第13話「燻った香り」
13話「燻った香り」
「ふぅー……気持ちいいなぁー。」
夕映は、何故か斎の実家のお風呂に浸かっていた。
来客用の風呂場らしいが、とても大きくて綺麗だった。小さな温泉のような環境を独り占め出来るので、ここのお風呂は夕映のお気に入りだった。
本当ならばシャワーで済ませる予定だったが、九条家の使用人である神楽がお風呂を準備してくれていたのだ。
夕映がお風呂好きだという事を覚えていてくれたようだった。しかも、しっかりとバラの香りがするお風呂になっていた。こういう配慮が出来るのが一流の使用人なのだろうなと思ってしまう。
神楽に感謝をしつつ、気持ちよくお湯に浸かっていた。
肩までしっかりとお湯に浸かりながら、考えるのはもちろん斎の事。
彼はまっすぐ自分の気持ちを伝えてくれる。彼が忙しいのはわかっていたけれど、それでも彼なりに時間を作って会いに来てくれる。そして、自分の気持ちのままに、「恋人」になって欲しいと伝えてくれるのだ。
彼の素直な気持ちに答えなければいけない。
それが、「はい。」でも、「ごめんなさい。」であっても。
その答えを決めるためには、彼に聞かなければいけない事がある。
「逃げないで、ちゃんと話を聞かないと………。」
夕映は湯船から立ち上がり、お風呂場から出た。いつまでも、彼の優しさに甘えてぬくぬくしていてはだめなのだ。
次に彼に会ったら、ちゃんと話しをしよう。そう決めて、脱衣場で着替えをしていた。
ふわふわのタオルはとてもいい香りがして、ただ体を拭いているだけなのに、鼻唄を歌ってしまいそうなぐらいに、心地のいい気分にさせてくれた。
すると、廊下で微かに足音が聞こえた。
誰かが此方に向かってくるのだろうか。けれど、この風呂場には夕映がいると知っているだろう。大丈夫だとわかっていても、何故か嫌な予感がした。
案の定、風呂場の前でその足音が止まった。
夕映は、驚きその場に固まってしまった。急な事があると、何が最善な対応なのかわからなくなってしまうものだな、と何故が頭では第三者のような考えが浮かんでいた。
そして、ガチャと豪華なドアノブが動き、ドアがゆっくりと開いた。
「あっ………あの、神楽さんっ!まだ、私入ってますっっ!」
夕映は顔を真っ赤にさせながらそう良いながら、ドアの先を見つめた。
すると、ドアから姿を表したのは小柄な神楽ではなく、長身の男だった。
「い、斎………。」
「何だよ。もう上がってきたのか。てか、何で俺を神楽と間違えてんだ。」
「な、なっ………。」
驚いている夕映をよそに、斎が脱衣所にズカズカと入ってくる。夕映は、あまりの事に声も出せずに、目を大きくしたまま彼を見ることしか出来なかった。
「いつもなら、風呂入ってるの長いだろ?なんで………って、おまえ何やってんだよ。」
「な、何やってるじゃないでしょ!?なんで人が着替えてる所に入ってきてるの?」
やっと抗議の声を上げた夕映だったが、それの言葉を聞いても斎は脱衣場から出るどころか、顔をニヤつかせるだけだった。
「なんだよ……おまえ、もしかして恥ずかしがってっんのか?」
「違うわよ。あなたのデリカシーのなさに驚いてるのっ!」
「………俺はおまえの事好きだから、一緒に風呂に入りたかっただけだ。」
「付き合ってないでしょ?好きなだけで、お風呂に一緒に入るはずないじゃない。」
会話を交わしながらも、彼はゆっくりと夕映の元に近づいてくる。
ほぼ全裸だった夕映は、なんとか大判のタオルで前を隠すしか出来ていない。夕映はあたふたしているうちに、目の前に斎が立った。
そして、くくくっと得意気に笑うとゆっくりと顔を近づけてくる。
「おまえ、緊張してんの?」
「……それは………こっちは裸なんだから、当たり前じゃない。」
「ふーん。……じゃあ、俺も脱げばいいのか?」
「違っ……!」
反論しようとするが、斎の顔が耳元に寄り、低音の色っぽい声で囁いたのだ。
「昔は2人で風呂入ってただろ?しかも、おまえから誘ってきたじゃないか。」
「そ、それは………。」
「今日は誘ってくれないのか?」
「そんな事………っっ!ぁっ………!」
