があるならどっか遠くにでも行ってろ」
影人はその女――幽霊状態の零無に対し、しっしっと手で払う仕草をした。だが、零無はふるふると首を横に振る。
「嫌だよ。吾は常にお前と共に在る。ただでさえ、お前が学校に行っている時間が苦痛なのに、また離れてしまったら・・・・・・吾は気がどうにかなってしまうよ」
「お前はもう既に気がどうにかなってるだろ・・・・・・」
影人は引いた顔で突っ込みの言葉を述べる。それから影人は時折り零無と言葉を交わしながらも、掃き掃除を続けた。
「・・・・・・よし。こんなもんだろ」
綺麗になった道路を見ながら影人はそう呟く。後は掃除が完了した事を谷町さんに伝えて箒を返すだけだ。
「ん? あれ、帰城くんじゃない!」
影人が谷町さんに掃除の完了の報告と箒の返却を済ませて道路に出ると、そう声を掛けられた。
「会長・・・・・・」
影人が声の聞こえた方に顔を向ける。すると、そこには影人の先輩に当たる人物、榊原真夏がいた。真夏は頭にはトレードマークである髪飾りをつけており、服装は通気性が良さそうな黒のシャツに白のチノパンといったものだ。右手にはビニール袋を下げている。蓮華はニコニコとした顔を浮かべたまま影人に近づいてきた。
「蓮華さんに何か用ですか?」
「ええ! ちょっと引き受けた依頼の相談にね。九条さん、別にいつでも来ていいって言ってくれたし」
「ああ。そういえば、会長今はフリーの祓い屋やってらっしゃるんでしたね。俺も今から事務所に戻るんで一緒に行きましょうか」
「そうね」
影人と蓮華は共に九条探偵事務所の扉を開け中に入る。そして、2人は階段を上がり2階のドアを開け部屋の中に足を踏み入れる。
「蓮華さん、向かいの家の掃除終わりましたよ。あと、お客さんです」
「どもども! こんにちはです九条さん!」
「ん、榊原のかい。よく来たね。助手、茶を出してやりな」
「ういっす」
真夏はいつも通りの明るさで元気よく蓮華に挨拶をした。蓮華は笑顔で真夏を出迎え、影人に指示を出す。影人は素直に頷き台所へと向かった。
「あ、これ少ないですけどお土産です。どうぞ!」
「ご丁寧にありがとうね。おや、満天堂の栗饅頭じゃないかい。あんた、分かってるね。美味いんだよねこれ」
「ですよねですよね! ここの栗饅頭本当に美味しくて! さっすが蓮華さん! 通ですね!」
真夏はビニール袋の中から包装されている和菓子を2つ取り出した。どうやら知っている人は知っているらしい有名なお菓子のようだ。お茶の用意をしながら蓮華と真夏の会話を聞いていた影人は、一応満天堂という菓子屋の名前を記憶しておく事にした。影人も人並みには甘い物が好きなのだ。
「ん、やっぱり美味いねえ・・・・・・で、今日はどんな用で来たんだい?」
真夏の土産である栗饅頭を食べながら、蓮華は真夏に問うた。蓮華は自分も食べる用に買っていた栗饅頭を一口食べると、影人が淹れた薄い緑茶を口に流し込んだ。
「実は昨日引き受けた依頼についてご相談したくて。まず、依頼の内容なんですけど・・・・・・」
真夏が蓮華に祓い屋として受けた仕事について相談する。蓮華は探偵なので、祓い屋としての仕事を相談されるというのもおかしな気がするが、蓮華はその筋では有名な人間らしいので、相談相手としては合っているのだろう。影人は特に興味もなかったので、真夏がくれた栗饅頭を食べながら、蓮華と真夏の話を聞き流していた。ちなみに、栗饅頭は本当に美味しかったので、今度先ほど記憶しておいたお菓子屋に行ってみようと影人は思った。
「アドバイスするとしたらそれくらいかね。まあ、あんたの実力なら問題なく解決できるだろうさ。ただ、一応あたしの符を何枚かやるから備えとして持っておきな」
「ありがとうございます! このお礼はまた必ず!」
「別にいいよ。年寄りの昔話と、そこから分かった事をいくつか話してやってだけだしね」
「それが貴重なんです。先達の知識と経験は買えないものですから。九条さん、本当に今日はありがとうございました。また来させていただていいですか?」
