第156話 押し掛け芸術家
「・・・・・・・・・ったく、今日も元気だな太陽さんよ」
9月7日金曜日、午後3時過ぎ。影人はリンゴジュースのペットボトルを自販機から取り出しながら、そう呟いた。おそらくまだ30度以上はあるだろう。本当に暑い。影人はペットボトルを持って、校舎の日陰に移動して座った。
いま影人は文化祭の準備の作業を少し休憩している状態だ。午後1時過ぎからずっと作業をしていたので、別にこれくらいは許されるだろう。まあ、他の小道具係のメンバーには何も告げずに教室を出たが、10分ほどで戻る予定だ。その間に何が起きるわけでもないだろう。
「つーか、俺元々1人で作業してるから関係ないか・・・・・・・」
影人は冷えたリンゴジュースを飲みながら、ふぅと息を吐いた。リンゴの甘さが心地いい。生きているという感じだ。
「ふぁ〜あ・・・・・眠い。何だかんだ、昨日ソレイユの奴との話が終わったの遅かったからな。寝不足だぜ」
大きなあくびを1つしながら、影人はガリガリと頭を掻いた。昨日影人が家に帰ったのは午後10時過ぎだ。何の連絡もせずにその時間に帰ったものだから、流石に母親には「せめて連絡しなさい! ご飯冷めちゃったでしょ!」と怒られた。影人の母親は基本は自由放任主義だが、そういう所は厳しいのだ。
結局、影人が寝たのは午前1時過ぎ。起きたのが7時半過ぎなので、睡眠時間は6時間半ほど。普段の影人なら別にそれでも十分なのだが、昨日は戦ったのでそれくらいでは疲れが取れなかったのだ。
「しっかし、気がつけば筋肉痛もあんまり起きなくなったよな。最初の頃なんかは、よく筋肉痛が起こったもんだが・・・・・・・」
左手を適当に開閉させながら、影人はふとそんな事を考えた。自分の肉体も少しは慣れてきたのだろうか。
「・・・・・ふっ、慣れってやつは恐ろしいもんだな」
厨二前髪野郎はいつも通り1人で格好をつけると、再びリンゴジュースを口にした。美味い。やはり1人で静かに飲むジュースは格別だ。
「・・・・・・・・・・・」
しばらく影人は無言で青空を見上げた。考え事などない。ただ無心で別に意味もなくだ。青空を見上げるのに理由などいらないだろう。
(・・・・・・昨日のソレイユの話。あの話で、今まで敵の親玉としか認識していなかった、レイゼロールの背景が理解できた。まさか、レイゼロールの奴にあんな過去があったとはな・・・・・)
影人の脳内に浮かぶのは、あの西洋風の喪服を纏った白髪の女、いや女神の姿だ。今までは倒すべき敵としか認識していなかった。別に昨日の話を聞いて、その認識が変わったわけではない。レイゼロールは依然自分の敵だ。いやむしろ、レイゼロールの最終目的である、『死者復活の儀』が失敗すれば世界中全ての生命が滅びるという話を聞いた今では、よりレイゼロールを倒さなければならないという思いは強まった。なにせ、それは影人の命や、家族の命にも関わってくる話だからだ。
ちなみに、昨日のレイゼロールについての話は、影人にしか明かされていない。レイゼロールの過去や最終目的については、本来は神々しか知らない超極秘事項で、無闇に人間に明かしていいものではないらしい。ソレイユはいつかはラルバと協議して、レイゼロールの事を話さなければならないだろうと言っていた。それは、レイゼロールのカケラが最近になって集まり始め、目的の達成が近づきつつあるからだ。
ゆえに人間で言えば、影人は過去にも現在にもただ1人レイゼロールの背景を知る者となったわけだ。ソレイユやラルバがずっとレイゼロールの事を隠していた理由はまあ理解できる。レイゼロールの正体が元々神で、ソレイユやラルバの友となれば、光導姫や守護者には悪感情が芽生えやすい。それこそ昨日出会ったあの闇人、ダークレイがいい例だ。覚悟を以て戦っていても、いくら光導姫や守護者に善人が多いとは言っても、ソレイユやラルバの友のために自分の友を失えば、その絶望はレイゼロールに向かうだけでなく、ソレイユやラルバにも向きやすいだろう。そうなれば、はっきり言って色々面倒な事になる。
その他にも、レイゼロールをただ敵とする事によって、戦う感情を純粋化させたりするなどの、容赦のない打算的理由が色々とあるのだろうが、それは影人には関係ない話だ。
(・・・・・・・・・だがまあ、俺は奴を救わなくちゃならない。いや、正確に言えばレイゼロールを救うのは、レイゼロールの心の闇を浄化する光導姫だが、救う手助けを俺はする。それが、昨日あいつと約束した事であり、俺の仕事だからな)
