陸の人魚は拾われる6
ジョアンナに連れられて、メリッサは居間から彼女に与えられた私室に案内される。
「この屋敷は、カイル坊ちゃんと、マーガレットお嬢ちゃまのお二人が住んでいらっしゃるの」
歩きながら、ジョアンナは屋敷の住人や使用人について説明をする。それによれば、彼らの両親はすでに他界していて、当主であるカイルは二十四歳。十五歳の妹と二人で暮らしているのだという。街から少し離れた場所にあるこの屋敷は、病弱な妹のために用意されたようなもので、ダラムコスタの街の中心部には商会の事務所が別にある。
そちらでは多くの従業員を雇っているのだが、この本宅にはジョアンナ、執事のロバート、あとは料理人が一人ということだ。
おそらく屋敷に入って最初に会った紳士が執事のロバートなのだろう。ほかには庭師や掃除婦が通いでやってくるとのことだった。
メリッサの村には大きな屋敷も、使用人を雇うような金持ちもいなかった。だからよくわからないが、こんなに大きな屋敷をその人数で管理するのは大変なことのように思えた。
メリッサの考えていることが顔に出てしまったのか、ジョアンナが笑って補足する。
「心配しないで、人手が足りなくなったら商会で働いている人が来てくれるから、きちんとお休みもあるし、坊ちゃん……あらいけない、旦那さまはお優しい方よ」
自殺志願者に間違われたとはいえ、見ず知らずのメリッサに仕事を与えてくれたし、お茶も飲ませてくれた。少なくともカイルはけちではない。
「あなたには、私の仕事を手伝ってもらって……あとはお嬢ちゃまの話し相手をお願いすることにしましょうか」
「はい! 真面目に働きますので、よろしくお願いします」
メリッサに与えられた部屋は一階の端にある使用人用の小さな部屋だ。廊下や居間が大理石であったのに対し、使用人用の部屋は木張りで質素だが、暖かみがある。木製のベッドと机、そしてクローゼットが
部屋の整理が終わると、もう一人の主であるマーガレットのもとへあいさつに向かうことになった。
ちょうど夕食の時間になるので、支度が整ったことを知らせにいくのだ。
「マーガレットお嬢ちゃまは、かわいそうに肺が弱くてね。あまり外へ出かけられないから、年の近いメリッサさんが話し相手になってあげてね」
「はい、私にできることでしたら」
この屋敷には中央に大きな階段があり、それとは別に使用人用の階段がある。とくに洗濯物など客人に見られたらまずいものを持っているときなどは、必ずその階段を使うように説明を受ける。
二人は使用人用の階段を使って、二階にあるマーガレットの部屋へたどり着く。
「お嬢ちゃま、ご夕食の時間ですよ」
「あら? もうそんな時間だったかしら」
マーガレットの部屋は年頃の女の子なら誰もが憧れるようなかわいらしい雰囲気だ。
窓際におかれているソファの上には部屋の主であるマーガレットがちょこんと座り、クッションに埋もれながら本を読んでいた。
ゆるく巻かれた黒髪の両サイドに大きなリボンが揺れている。瞳の色は兄であるカイルと同じ青。部屋の主にふさわしい小さなお姫様といった雰囲気の美少女が、見慣れぬメリッサの存在に気がつき、きょとんとする。
「……そちらの方は?」
「しばらくお屋敷で働くことになったメリッサさんですよ」
「メリッサ・シーウェルと申します。しばらくこちらのお屋敷で働かせていただきます。よろしくお願いいたします、マーガレットお嬢様」
「そうなの!? なんで
屋敷で働くことになったと言った瞬間にマーガレットの表情が一瞬曇り、すぐに不機嫌になる。知らない人間に対する警戒。それはどこか縄張りを荒らされたときの猫に似ていた。
「ずっとじゃないのね? それなら、いいわ! よろしくね、メリッサ」
「はい、よろしくお願いします」
ずっとじゃないのならいい。メリッサにはその言葉の意味はよくわからなかった。
肺が悪くて、屋敷の外にあまり出たことがなく人づき合いも限られているというマーガレットが、突然やってきた使用人を警戒するのはある意味当然のことかもしれない。メリッサはマーガレットがひどく警戒している理由をなんとなくそうとらえた。
主たちの食事が終わったあと、使用人が順番に食事を取る時間になり、メリッサは屋敷の厨房に向かう。
厨房に顔を出すと、中では白い服を着た青年が食器を洗っていた。
「こんばんは、あの……今日からお世話になりますメリッサです」
