とあるしがないフーテンの一日

ボダイボ

1.シアターマジック

 ゲレンデマジックをご存知だろうか。

 「ぜんぶ雪のせいだ」

 のフレーズでお馴染みの現象。

 スキーウェアで全身を覆われ、ゴーグルに顔が隠された状態。人間の脳の補正効果により、異性が3割増しで魅力的に見えてしまうアレである。

 僕はそれと似たような現象が、映画館でも発生することを確認した。


 ハロウィン当日の高田馬場。

 特にコスプレもせず、普段と変わらぬ姿で集団下校する大学生を尻目にゆるい坂道を上ると、そこは早稲田松竹。

 旬の過ぎた映画を二本立てで上映する映画館で、今日のプログラムはアンドレイ・タルコフスキー監督の「サクリファイス」と「ノスタルジア」だ。


 月の頭から楽しみにしていたこともあり、少し早めに到着してしまった。

 ロビーは自由に走り回れない程度の人で溢れていて、ベンチは全て埋まってしまっている。

 特になにをするでもなく、壁に貼り付けられた監督のインタビュー記事やチラシを眺めること数十分、開場のアナウンスが。


 それは一本目の「サクリファイス」上映後に起きた。

 トイレから帰ってくると、空席だった筈の両隣にリュックサックが置かれている。

 空席は他にもそれなりにあるのに、何故わざわざ僕の隣に詰めるのか?と困惑していると、右隣の人が帰ってきた。

 茶色に近い金髪に、黒いライダースジャケット、白い三本線の入ったアディダスのジャージを履いて、左手に缶コーヒーを握る彼女。

 彼女の右にはどうやら彼氏らしき人物が。前髪を眉まで下ろし、全身を黒と紺でコーデした彼は大学生そのもの。


 今時のヤンキーはタルコフスキーなんか観るのか、彼女は彼の趣味に付き合っているだけなのだろうか、だとすれば並の映画以上の苦痛を味わうのではないか、彼は彼女にビンタを食らうだろうに、いやこう見えて二人は早大の映研だったりするのではないか。


 そんなくだらないことを考えていると、左隣の人が帰ってきた。

 白いモコモコガウンのようなものを羽織り、右手にココア味の豆乳を持った彼女。

 彼女は席に着くなり、慌ただしく小さなリュックをまさぐると、ワイドサイズの本を取り出した。

 ページをめくっては戻り、めくっては戻りを繰り返している所を見るに、レポートの課題図書か何かなのだろう。

 そしてものの三分も経たぬ内に、彼女は席を立ちどこかへ行ってしまった。


 ここぞとばかりに席を列の一番左端へ移す僕。

 なんだ、この間に三つも空席があるじゃないか。右の彼女はまだしも、左の彼女は何故詰めてきたんだ?

 そんなに急いでいるなら、そもそも映画を観ている場合なのだろうか。いや、鑑賞自体がレポートの課題に含まれているのだとしたら、それはしょうがないか。


 しかし、タルコフスキーを課題に出す教授はひねくれているに違いない。

 僕が生徒ならBTTFや黒澤、レオーネを課題に出す教授の元で学びたい。

 美大ならまだ理解できるが、普通大で、それも語学の授業ですらないなら、確実に僕とは反りが合わないだろう。


 次の課題はベルイマンだろうな、なんて考えていると

 「すみません」

 上映まであと一分という所で、彼女が帰って来た。

 足を外側にずらすと、それを跨ぐ彼女。

 その時少しだけ横顔を覗いてみると、目元はくっきりしていて、顔全体に小麦粉を塗したような厚化粧。

 彼女はかつての僕側のドリンクホルダーに入れていた豆乳を口に含むと、左のドリンクホルダーに移した。


 これは何か僕へのメッセージなのではないか?

 何故彼女はよりにもよってココア味を選択したのだろう?

 スーパーでのバイト時代にはよく豆乳を前出ししていたが、その豆乳にはバナナ味だとかココナッツミルク味だとか、もっとフルーティな味があった筈だ。

 それとも何か?白のモコモコにココアのコントラストでキメるのが彼女のファションなのか?


 上映が始まってからの僕は、ずっと彼女に声をかける妄想を頭の隅で繰り広げていた。

 そこそこかわいいイマドキ女子が、席を一つ挟んだ先に座っている。

 サブカル系のファションにしては少し地味な気がするし、彼女は高田馬場という立地から早大生なのかもしれない。

 とすれば、浪人生という立場柄、彼女に勉強法をご教授願うってのはどうだろう。

 金が無いと嘘をつき、帰りの電車賃を借りるのはどうだろう?これならさりげなく連絡先も聞き出せる。

 もう「ファスビンダーについて語りませんか?」と直球勝負を仕掛けようか。


 とにかく、なんでも良いから彼女と話すきっかけが欲しかった。

 彼女がくしゃみをすれば、リュックに常備している箱ティッシュを差し出そうだとか、本当にただただ気持ちの悪い妄想を三十分ばかり続けていた。


 言葉が使えないなら、もう本能に訴えるしかないと思い、僕は彼女とシンクロすることにした。

 彼女が腕を組むと僕も腕を組み、彼女が足を伸ばせば僕も足を伸ばす。

 この調子で彼女と僕の呼吸のペースが完璧に一致すれば、彼女の方から僕に声をかけて来るに違いない。


 男と犬のカットが終わると、明るくなる館内。

 僕は羽織っていたシャツのボタンをわざとゆっくり締めて、彼女の出口を塞いだ。

 立ち上がりのろのろとコートを着ていると、もうすぐ傍に彼女の気配を感じる。

 僕はそのまま彼女の気配を背中で感じ取りつつ、シアターを後にした。


 ロビーで彼女が現れるのを待つ。

 来た!白いモコモコに、小ぶりの女子リュック。あれだ!

 後ろからさりげなく近付いてみると・・・


 彼女の後ろ姿は、明らかに中年の四十代マダムだった。

 首元には年齢が表れていて、髪型は簡単に結んだおだんごヘアー。

 流石の僕でも彼女を追い抜き、正面からまじまじと顔を覗き込むような嫌味な趣味はない。

 なにより、ショックで足に力が入らなかった。

 劇場を後にする彼女をなんとか追いかけると、つい先程まで見ていた景色がどこにも見当たらなかった。


 これが僕のノスタルジアなのだろうか。

 映画館を愛する余り、シアターに在る全てのものは美しいものとして、脳が自動補正をかけてしまう。


 寒空をネオンで照らしても、そこに映るのは坂道を下る人だまだけで。


 暗がりの中ですぐ傍に座る女性が、足を組んで崩して、また組んで・・・

 顔も見えないんじゃ、フーテンでヒマだけが取り柄の僕が色々妄想するのは仕方のないことで。

 シアターマジックは絶対にある。

 下り坂が終われば、もうすぐ駅だ。

 急行、座れるといいな

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