影人は右手でペットボトルを弄びながら、内心でそう言葉を呟いた。正直に言ってしまえば、影人はレイゼロールを斃した方がいいと思っている。不老不死のレイゼロールを斃す方法自体は神殺しの武器以外に今のところ思い浮かばないが、それが偽らざる影人の考えだ。レイゼロールを救うには、あまりにもそのリスクが高すぎる。
しかし、昨日影人はソレイユにレイゼロールを救うと言った。斃すのではなく救う。それが何千年もソレイユが密かに抱き続けてきた願いであり、目的だからだ。影人はそのソレイユの願いを肯定した。ソレイユの立場なら、レイゼロールを救いたいと思うのは当然だと。
ならば話は簡単だ。不承不承の雇い主であるが、ソレイユは影人の雇い主。そして影人はソレイユの仕事を受ける雇われ人。影人は雇い主であるソレイユの願いを叶えなければならない。例え、それが心の底からの本心でなくとも。
それが仕事。影人のスタンスであり信条。過去の自分の発言は、今の自分が守る。今の自分が過去の自分の発言を守らなければ、過去の自分の決断を否定すれば、それは過去の自分を否定する事になる。自分を否定するのは、あまり気分が良くない。
(ま、後悔は何もない。俺はこれからレイゼロールを救う仕事をする。ただ、それだけだ。・・・・・・つーか、レイゼロールを救うとしたら誰が救うんだろうな。聖女サマか、金髪か、『提督』か、『巫女』か、はたまた会長か。あの絶望しきってるであろうレイゼロールの奴を救うとしたら、誰が・・・・・・)
影人は今まで出会った最上位の実力を持つ光導姫たちの姿を思い出していく。普通に考えれば彼女たちの誰かが、レイゼロールを浄化する可能性が最も高い。
(そういや、ソレイユの奴は朝宮と月下が光導姫として歴代最高の潜在能力を秘めてるって言ってたな。俺があいつらを影から守ってる理由の1つもそれだし・・・・・・・・・・じゃ、ソレイユはあいつらがレイゼロールを救うって考えてるのか? 朝宮と月下がレイゼロールを救う・・・・・・はっ、なんだかな。今イチ想像できねえぜ)
ふと2人の姿を思い浮かべ、影人は口角を少し上げた。まあ、あの2人は漫画なんかでは間違いなく主人公属性という感じだが、現実はそう甘くはない。夏休みの間は研修で実力を上げたらしいが、それでも最上位の光導姫たちには及ばないだろう。陽華と明夜がレイゼロールを浄化し、救える可能性は限りなく低い。
「・・・・・・・あいつらがもしレイゼロールを浄化して救っちまったら、今世紀最大の番狂わせだぜ」
影人が肉声でそう呟いてリンゴジュースを飲み、さて教室に戻るかと立ち上がると、近くを通りかかった2人の男子生徒たちの話し声が聞こえてきた。
「聞いたか? なんか今、校門のところで面白い事が起きてるらしいぜ。何でも、部外者が入って来てるみたいで、先生方が対応してるんだと」
「あ、俺もさっき友達からメッセージ来て知ったわ。今は文化祭の準備期間で校門開いて、服もジャージとかの奴が多いから、入れるとでも思ったんじゃないのか? どうせその部外者、不審者のおっさんとかだろ」
「いや、どうも違うらしい。何でも綺麗な外国人の姉ちゃんらしいぜ。なんか水色と白の髪の。見に行った奴からの情報だと、モデルみたいですっげえ美人との事だ」
「マジかよ。ちょっと見に行ってみようぜ」
そんな会話をしながら、男子生徒たちは校門の方へと向かっていった。
「水色と白の髪の外国人・・・・・・? 何だか昨日見た気がするのは気のせい・・・・・・・・・・だよな?」
男子生徒たちの会話を図らずも盗み聞きしてしまった影人は、嫌な予感に襲われた。思い出されるのは昨日の昼に会ったあの人物の事だ。
「何か校門で面白いこと起こってるんだって! ちょっと行ってみよ!」
「有名人が来てるらしいよ! 何か芸術家の!」
「急げ急げ美術部! 理由は分からないがあの方が我が校に来ているらしいぞ! こんなチャンスを逃すな!」
影人がそんな予感に襲われている間にも、好奇心旺盛な高校生たちは続々と校門へと向かっていく。影人はその校門にいるという人物が、いま想像した人物であると半ば確信した。
「何であいつがウチの学校に来るんだよ・・・・・・・全く以て、意味がわからん・・・・・・」
影人は大きくため息を吐くと、一応自分の予想が正しいかどうか確かめるために、自分も校門へと向かったのだった。
影人が校門にたどり着くと、そこには多くの生徒たちが集まっていた。影人はそんな多くの生徒たちの中に混ざる形で、件の部外者の姿を見ようとした。
「いやだから、関係者以外は立ち入り禁止なんですよ。いくらあなたが著名な方とはいえ、事前に何の連絡も許可もなしに当校に来られては・・・・・」
「それは本当に申し訳ないと思っている。間違いなく、私の不手際だ」