メリッサが声をかけると、仕事の手を休めて料理人が顔をあげる。
浅黒い肌に短い亜麻色の髪、そして琥珀のような瞳の青年は、その容姿からするとこの国の人ではない。年齢はカイルと同じ二十代半ばのようで、カイルよりもさらに長身、かなり目つきが鋭い。料理人よりも戦士のほうが似合いそうな青年だ。
「聞いている。……よろしく頼む、ギュルセルだ」
短く名乗りながら、煮込んだ肉とパン、蒸した野菜をお盆に乗せる。皿からはゆげといい香りがしている。主たちの夕食が終わった遅い時間ということもあり、香りにつられてメリッサのおなかがグーっとなる。
「すみません……。ありがとうございます! いただきます」
厨房の簡素な丸椅子に腰を下ろして、メリッサはさっそくおいしそうな食事をいただこうとナイフとフォークを手にする。
「メリッサ、だったな。異国人が気にならないのか?」
食事を口に運ぶ直前、ギュルセルがそう声をかけた。
「あの……?」
「俺のような肌の人間は、よく怖がられる」
この国の人間は、金や淡い茶色の髪に白い肌の人間が多い。カイルのような黒髪やギュルセルのような褐色の肌の人間はたしかに少ない。
「私、田舎からあまり出たことがなくて。村の外にはいろいろな国の人がいて、見たことのないようなものがたくさんあって、なんにでも驚いてしまいます」
メリッサにとって、村の外にあるものすべてが目新しく、知らないものは少しだけ怖い。だから、ギュルセルを恐れる気持ちがまったくないかと言われると、そんなことはない。だが、もしこの国の人間で同じような体格の男性がいたとしたら、やっぱり少し近寄りがたいと思うはずだ。
「でも今は、それよりも空腹をなんとかしたい気持ちです!」
冗談まじりにメリッサがそう言えば、ギュルセルもつられて表情が優しくなる。
「そうか、邪魔して悪かったな」
ギュルセルの料理の腕前は相当なもので、メリッサの中に少しだけあった彼を恐れる気持ちは、すぐにどこかえ消えてしまう。
食事をしながらメリッサはあらためて屋敷の使用人の待遇のよさを実感していた。
海辺の街では魚のほうが比較的簡単に手に入るし、値段も手頃なのだ。だが、夕食は牛肉の煮込みだった。毎日というわけではないだろうが、比較的高価な牛肉を使った料理を使用人に食べさせるのだから、屋敷の主はけちではない。
(カイル様はちょっと偉そうだし意地悪なことを言うけれど、仕事に就けるように協力してくれるみたいだし、いい人なんだろうな)
地味眼鏡という不名誉な名前で呼ばれることは不満だが、カイルは親切なのだ。将来に絶望して身投げをしようとしていたというのはカイルの誤解だが、村から逃げ出して先の生活が不安だったことはたしかだ。
「ギュルセル、いるかしら?」
メリッサが食事を終えて食器洗いを手伝っていると厨房の扉の外から声がかかり、ちょこんと小さな陰が現れる。ゆるく巻かれた黒髪の美少女、マーガレットだった。
「なにか?」
「なにか、じゃないわ! 今日わざと野菜を大きく切ったでしょう?」
マーガレットが怒っているのは夕食で出された野菜の大きさのことのようだ。
「体調が悪いときは消化のよいものを、そうでないときは噛み応えのあるものを。そういう方針で用意しています」
「ふん。どうせお兄様の差し金でしょう? ギュルセルは私の言うことを聞いてよ」
「食べやすくしたつもりですが、私の料理が口に合いませんでしたか?」
「そ、そんなこと言ってないわ。おいしかったわよ……でも、もっと細かいほうが食べやすいし、その、お兄様じゃなくて私の言うことを、その……」
マーガレットは十五歳のはずだが、家からあまり出たことがないせいか、容姿も言動も幼い。大きな野菜は苦手だが、ギュルセルを悲しませないようにがんばって食べたということが丸わかりで、かわいらしかった。
「マギー様、顔が赤い。熱ですか?」
「そんなんじゃないわよ!」
「部屋まで送りましょう。メリッサ、少しの間任せていいか?」
「はい! 今日はまだ決まった仕事がないので」
もうすでに、ほとんどの食器が片づけられてある。清潔な寝床とあたたかい食事をもらったメリッサにとっては、今日からでも仕事をもらえるほうが嬉しい。
ギュルセルはマーガレットの手を優しく引き、扉の外へ消えていった。
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