第513話 拳の祝福、男の語らい(1)

「・・・・・・さて、そろそろか」

 卒業式が終わり、夕日が世界を照らす午後5時頃。影人は河川敷にいた。川は夕日が反射しキラキラと輝いている。影人はそんな川を見つめながら、ある人物が来るのを待っていた。

 ちなみに、零無はいない。卒業式が終わったタイミングで合流し、しばらくは一緒にいたが、ここに来る際に影人が着いてこないように言った。もしも待ち人が来るのなら、これから起こる出来事は誰にも見せるわけにはいかないからだ。本当なら、イヴとナナシレにも見せたくはないのだが、イヴは何かあった時の備えであるし、ナナシレは影人の魂とほとんど同化している。ゆえに、影人はイヴの本体であるペンデュラムをポケットに忍ばせているし、ナナシレについても何も言いはしなかった。

「・・・・・・」

 影人はしばらくの間、待ち続けた。すると、ザッザッと背後から足音が聞こえてきた。川を見ていた影人が振り返る。

「・・・・・・来たんだな。香乃宮」

 そこにいたのは光司だった。光司は緊張したような真面目な顔で頷いた。

「うん。正直に言えば、ここに来るべきかほんの少しだけ迷ったよ。でも・・・・・・僕はどんなものであれ、君の想いには応えたい。だから、来たよ」

「そうか・・・・・・相変わらず真面目な奴だぜ」

 光司の真っ直ぐな答えに影人はフッと笑った。影人は緩んだ顔を引き締め、真面目なものにし、こう言葉を続けた。

「だが、ここに来たって事は分かってるな。こっから先は真面目な展開にはならないぜ。今からやるのは理屈抜きの、それこそ傍から見たらバカみたいに無意味な事だ」

「重々承知しているよ。なにせ、ちゃんと渡された紙に書かれていたからね」

 光司はブレザーのポケットから1枚の紙を取り出した。それは今日の昼間に影人がプレゼントと共に光司に渡したものだ。陽華や明夜、暁理やイズには渡していない。光司だけに渡した物。光司は紙を広げると、それを影人へと見せた。

 元々は影人が光司に書いて渡した物だ。そのため、何が書かれているのかは分かっている。影人が光司に渡した紙には、果たし状と書かれており、時刻と場所、勝負方法が記されていた。

「・・・・・・帰城くん。僕はなぜ君が僕に果たし合いを申し込んできたのか分からない。だから、よかったら聞かせてほしい。なぜ君が僕と果たし合いを、決闘をしたがっているのかを」

 真剣に、真摯に光司は影人にそう問いかける。影人は意味なくこんな物を誰かに、それこそ光司にも送りつけてくるような人物ではない。何か理由があるはずだ。

「理由、か・・・・・・はぁ、ガッカリだぜ香乃宮。お前も男だ。その辺りは分かってると思ってたが・・・・・・どうやらそこに関しては鈍いみたいだな」

「っ・・・・・・」

 だが、返ってきたのは答えではなく落胆だった。予想もしなかった影人の言葉に、光司は少なからずショックを受けた。

「香乃宮。そいつが知りたきゃ自分で聞いてみろ。ただし、言葉でじゃない。こいつでだ」

 影人は右の拳を光司に見せる。影人は着ていたブレザーを脱ぎ地面へと投げた。続いて、ネクタイを引き抜きそれも地面に投げ捨てる。

「方法はそこに書いてある通りだ。殴り合って最後まで立っていた方が勝ち。ルールは1つだけ。相手を殺さない事。それ以外なら何をしてもいい。いいか。手加減なんかしてみろ。その時は殺すからな」

 影人は冷たい声で光司にそう宣言した。影人の前髪の下の目も声と同様に冷めていた。影人は本気だった。もしも、光司が手加減をすれば本気で1度は殺す気だった。

「っ・・・・・・分かった」

 ただならぬ影人の雰囲気から察したのだろう。光司は深く頷いた。そして、光司も影人と同じようにブレザーを脱ぎ捨て、ネクタイを外し、シャツのボタンをいくつか外した。

「さあ、じゃあ始めるか。男と男の決闘を。この世で1番無駄で真っ直ぐなコミニュケーションを。改めて名乗るぜ。俺は帰城影人。てめえをボコボコにする男だ」

「僕は香乃宮光司。君の想いを受け止め、そして勝つ者だ」

 影人の名乗りに対し光司も名乗りを返す。その顔はいつになく真剣だった。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 影人と光司はしばらくの間、無言で互いを見つめ合う。風が吹き影人と光司の髪を、服を揺らす。

 そして、風が止んだ瞬間、

「うぉぉぉぉぉぉ!」

「はぁぁぁぁぁぁ!」

 影人と光司は互いに駆け出した。両者共に右手を拳に変え、右腕を引いた。そして、互いが接近した瞬間、影人と光司は右腕を振り抜いた。

「っ!?」

「ぐっ!?」

 影人の拳が光司の頬に、光司の拳が影人の頬にめり込む。鈍くも鋭い痛みが両者に奔る。影人と光司は互いによろけた。

「はぁっ!」

 よろけから先に立ち直ったのは光司だった。光司は左のフックを影人の脇腹へと放った。フックは吸い込まれるように影人の体にヒットした。

「ぐっ!?」

 影人はよろけから立ち直れずに、更に大きくよろけた。光司はその隙を見逃さずに影人の両肩を掴み、影人の腹部に膝蹴りを見舞った。影人は「がっ・・・・・・」と苦しげな声を漏らした。

(このまま畳み掛ける!)

 光司は影人を蹴り上げた足を1度引くと、続けてその足で影人の胸部に向かって前蹴りを放った。蹴りは影人の胸部にヒットした。

 だが、

「調子に・・・・・・乗る、なよ・・・・・・!」

 影人は光司の蹴りが当たった瞬間にガシッと光司の足を掴んでいた。影人はそのまま光司の足を思いっきり引く。結果、光司は立っていられず転んだ。

「っ!?」

「おらぁ!」

 影人は体勢を崩した光司の顔面を蹴り抜いた。結果、光司は特に鼻に損傷を受け、盛大に鼻血を漏らした。

「〜っ!?」

 光司は蹴られた勢いのまま地面に倒れた。影人は光司に跨りマウントポジションを確保した。

「へっ」

 影人は好戦的な笑みを浮かべると、身動きの取れない光司の顔面に向かってグラウンドパンチを穿った。更に1発。もう1発。影人は何の躊躇もなく、光司の顔面にパンチの連撃を放ち続ける。

「う・・・・・・らぁっ!」

 だが、光司もただ殴られ続けるだけではなかった。光司は鈍る意識に自分で喝を入れると、フリーになっている右足を動かし、影人の後頭部を蹴った。体の硬い人間なら蹴りが届く事はなかっただろう。しかし、光司の体は柔軟であった。結果、光司の蹴りは影人の頭へと届いた。

「〜っ・・・・・・!?」

 予想外の――死角外からの攻撃はまさしく予想外だろう――衝撃に影人は体をぐらつかせた。同時に光司に対する拘束も緩む。光司はその隙を見逃さず、マウントポジションから脱出した。

「こんの・・・・・・!」

 バカスカと顔面を殴られたお返しとばかりに、光司は影人の顔面に肘打ちを叩き込んだ。結果、影人も盛大に鼻血を撒き散らした。

 光司は続けて体勢を崩している影人の腹部を右足で踏みつけた。影人は「がっ・・・・・・」と反射的に体をくの字に曲げる。光司はもう1度影人を踏みつけようとしたが、影人は転がって2度目の踏みつけを回避した。

「はあ、はあ、はあ・・・・・・く、くくっ、いいぜ。お坊ちゃんだと思ってたが、中々どうしていい攻撃しやがる・・・・・・」

「はあ、はあ、はあ・・・・・・その言葉、そのまま返すよ・・・・・・通常の君の身体能力は、はっきり言って貧弱寄りだと思っていたけど・・・・・・ここまで強いとは思っていなかった・・・・・・」