人混みの中から校門の前に視線を向けてみると、そこには風洛高校の教頭と1人の少女がいた。教頭は難しい顔をしながら少女に何かを言っており、その少女は教頭に向かって素直に謝罪の言葉を口にしていた。
「いや、昨日たまたま貴学の生徒たちと出会い、少し興味を持ってね。色々と調べて制服や地域からこの学校の生徒だと分かったのだが、どうやら貴学はいま文化祭の準備をしているとの事も分かった。ああ、情報源は貴学のホームページが参考だよ。とにかく、私はこれでも芸術を仕事としている身だ。文化の祭の準備と聞かされれば、どうしても確かめたくなるのが性分というもの。ゆえに、急に押し掛けるような形で貴学に来てしまったというわけだ。どうか、私の浅慮を許していただきたい。ムッシュ」
水色と一部分が白色に染まった髪の色をしたその少女は、弁解するようにそう言った。服装は昨日とほとんど変わらない。強いて言えば、昨日は白のシャツであったが、今日のシャツの色が青に変わったくらいだ。モデルのようなその体型には、ジーパンがよく似合っていた。
(やっぱり『芸術家』じゃねえか・・・・・・)
その少女は、やはり一昨日パリで出会い、昨日昼間に光司たちと一緒に偶然出会った、光導姫ランキング7位『芸術家』にして著名な芸術家、ロゼ・ピュルセだった。
「はいはいはい! どきなさいあんたら! 邪魔よ!」
影人たち生徒がロゼと教頭のやり取りを見つめていると、突如そんな声が聞こえて来た。影人が声のした方向に顔を向けると、そこには2人の生徒がいた。
「この私が通るわよ!」
「すみませんみなさん。少し道を開けてください」
元気溌溂とした声と爽やかな声。その声の主たちを影人は、いや、この風洛高校に通う生徒たちはよく知っている。生徒たちは2人を見てその言葉を聞くと、2人の前に道を作った。
「生徒会長、榊原真夏。参上よ! さあ、教頭先生。私が来たからにはもう安心です! 校長から、対応を引き継ぐように言われていますので、どうか通常業務に戻られてくださいな!」
「副会長の香乃宮です。教頭先生、今までご対応ありがとうございました。会長が仰った通り、対応の方は僕たちが引き継ぎますので」
現れたのはこの風洛高校の生徒会長である真夏と副会長である光司だった。2人はロゼと話をしていたこの学校の教頭にそう言葉を告げた。
「ああ、榊原くんと香乃宮くんか。分かった、校長先生が君たちに任せたというなら、私は戻ろう。ありがとう。後は頼んだよ」
真夏と光司からそう告げられた教頭は、ホッと息を吐くと2人に軽く頭を下げてこの場から去っていった。
「・・・・さて、教頭は行ったわね。まったく、何であんたが
教頭が去ったのを確認した真夏はため息を吐きながら、ロゼにそう言った。真夏とロゼは『光導十姫』で、今年の光導会議でも一緒だった。つまり顔見知りだ。
「おお、真夏くんじゃないか! そうか、確かに君の制服もこの学校の制服だったな。いやはや、まさか君と会うとは! ムッシュも昨日ぶりだね」
「はいピュルセさん、昨日ぶりです」
真夏の姿を見て驚いたロゼは真夏にそう言って、真夏の隣にいた光司にも顔を向けた。光司はロゼに爽やかな笑みを返し、軽く頭を下げた。
「え? 会長と副会長、あの人と知り合いなのか?」
「確か有名な芸術家なんだろあの人。すげえな。さすがウチの生徒会長と、あの香乃宮だ」
「会長とあの人けっこう仲良い感じだな」
「だよな」
3人の会話を聞いていた、影人を含めた野次馬の生徒たちがザワザワと騒ぎ始めた。3人がどういう関係で知り合いなのか知っている影人は、別に疑問を抱く余地はないが、3人の関係を知らない他の生徒たちからすればその反応は当然であろう。
「あー、あんたたちちょっと静かにしてなさい! それより『芸術家』。あんたウチの学校を見学したいみたいだけど、それで合ってるの?」
騒ぎ始めた周囲の生徒たちに向かって真夏はそう注意すると、ロゼに風洛高校を訪れた目的を確認した。真夏からそう聞かれたロゼは、「ああ」と言って首を縦に振った。
「せっかく日本に訪れたのだから、見学はぜひしたい。異文化に触れるというのは、創作に関わる者全ての基本だからね。それに、君がいる学校という事も分かって俄然興味がわいた。出来れば、やはり見学したい」
「ふふん、まあ私の城に興味を持つのは流石と言っといてあげるわ。仕方ないわね、事前にあんたの情報を聞いて校長に見学の許可は取っておいてあげたから、あんたの見学を私が許可するわ。ほら、これ首にかけなさい。入校証よ」
真夏は軽く笑みを浮かべて、カッターシャツの胸ポケットから風洛高校の入校証を取り出し、それをロゼに渡した。真夏から入校証を受け取ったロゼは、「本当かい?