「ああ。いつでも来な。相談なり、遊びに来るなり、依頼をしに来るなりね」
「はい! じゃあ、今日はこれで失礼します!」
真夏がソファから立ち上がり、蓮華に頭を下げる。蓮華は影人に真夏を下まで送って行くように指示を出した。
「・・・・・・大学生活はどうですか?」
2階の部屋を出た影人は階段を降りながら、自分の後ろにいる真夏にそう聞いた。特に深い意味がある問いかけではない。ただ、世間話的な感覚で影人は真夏に言葉を投げかけた。
「充実してるわよ。最近は大学がより賑やかになって楽しいわ! 名物コンビとか副会長とか、早川さんとかイズちゃんとか、風音とか『提督』とか色々な個性豊かな後輩が入って来たから! 多分、高校にいた頃より賑やかね!」
「ああ・・・・・・それはそうでしょうね」
蓮華の答えを聞いた影人は深く同意した。蓮華が通っている大学はこの辺りの高校生が大体進学する場所だ。今年卒業した風洛高校の卒業生はほとんどその大学に行っているだろうし(蓮華の話に名前こそ出されなかったが、A、B、C、D、E、Fの6人もその大学に通っている)、扇陣高校の卒業生も同じくといった感じだろう。それに加えて、大学は全国から若者やその他の人々が集まって来る。さぞ賑やかな事だろう。
「いやー、ウチの名物コンビは大学でも相変わらず名物コンビだし、副会長は一瞬で大学での女性人気ぶっちぎりナンバーワンになったし、他の子たちも大体人気者ね。まあ、帰城くんとよく一緒にいたあの6人・・・・・・えーと、名前なんだっけ。まあ、あの6人は早速色々な奇行をしまくって大学では6バカとして認識されてるわ。大学内で半裸で人間ロケットを作りかけてた時は停学になりかけてたけどね」
「そうですか・・・・・・相変わらず青春してるんですねあいつらは」
「いや、今の話を聞いてその感想が出てくるのはおかしいわよ?」
どこか懐かしむような嬉しそうな顔を浮かべる影人に真夏がそう突っ込む。影人と真夏は1階に着くと、扉を開けて外に出た。
「そう言えば、風洛は最近どんな感じなの? 結局なんだかんだと忙しくて卒業式の日以来行けてないのよね」
「別にどうもこうもないですよ。ほとんど変わりはないと思います。新入生も大人しいというか普通って感じじゃないですかね。あんまり噂とか聞きませんし。ただ、俺は基本他者とは最低限しか関わらないから情報不足気味なんで、本当のところは分かりません。お姉さん、榊原先生に聞いたらどうですか?」
「お姉ちゃん。家にいる時は大体お酒飲んでるか寝てるかだから、あんまり聞けないのよね。しかも、聞いたとしても多分めんどくさがってあんまり話してくれないと思うのよ。まあ、また適当に高校に行った時に調査するわ。じゃあ、またね帰城くん。見送りありがとう!」
「いえ。会長もお気をつけて」
会った時と同じように、元気よく手を振りながら去って行く真夏に影人も小さく手を振り返した。
「・・・・・・会長も、それにあいつらも元気そうだな」
真夏が去った後も影人はしばらくその場に止まっていた。そして、半ば無意識にそう言葉を漏らす。陽華や明夜たちが卒業してから約2ヶ月。先ほど、真夏が口にしていたメンバーとは「しえら」や街中でたまに会う。暁理やアルファベットズとは休日には遊んだりもする。
だが、それだけだ。影人は一部の者――具体的には魂の友であるアルファベットズ――を除いて、積極的に自分から会いに行ったりはしない。そのため、先ほど真夏が口にしたメンバーと会う頻度は以前より減った。最後に陽華や明夜たちと会ったのは、恐らくは10日、いやもしかすれば半月は前かもしれない。ほとんど毎日、何らかの形で顔を合わせていた高校の頃(影人だけは未だに高校生だが)と比べると、顕著な頻度の減少と言えるだろう。
「・・・・・・まあ、おかげで俺は望んでいた平穏な学校生活を送れてるがな」
魅恋や海公とも違うクラスになった今、影人に積極的に話しかけて来る生徒はいない。そして、むろん影人もクラスメイトに自分から話しかけるような事はほとんどない。クラスメイトとは必要最低限の言葉だけしか交わさない。そのため、影人は1年生、1回目の2年生の時と同じように学校でほとんど話さなくなった。まことに素晴らしい事である。少なくとも、影人はそう思っていた。
