陸の人魚は拾われる1



『いいかい、メリッサ。人間は強欲で残忍だ。決して心を許してはいけないよ。正体を知られたら、殺されて血肉を売られてしまうからね』



 陸にあがった三代目の人魚であるメリッサは、海の王国を知らない。彼女の祖母が元気だったころに教えてくれたのは、王国の美しさと人間という生き物の残酷さだ。


 今は亡き祖父母は、ほんの幼いころに王国の最後を見たのだという。人間たちが海の王国に攻め入ってきたとき、まだ子供だった祖父母は大人の人魚にかばわれながら、早々に王国を離れ、人間が住んでいない島に避難し、生きのびた。

 仕方なく人間にまぎれ、人間と一緒に暮らさなければならない現状をいつもなげいていた。


 祖母の話をよく聞かされて育ったメリッサだが、人になじみ、人に関わり暮らしている彼女には、すべての人間が残酷で悪い者だとは思えない。人間嫌いの祖母に比べて、三代目ともなれば次第に人間に対する嫌悪感は薄れていくものだ。

 それでもメリッサの正体が人魚であることが知られてしまったら、血肉を目当てに殺されてしまうという危機感はある。だから警戒をおこたることはしない。


 メリッサの仕事は薬師だ。まだ十八歳という年齢で、さびれた漁村にはもったいないほどの腕を持つ彼女だが、それには秘密がある。

 人魚の血肉には不思議な力が宿っているのだ。正しい製法で作られた薬にほんのわずか、人魚の血をたらせば、薬の効果を高めることができる。やり過ぎてしまうとあやしまれるので慎重に混ぜているが、つまりは“ずる”をしているのだった。

 これらは、彼女の祖父母の世代、最初に陸に上がった人魚たちが苦労しながらあみだした、生活の手段だった。最近ではだんだんと人魚同士のつながりは薄れ、その数も減っている。それでも優秀な薬師のうわさを集めることが仲間に会える近道になっている。


 自宅の一階にある作業場兼店舗で、メリッサは暇つぶしの本を読んでいた。高めのカウンターの前に脚の長い椅子を置き、ぷらぷらと足を揺らしながら本を読むのが彼女のくせだ。

 読んでいるのは冒険譚。人魚特有の事情であまり外に出ないメリッサにとっては、本だけが外の世界を教えてくれる大切な存在だった。

 カランカランと扉の鈴が鳴り、その音が彼女に来客を知らせる。


「いらっしゃいませ」


「こんにちは、メリッサ。痛み止めがほしいんだけど」


 おとずれたのはパメラという名前の少女だった。パメラは村の村長の孫娘で、メリッサにとっては数少ない同世代の友人でもある。


「痛み止め? 村長さんの腰痛?」


 一般的な薬局では、医師の処方箋(しょほうせん)がないと買えない薬と、処方箋なしでも買える薬の両方を取り扱っている。そして、パメラには何度か処方箋なしで買える痛み止めを売ったことがある。


「うん、時々ひどいらしいんだ。まったく、自分で買いにいけばいいのに!」


「腰が痛いのなら仕方がないでしょ? それに、村長さんに来られたら、なにを話していいかわからないから、私は嬉しいよ。暇だし」


 使いを頼まれて不満そうにほほを膨らませているパメラを、メリッサはなだめる。小さな漁村にある薬局としては高品質の薬を取り扱っているとはいえ、用もないのに薬を飲む者などいない。わりと暇なのだ。


「あ、そういえばおじさんたちはまだ戻らないの? 一人で大変ね」


「そうなの。お父さんもお兄ちゃんも出稼ぎと仕入れに行っちゃって」


 メリッサには父と兄がいる。村の住人に薬を売って得られる収入では家族三人暮らしていけず、薬の行商や仕入れで村を離れているのだと、近所の人間には説明している。その話の半分は本当で、半分は嘘だった。

 彼女の父は海に沈んだ「人魚の至宝」を探しに出かけているのだ。至宝を台座に戻せば、海の王国を守っていた空や大気がよみがえる。王国を取り戻すことが陸の人魚の悲願だった。


 そして兄は、行商をしながらほかの人魚を探している。

 人魚たちはいろいろな事情で横のつながりが薄れてしまったのだ。けれど、至宝の捜索にはほかの人魚の協力があったほうがいいし、できれば人魚同士で結婚をしたいという希望もあるのだろう。

 メリッサの父も、若い頃は兄と同じように旅をして、愛する者に出会ったのだという。それがもう故人となってしまった彼女の母だ。


 だから今、このオルシーポートという小さな漁村で、メリッサは一人で家族の留守を守り、店を切り盛りしている。

 カウンターの裏にある、薬の入ったつぼから一つ一つ紙で包まれた鎮痛剤を取り出し、袋につめる。


「前にも説明したけど、飲むなら食後に一日三回までよ」


「わかっているわ。……ていうか、メリッサ! 誰も注意しないからって前髪長すぎじゃない?」


「そう? ……ちゃんと見えるけど」


 パメラが注意をするメリッサの前髪は、たしかに長い。小さめの顔に似合わない大きな黒縁眼鏡をしているメリッサだが、その眼鏡の半分くらいが栗色のふわふわな髪で隠れているのだ。


「そう? じゃないわ! 見えるか見えないかが基準じゃないのよ。かわいいか、かわいくないかを基準にするべきよ! メリッサもおしゃれをすれば? 絶対美人なはずなのに、もったいない」


「そういうの、興味ないのよね」


 メリッサが眼鏡をしているのも前髪を長くしているのも人魚の特徴を隠すためだが、そんなことは知らないパメラはいつもお節介をしてくる。

「ほら、せめてリボンだけでもかわいいのにしなさいよ」


 そう言って、パメラが取り出したのは真っ白なレースのリボンだ。


「これね。親戚のおじさんからもらったんだけど、私の趣味じゃないのよね。メリッサは意外とかわいいものが好きでしょ? あげるわ」


 パメラは問答無用でカウンター越しからメリッサにうしろを向かせて、組ひもで結んだだけの髪をほどいてしまう。そして手ぐしで器用に三つ編みにしてレースのリボンをつける。


「ほら! こっちのほうがかわいいし、本を読むときも邪魔にならないでしょ?」


「うん……、ありがとう」


 着飾ることに全く興味がない、というわけではない。おしゃれをするよりも本を読んでいるほうが好き、というのはたしかだが、本当は眼鏡もしたくないし、前髪も切ってしまいたい。かわいい服を着てみたいという願望はもちろんある。

 リボンのついた毛先をもてあそびながら頬を赤らめて礼を言うと、パメラも満足そうに何度もうなずく。


「じゃあ、薬ありがとね! 前髪はちゃんと切るのよ」


 そう念をおしてから、彼女は店を出ていく。一人になったメリッサは店の奥にある姿見に自分の姿を映してみる。

 すぐに広がってしまう栗色の髪は、丁寧に編まれてすっきりとしている。毛先のほうにつけられたリボンはかわいらしく、地味なワンピースには浮いてしまうだろうか。

 メリッサは大きめの黒縁眼鏡をはずし、長い前髪を横にはらってみる。眼鏡に隠されていたのは目じりが少し垂れた大きなはしばみ色の瞳だ。地味な色だが、パメラが指摘するように、髪を整え着飾れば彼女は村で一番の美少女になるだろう。


「海の王国だったら、こそこそしないで暮らせるのかな?」


 父や大人の人魚たちが懸命に探しているのは「人魚の至宝」だ。それが見つかれば、人魚たちは再び、海の王国で安全に暮らせる。陸にあがった三代目の人魚であるメリッサは、陸の生活にすっかりなじみ、パメラのような友人もいる。

 海の王国には憧れるが、メリッサにとっては陸こそが生まれ育った故郷である。

 いつかパメラに自分の正体をうち明けたいと望んでいるが、人魚であると知られたらどうなるか、想像できないほど子供でもない。親しい友人に隠しごとをしていることにうしろめたさを感じながら、鏡に映るいつわりだらけの自身の姿から視線をそらした。


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