「といっても、案内役がいないのよね。私と副会長はクソ忙しくてあんたを案内してあげる時間ないし・・・・・・・どっかに私とあんたの知り合いで、案内役いないかしら」
(・・・・・・・・・この場にいるのはマズイ気がする。とりあえず確認は出来たわけだし、さっさと教室に戻ろう)
真夏の呟きを聞いた影人は、こっそりとこの場を去ろうとした。真夏が呟いた案内役の条件に、奇しくも自分が当てはまるからだ。面倒事の予感を察知した前髪は静かにエスケープを試みたが、残念ながらその試みは後ろから聞こえて来た声に阻まれた。
「あ、帰城くん」
「っ・・・・・・・」
声の主は光司であった。そして光司のその声によって、この場の注目は去ろうとしていた影人に集中した。
「む? 君は昨日の・・・・・・・・」
「ん? あんた帰城くんと知り合いなの?」
「ああ。昨日そこの彼と一緒に出会ったから、知り合いといえば知り合いだよ」
「へえ、そうなの。なら、ピッタリじゃない」
ロゼと真夏が影人に気がつき、そんな会話を交わす。何がピッタリなんですか。やめてください会長と影人が心の中で願うも虚しく、真夏が影人にこう声を掛けてきた。
「ねえ帰城くん。ちょっとお話いいかしら?」
「・・・・・・な、何でしょうか会長」
影人は仕方なく振り向き、ぎこちない笑みを浮かべながら真夏にそう聞き返した。最悪だ。本当に最悪な予感しかしない。
「あそこにいる『芸術家』に学校案内をお願い出来ないかしら? 何でも帰城くんあいつと知り合いみたいだし。あなたなら私も安心して任せられるから。申し訳ないけど頼まれてくれる?」
「い、いやー会長の頼みですから受けたいのは山々なんですが、俺にも文化祭の準備があって・・・・・・・・だから、申し訳ないですがお断り――」
「それなら大丈夫。私たちの方であなたのクラスに事情を説明しておくから。あなた、確かお姉ちゃんのクラスだから2年7組よね? そういう事だからお願いね! じゃ、私たちはもう戻らないといけないから。行くわよ副会長!」
「あ、はい! ご、ごめんね帰城くん。僕が君の名前を呼んでしまったばっかりに・・・・・・お礼はまたするから! じゃあ!」
「あ、おい香乃宮!」
影人が呼び止める声も虚しく、真夏と光司は校舎の方へと走って行った。
(嘘だろ・・・・・・・・? 終わってやがる・・・・)
影人は片手で顔を押さえながら絶望した。そして、真夏と光司が去っていった事により生徒たちの注目をその一身に集めた影人に、「え、誰あの人?」、「前髪長すぎない?」、「つーかあの人も芸術家の人と知り合いなのか?」的な声が浴びせられる。目立つ事を何より嫌う影人にとって、この状況は最悪以外の何者でもない。胃に穴が開きそうだ。
「ふむ。では案内を頼んでもいいかな、少年?」
「あ・・・・・・・・・・・・はい・・・・」
顎に手を当てそう確認してきたロゼに、影人は力なくそう言葉を返した。
――前髪野郎には、やはりアクシデントが良く似合う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます