鏡を割って

馳怜

第1話

わたし、笹口サユリと妹のアユミは双子の姉妹だ。幼稚園から高校まで、同じ学校に通い、同じ時を過ごしてきた。好きな食べ物、趣味、苦手なものや異性のタイプまで、全く同じだ。顔も瓜二つなので、まるで鏡を見ているようだった。

だからこそ愛しかった。世界に二人といない、唯一の妹。「家族」というより「親友」に近いだろうか。いつでも一緒、何でも一緒で、お互いのことは何でもわかっている。言うなら、同じ道を、手を繋いで歩んできた仲間だった。

そんなわたしたちも、今では大学受験を控えていた。家に届いた大量の大学資料を、二階にある自室の床に広げる。将来への漠然とした不安に苛立ちをぶつけるように、わたしは資料を睨んでいた。いくつかパラパラとめくってみる。様々な大学に、力を入れている学部があるみたいだ。K大学は経済学部、A大学は法学部、Y大学は文学部、などなど。

その時、S大学の「心理学」という言葉が目に入ってきた。読み進めてみる。



「人の心がわかる人はいると思いますか?誰もわかりません。強いて言えば、時と場合による、が正解でしょう。同じ文化、同じ人種でも、同じ事を感じている人間はいないのです。」



……なんだか面白そうだ。

「ここにしようかなぁ……」

「サユリ、良さそうなとこあった?」

上からアユミが問い掛けてきた。見上げると、わたし自身が見下ろしているようだ。

「うん、ここ面白そうだなって。アユミは?」

アユミが持っている資料を見ると、わたしが見ていた大学と同じ資料だった。

「アユミもS大学?」

「えっ、サユリも?」

「うん。ここの心理学行きたいなって」

「うそ、わたしも心理学見てた」

その言葉に、わたしは笑ってしまう。やはりわたしとアユミは似ている。こんなわたしたちが心理学科に行ったらどうなるのだろう。

「アユミとだったら、大学生活も楽しめそうだなぁ」

わたしは床に広げていた資料をまとめ、立ち上がった。

一階のキッチンから良い匂いが漂ってくる。それに触発されたように、わたしの腹の虫が大きな音をたてた。

「今日の晩御飯何かなぁ」

わたしがそう呟くと、アユミも首をかしげた。

「青魚の匂いがするよね」

「するする。さばの味噌煮が良いなぁ」

「サユリ、それ好きだよね」

「アユミも好きでしょ?」

そのとき、一階のキッチンから母の呼び声がした。晩御飯ができたのだろう。

わたしたちが行くと、食卓には晩御飯が並んでいた。ご飯やかきたま汁、根菜の煮物、そしてさばの味噌煮。

「やった、味噌煮!」

わたしが声をあげると、母がエプロンを外しながら言う。

「どっちの好物が忘れたけど、サユリかアユミが好きならもう片方も好きでしょ?」

「あはは、そんな感じだよねぇ」

わたしは笑いながら席につく。アユミは無言のまま席についた。

「……アユミ、どした?」

「え?あ、ううん。味噌煮、美味しそうだなって」

そう言って、アユミは微笑む。

わたしは特に気にすることもなく、そのまま味噌煮に手をつけたのだった。



その日、わたしは進路を決めたことで気分も晴れやかになっていた。一つ不安が消えたのだ。高校へ向かう足も軽い。

そのまま午前の授業が終わり、わたしアユミを誘って食堂に向かおうとしていた。

「アユミ!お昼食べよ!」

「あ、うん。ちょっと待って」

アユミが教科書を整理して直していると、教室の外からわたし達を呼ぶ声がした。ドアの方を見ると、先生が立っていた。

「笹口さーん。すまんが、今日の日誌頼んで良いか?今日担当のやつ休みでな」

「どっちの笹口ですかー?」

アユミが訊くと、先生は首をひねる。

「あー、どっちが書いても同じだろ。とりあえず、暇な方に頼む。放課後、わしの部屋に持ってきてくれ!」

「はぁーい!」

わたしが返事をすると、先生は去っていった。

「もー、めんどくさいなぁ。わたしが今のうちに日誌書いておくから、アユミは先に食堂行ってて」

「……………うん」

「アユミ……?どしたの?」

教科書を見つめるアユミの顔を覗く。少し元気がないように見える。

「大丈夫?気分悪い?」

「あっ、ううん!大丈夫だよ!先に食堂行ってるね」

アユミはすぐに笑顔で答え、立ち上がった。



日誌を適当に書き終え、食堂に向かう。アユミを見つけ、わたしは声をかけた。二人用のテーブルには、すでに二人分のオムライスが置いてあった。

「アユミ!お待たせ!」

「あ……、サユリ………」

「あれ?わたしの分も頼んどいてくれたの?ありがとー」

「……ごめんね。あたしがはっきり言えなくて」

「へ?何のこと?」

わたしが首をかしげると、アユミは伏し目がちに説明した。

「食堂のおばちゃんに注文するとき、サユリのことを訊かれたの。遅れて来るって言ったんだけど、じゃあついでにサユリの分も作っとくって言われて……」

「あー、そういうことか。ごめんね。わたしの分のお金、払ってもらって」

「えっ、違うよ、そういうんじゃなくて。サユリがオムライス食べたいとは限らないでしょ?」

「うーん、わたしは別に気にしないけど。オムライスも美味しいし。そんなこと気にしないで、食べよ食べよ!」

わたしはいただきますと手を合わせ、スプーンを手に取る。アユミはまだ気にしているのか、ゆっくりとスプーンを手にした。まるで、彼女自身が鉛のようになったかのように。

その日の帰り。わたしはアユミに元気がないと心配だったのだが、いつものように友人と談笑しているところを見た。わたしの杞憂かもしれない。帰路を歩きながら友人と笑い合うその笑顔を見て、わたしはそう思った。



夜、わたしは自室で勉強をしていた。静かな夜だと思っていた。

「一緒にしないで!!」

その叫びは、突然聞こえてきた。驚きのあまり、わたしはシャーペンを落としてしまった。

それからドタドタと階段を駆け上がる音がしたかと思えば、バタンと大きな音が響き、静寂に戻った。

「………ア、アユミ……?」

一階から聞こえたあの声はアユミのものだ。動揺しつつ、わたしはシャーペンを置く。アユミがあそこまで声を張り上げたことなど無かった。あると言えば幼少の頃、わたしとはしゃいでいたときくらいだが、先程の声はそれとは大違いだ。昼間の心配が蘇る。

ざわつく心のまま、わたしはアユミの部屋の前に立ち、控えめにノックをした。

「アユミ……、大丈夫?何があったの?」

ドア越しにそう問い掛けると、中からアユミのか細い声がかろうじて聴こえてきた。

「大丈夫……騒いでごめんね。気にしないで」

「大丈夫って……。大丈夫じゃないじゃん。学校にいるときから様子が変だったよ。本当に、どうしたの?」

静かになる。反対に、わたしの心はざわつきが収まらない。

「……あたし、志望大学変える」

「え?……それで、どの大学に変えるの?」

「Y大学……」

「え、そこ確か、文学部の……?そこの大学、心理学部無いけど、良いの?」

「そこで良いの!お母さんにも言われたけど……、あたしが自分で決めたことだから!」

「わ、わかったけど……。あの……理由だけ教えて、くれる?」

「嫌だ。なんで?」

「だって……何か言われたから志望大学変えたんじゃないの?それで無理して、自分の意思でそこにしたって思い込みたいんじゃないかなって………」

「………それは、違うよ」

その時、ドアが少し開いた。その隙間からアユミの顔が見える。真っ暗な部屋に浮かんだ彼女の顔が、瞳が、わたしにはまるで幽霊のように見えたのだ。

「あたし、サユリと同じ大学に行きたくないの」

ぼろぼろと涙が落ちる。

「ごめんね、ごめんね……。あたしは、サユリが嫌い。あたしが二人いるみたいで、本当に嫌なの。あたしはあたしだもの、サユリじゃない。なんで皆一緒にするの、なんでよ……!」

アユミの顔が歪む。

「でも、それでもサユリのこと大好きで、やっぱり一緒にいると楽しい……。好きだけど嫌いなの、ごめんね、ほんとにごめん………。どうしたら良いかわかんない……!サユリのこと好きなのに、嫌いな自分が、一番憎い……!」

悲憤と愛情の間で苦しむアユミに、わたしは、どうすれば良いのだろう。だけれど、彼女の涙だけは止めてあげたいと思ったのだ。

わたしはアユミを抱き締めた。彼女の思いを受け止めるように、そして、彼女の涙が止まるように。

「……ごめんね。アユミのこと、全然気付いてやれなかった。わたしはアユミのこと、大好きだよ。何を言われても。だって、家族だもの。わたしのことは憎んでも良いから、自分のことは嫌いにならないで。全部引っくるめたそれが、アユミ自身なんだよ」

腕の中で、アユミの嗚咽が聞こえる。

真っ暗なアユミの部屋に、わたしの部屋からの明かりが差し込んでいる。

複雑な感情を、悲しみも憎しみも、愛情も罪悪感も、全部吐き出せたら。どれだけ彼女は救われるのだろうか。



あれから、数年が経った。

わたしはS大学に、アユミはY大学に進学した。アユミは大学が始まってから、一人暮らしを始めた。家族が一人減った食卓は、何だか物寂しい。

年に数回、アユミは帰ってくる。高校時代の時とは比べ物にならない眩しい笑顔で、やって来る。

相変わらず同じ思考で、同じものを選んでしまうわたしたちだ。その時のアユミは、懐かしそうに、しかし切なさそうに笑う。それを見て、わたしは自分とアユミは違うのだと再確認する。

変わらないものと変わり行くものを、同時に経験し、同時に愛していけたら。

そう思うのは、わたしの勝手な思いである。





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