「・・・・・・戻るか」
影人はそう呟くと、事務所の中に戻って行った。
「じゃ、今日はこれで失礼します。たまにはコンビニ弁当とかカップ麺以外の物も食べてくださいよ。まだ栄養失調とかで死なれても困りますから」
「生意気言うんじゃないよガキ。本当、減らない口だね。あたしがそんなんで死ぬかい。あんたもせいぜい気をつけて帰るんだよ。あんたが死んでもまあそれほど困らないが、寝覚めが多少悪くなるからね」
「はいはい。じゃ、また」
午後8時過ぎ。影人は九条探偵事務所を後にした。ドアを開け階段を降り、1階の扉を開けて外に出る。外は既に夜の帳が下りていた。
「今日の月は・・・・・・曇ってて見えねえな」
空には薄灰色の雲がかかっていた。今のところ、雨が降ってくる様子はないが早めに帰るに越した事はない。影人は少し早歩き気味に帰路に着いた。
『あー、最近退屈だな。退屈で死にそうだ。前と違って普段のお前も面白い事に巻き込まれねえし。何より、全然俺の力を振るう機会がねえ。何とかしろよ影人』
影人が夜の街を歩いていると、内側からそんな声が響いた。影人の持つ力――正確には借り受けている力、託された力といった感じだが――の化身、イヴだ。イヴは文句を言うような口調だった。
「何とかしろって・・・・・・いや、どうにも出来ねえよ。というか、平和なのは別にいい事じゃねえか。流入者の現れる頻度が前より少なくなってるのも、俺の日常が静かなのも。素晴らしい事だろ」
『はっ、俺からすればクソ喰らえだぜ』
影人の言葉にイヴは吐き捨てるように言葉を返す。そして、それ以降は何も言って来る事はなかった。
「今の感じからするに、話していたのはナナシレではなくイヴかい?」
隣に浮かんでいた零無が透明の瞳を影人に向けてくる。影人は頷いた。
「ああ。最近退屈で仕方ないってよ」
「なるほどね。全く、影人と実質的に同化しているのに贅沢な不満を抱えている事だ。お前と共にある事、それが最上の幸せだというのに」
「いや、それはお前だけだろ・・・・・・」
「ただ、イヴがそう思う気持ちも少しだけ、ほんの少しだけだが分からなくもない。最近は実に穏やかだ。まるで気持ちがいい微睡みの中にいるようだよ。だけどたまには、少し刺激も欲しくなる。愛すべき穏やかさと単調さに目を背けたくなる時もあるだろうからね」
「っ・・・・・・」
続く零無の言葉は、影人からすれば意外なものであった。まさか、あの零無がイヴに理解を示すとは。
『私も零無さんと全くと言っていいほど同じ意見です。そして、イヴさんの言う事にも少し共感いたします。私やイヴさんはあくまでも、そしてどこまで行っても「力」の化身ですので。最もご主人様のお役に立てる時は、やはり荒事や戦いの時が多いでしょうから』
影人が少し驚いた顔を浮かべていると、イヴとは違う声が響いた。先ほど零無が言葉に出していた影人の持つもう1つの力の化身であるナナシレだ。ナナシレも意外な事にと言うべきか、イヴに共感する言葉を述べた。
「ああ、勘違いをしてはいけないよ影人。吾にとっての最上最高はお前と共にいる事。お前といる事に退屈なんてカケラもしていないし、これからもするつもりはないよ」
『そうですね。それは間違いないです』
フォローの言葉というわけではないだろうが、零無がそう付け加える。影人の耳を通して零無の言葉を聞いたナナシレも零無に同意する。
「・・・・・・難しいもんだな。心ってやつは」
影人の呟きはイヴ、零無、ナナシレの今までの意見を聞いての感想のようなものだった。
だが、その呟きは無意識に影人自身にも向けられていた。
なぜならきっと、影人自身も心のどこかで覚えているからだろう。
ほんの少しの――寂寥を。
夜を行く少年の後ろ姿にはその寂寥が、これもまた少し滲んでいるように見えた。
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