斎は、そういうと何故か首元をペロリと舐めたのだ。夕映は、ビクリッと体が揺らした後に体の力が抜けていくのを感じた。
斎に触られるといつもそうだった。
昔も、そして最近も。
「今でも首が弱いんだな……、夕映。」
「や………。」
「やめて?やだ?言わなきゃわかんないね。」
嘲るように笑うと、力が抜けた夕映の体を支えるように抱きしめながら、斎は夕映の唇にキスをした。
「………っ……やめっ、いつき……。」
「………おまえも頑固だな。素直になれよ。」
キスとキスの間に斎が言葉を洩らした。
それが出来ないのは、あなたのせいなのに。そんな事を思いながら、彼からの甘い誘惑を感じることしか出来なかった。
どうして、自分の体はこんなにも彼を求めてしまうのだろうか。
他の男の人ならば、きっと体を思いきり押して逃げているはずなのに。今は肝心の体が言う事を聞かないのだ。
甘くて深いキスがしばらく続いた後。
これだけは手放してはいけないと必死に掴んでいたタオル。
それを掴みながら、夕映は潤んでしまっている瞳で彼を強く視線で見つめた。
「…………斎のバカ。」
「そんな顔で言われても、な。おまえも一緒に風呂に入り直すか?体冷えてたぞ。」
「………入るはずない。」
「じゃあ、俺の部屋で待ってろ。帰りは送る。」
「…………。」
夕映は彼から視線を外すと、彼はさっさと服を脱いで風呂場に行ってしまった。
斎が向かった先を少し見つめた後、夕映はすぐに服に着替えてその場から離れた。
体はお風呂上がりとは思えないほど冷えきっていたはずなのに、体の中は熱くて仕方がなかった。
彼の部屋に入ると、そこは以前恋人の時に来てた時とほとんど変わっていなかった。彼は大学を卒業後に独り暮らしを始めたはずなので、ここはそのときから時が止まっているのだろう。
彼の懐かしい香りもほとんどしなかった。
大きなベットに、殺風景なテーブルと椅子、そして本棚。かなりの本の数だったけれど、彼が持っている本はそれだけではないと知っていた。その部屋にあるのは、経営学などの本ばかりで、夕映の馴染みのないものばかりなのだ。
この部屋には入ってきたドアの他に、もう2つドアがあった。1つは、ベランダに続くもの。もう1つは、部屋の奥にひっそりとあるのだ。
夕映はそのドアをゆっくりと開けて中にはいった。窓が1つしかないその部屋は薄暗い。入った瞬間に感じるのは、図書館のような燻った匂いがする。
それもそのはずで窓以外の壁には大きな本棚で占められており、本が並んでいたのだ。天井までびっしりと並んだ本は、すべてが斎が持っている本だった。そこには、彼が好きなファンタジーものやミステリーなどが並んでいた。和書から洋書、そして絵本などさまざまなジャンヌが並んでいる。
夕映はこの部屋が大好きで、よくここにこもって本を読んでいた。
部屋には窓、本棚、木製の脚立の他に、部屋の中央には大きめの皮のソファが置いてあった。そこに2人で座って本を読んでいた日々が多かった。夕映はここの本を、彼は仕事をしている事が多かったけれど、一緒に過ごせる時間、そして触れあう肩越しに感じる彼の熱が心地よかった。
夕映が本を閉じて、少し休憩をしようとすると、彼はいつも「どうした?」と聞いて、そして優しくキスをしてくれた。それが嬉しくて、本を読んでは閉じる、読んでは閉じる……そんな事をして斎を困らせた事もあった。それでも彼は「して欲しいならしてって言えばいいだろ。」と言いながらも、優しく口付けをしてくれた。
そんな懐かしくて甘い記憶を思い浮かべながら、夕映は本棚から1つの本を取ってソファに座った。子ども向けのファンタジー系の物語の本で、夕映も子どもの頃によく読んでいたものだった。
ふかふかのソファに座り、表紙を眺めた。
大きな竜と小さな男の子が見つめあっている、そんな素敵な絵だった。
「…………斎に聞いてみよう。」
そう呟き、夕映はその本を抱き締めて目を閉じた。
そして、彼がこの部屋に来るのを待ち続けていた。
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