 影人と光司は互いに一旦距離を取り、シャツの袖で鼻血を拭う。2人の体はダメージからだろう、既に半ば震えていた。

「はっ、何だかんだ嬢ちゃんに鍛えられたんでな・・・・・・修行はスプリガン状態でやったが、体は結局同じだからな。感覚としては残ってるんだよ・・・・・・」

「なるほど・・・・・・それには納得がいったよ。・・・・・・だけど、未だに僕には分からない。この戦いにいったい何の意味があるのかを。君が、僕に何を伝えたいのかも・・・・・・」

「はっ・・・・・・この鈍ちんが。なら、お前の顔が今以上に見てられないくらい腫れる前に気づけるといいな。まあ例え気づいたとしても・・・・・・勝つのは俺だがな!」

 影人が光司に向かって突進をかける。光司は影人の突進を回避しようとサイドステップを刻んだ。

「逃すかよ!」

 だが、影人はそのままスライディングをして、光司に足払いをかけた。光司は意識を足元には向けていなかった。結果、光司は足払いに引っかかり尻餅をついた。

「っ・・・・・・」

「隙ありってな!」

 影人はそのまま光司に組みついた。そして、光司の服を掴んで思い切り引っ張り上げ、すぐに地面へと叩きつけた。

「かっ・・・・・・」

「おらおらおらおら!」

 光司の意識が揺らぐ。影人は連続で光司を引っ張り上げては地面へと叩きつける。その都度、光司の意識は削られていく。

「ああああっ!」

 だが、やられっぱなしの光司ではなかった。光司は影人が服を引っ張り上げたタイミングで、影人の顔面に頭突きを見舞った。

「ぶっ!?」

 影人が大きく体を揺るがす。光司は立ち上がり、左手で影人の襟元を掴むと、影人の頬に右ストレートを穿つ。影人は大きく仰け反ったが、光司は襟元を離さなかった。光司はそのまま柔術の要領で影人を投げ飛ばした。

「かっ・・・・・・」

 影人は受け身を取る事が出来ず、背面から地面に叩きつけられる。肺から強制的に空気が叩き出される。後頭部を強く打った事により視界が激しく点滅する。

「うぉぉぉぉぉぉっ!」

 光司は右手と左手を絡め合わせ、それをハンマーのように影人の胴体に振り下ろした。光司の渾身の一撃は見事に影人の体を叩いた。

「ぁ・・・・・・」

 影人の視界を急激に暗闇が侵食する。全身の痛みも手伝ったのか、影人はガクリとまるで糸が切れた人形のように手足を投げ出した。

「はあ、はあ、はあ、はあ・・・・・・」

 光司も既に限界だった。光司は地面に両膝をつき、荒い呼吸を繰り返す。全身が酷く痛む。視界がぐらつく。今すぐにでも倒れてしまいたい。

(で、でもここで倒れるわけにはいかない・・・・・・)

 この決闘の勝者は最後まで立っていた者。光司は立ち上がらなければならない。立って勝利宣言をしなければならない。

「う・・・・・・ぉおおおおおおっ!」

 雄叫びを上げながら光司は何とか立ち上がった。結局、この戦いが何であったのか光司には分からなかった。分からなかったが、今は取り敢えず、

「僕の・・・・・・俺の勝ち――」

 光司は勝ちを宣言しようとした。だが、その瞬間、ガシッと光司の足首が掴まれた。

「なっ・・・・・・」

 光司は信じられないといった様子で視線を下げた。すると、意識を失っていたはずの影人が光司の足首を掴んでいた。

「は、はは・・・・・・俺とした事が・・・・・・ちと落ちかけてたぜ・・・・・・勝利宣言には・・・・・・まだ早いぜ、香乃宮・・・・・・」

 影人は光司の足首を支えにし、体を捻りゆっくりとだが立ち上がった。そして、影人は血に塗れた顔で笑った。

「しかし、意外・・・・・・だったぜ。お前、素の一人称は俺、なんだな・・・・・・くくっ、いいじゃねえか。そっちの方が・・・・・・よっぽど似合ってるぜ!」

 影人はどこにそんな力があるのか、何度目かの右のストレートを光司の頬へと放つ。光司はその一撃を避け切れず、まともに受け地面に倒れた。

「がっ、ぐっ・・・・・・な、何で・・・・・・まだ・・・・・・」

「立てるのか、って・・・・・・んなもん、決まってんだろ・・・・・・喧嘩に負けたい男がどこにいるんだよ・・・・・・それに、お前とはまだ十分に語り合ってねえからな・・・・・・」

「語り合う・・・・・・? っ、それは君が何も言わないからだろ・・・・・・!」

 光司が苛立ったように影人を睨む。光司は立ち上がると、ペッと口の中の血を吐き出した。今の影人の一撃で口の中が切れたからだ。

「・・・・・・言葉だけが想いを伝える手段じゃねえだろ。言葉だけなら、昼間の会話で十分だろ。・・・・・・いい加減に気づけよ。この馬鹿野郎が!」

 影人が再び拳を振るう。しかし、光司は拳を避ける。

「何に気づけって言うんだ! 人は言ってもらわなきゃ分からない時もある! というか・・・・・・そちらの方が大半だ!」

 光司は逆にカウンターの右ストレートを影人の腹部に穿つ。影人は「がっ・・・・・・」と苦悶の表情を浮かべる。

「んなもんは・・・・・・んなもんは重々承知だ! でもなぁ、言葉じゃ伝えられない事もあんだろ! それを今やってんだよ!」

 影人はしかし倒れなかった。影人はそう叫ぶと、左の昇拳を光司の顎へと放つ。光司の体がぐらりと揺らぐ。

「〜っ!? そんなもの、分かるわけないだろ! 僕はエスパーじゃない!」

「んなもん俺もだ! だがなあ、俺にはお前の拳を通して伝わってくるぜ! てめえの苛立ちがな! 言葉よりも如実に!」

 光司と影人は互いの髪を掴み合い、殴り合う。2人とも顔面は見るに堪えないほど腫れ上がり、血まみれだ。だが、それでも2人は倒れなかった。意地と気力。今2人の体を動かしているものはそれだった。

「はあ、はあ、はあ、ぺっ・・・・・・どうだ・・・・・・いくらバカで・・・・・・鈍いお前でも・・・・・・流石に分かってきたんじゃねえか・・・・・・言外の言葉、俺の想いってやつが・・・・・・」

「はあ、はあ、はあ、ぺっ・・・・・・何となく・・・・・・本当に何となく・・・・・・だけどね。君は不器用・・・・・・いや、敢えて不器用を演じているのかな。とにかくとして・・・・・・随分と荒っぽい祝福だね・・・・・・」

 影人と光司は互いにボロボロだった。2人は腫れ上がる目で、ぼんやりと視界に映る互いを認識し、血と共にそんな言葉を吐く。だが、2人とも満身創痍であるはずなのに、口元は――ほんの少しではあるが――緩んでいた。

「はっ・・・・・・生憎と、このやり方はお前くらいにしか出来なかったからな。まあ、今の言葉が出てくるなら合格だ・・・・・・後は・・・・・・」

「勝ち負け・・・・・・だね」

「・・・・・・ああ。そうさ。何だかんだと、1番重要なとこだ。悪いが、死んでも負けてやらねえぞ。勝つのは・・・・・・俺だ」

「それを言うなら僕も・・・・・・いや、俺もだ。俺だって負けたくない。さっき君も言ってたけど・・・・・・喧嘩に負けたい男なんてどこにもいない。だから、僕は死んでも君に勝つ。勝つのは・・・・・・俺だ」

 影人と光司は互いにギュッと右手を握り締めた。2人とも分かっていた。次の一撃が、恐らくはこの戦いの最後の一撃になるであろうという事を。

「・・・・・・行くぜ」

「・・・・・・こい」

 影人の言葉に光司が頷く。影人と光司は互いに大きく右腕を引き、そして互いに駆け出した。

「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」」

 2人の雄叫びがシンクロする。夕日に照らされた2人はグッと大きく大地を踏み締めると、鏡合わせのように右の拳を互いに向かって突き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る