第8話「好きになるには」
8話「好きになるには」
彼の声だけが耳から入ってくる。
懐かしくも少し大人になった斎の声。
その声が夕映の体を巡って、感情が溢れてきそうになった。
けれど、その気持ちが何なのか。
夕映は気づかない振りをするしかなかった。
「そんな再会したばかりなのに、そんな事言われても……。」
「再会したばっかりじゃないだろ。気持ちを伝えてから少し時間空いたんだから、考える時間あっただろ?」
「………それは。」
「それに悩むってことは、俺と付き合いたいって思いもあるって事だよな?」
「あ………っ………。」
また、彼の顔が近づいてくる。
今度は、啄むように小さなキスを何回か繰り返された。
彼の行動に翻弄されながら、夕映は斎の言葉を思い返していた。
キスをされても本気で逃げなかったり、彼の手を振りはらったり、そして告白の返事を濁したり……そんな事を夕映は繰り返していた。
その理由は、彼が言った通りだ。
夕映は彼にまた惹かれているのだろう。
けれど、快く承諾の返事が出来ないのは理由があった。
それはやはり過去の出来事が原因だった。
夕映は、その事を思い出してはキスをしてくる彼を思いきり押して、斎から体を離した。
「遊びなら止めて。」
「なんだよ、それ。遊びじゃないって言ってるだろ。」
「わかんないよ、そんなの……。切ってきた女の子は遊びで、私は違うなんて、わかるなずないよ。」
「遊びじゃない。俺が女に告白したのはおまえだけだ。」
「え…………。」
夕映は驚いた顔で、彼を見つめてしまう。
いつもならば、にやりとした笑みを見せる彼だが、目の前の彼はとても真剣な表情だった。まっすぐに見つめる彼の綺麗な瞳に、夕映は吸い込まれそうになってしまう。
「そ、それって……。」
「言葉のままだ。俺が今まで女に告白したのは、昔と今の2回だけ。……おまえしかいない。」
「そんな、だって。……斎は、いつも女の人が周りにいたじゃない。」
「それは誤解だと思うけどな……まぁ、相手から告白される方が多いんだ。」
「そういう事、なの?」
「あぁ。」
堂々と返事をする彼から、やっと視線を逸らして、車の外を見た。
平日の昼間とあり、ほとんど人が通らない。
ホッとしながらも、先程の行為や今の彼の言葉を思い出しては更に鼓動が早くなってしまう。
すると、不意に彼の手が夕映の顔に触れ、輪郭をなぞるように指先が流れていく。
そして、片手で頬を包むように触れると、ゆっくりと顔を正面に戻されてしまう。
くすぐったくも、温かくて気持ちいいと感じながら、それを拒否せずに従う。
「じゃあ、返事は?」
「………。」
「俺の恋人になる?」
「…………確かに、あなたにまた惹かれ始めているような気がする。だから、この手を拒否できないの。でも、まだ斎を「好き」って思えない。……だがら、返事は出来ないわ。」
「なんだよ、それ………。」
「ごめんなさい。」
「………わかった。」
そう言うと、彼は夕映から手を離して、シートベルトをしめてからハンドルを握った。
「……おまえんち、どこなんだ?」
「えっと……ジムの近く。」
「わかった。そこまで行くから、あとは道教えろよ。」
ぶっきらぼうにそう言うと、彼はゆっくりと車を動かした。
まっすぐ前を見て、それからは1度も夕映を見ることはなかった。
諦めてくれたんだ。
もう、彼が付きまとってくる事もなくなる。
自分が告白を断ったのだし、好きにはなってないと言ったのだ。
これで終わりになる。
よかったはずなのだ。
それなのに、心はざわめいていた。
彼との時間はこれで終わってしまう。
これが最後になってしまうのだろう。そう思うと、寂しくて切ない気持ちに襲われた。
好きじゃないとしても、彼といる時間は好きだった。もっと一緒に居たい。そう思わせるほどに楽しかった。
でもここで、「友達として付き合って。」とは言えない。彼は、自分に好意を持ってくれているのだ。それなのに、付き合わないけど傍に居て欲しいなど、残酷すぎるだろう。
彼を引き留めたいけれど、その方法がわからずに夕映の自宅に向かう道をただ無言で過ごすしかなかった。
道を案内し、すぐに夕映の住むマンションに到着した。
お礼を言って、すぐに車から降りなければ。そう思うのに、体が動かない。
「ここだろ?着いたぞ。」
「うん……その、送ってくれてありがとう、斎。」
「あぁ……。」
しばしの静寂。
彼とこんなに近くで話せるのは最後になるのだろうか。そんな事を思い、最後に彼の顔を見よう。悲しくならないように。
そう思い、ゆっくりと顔を上げる。
すると、彼の視線が合ってしまう。
彼はとても切ない顔をしており、一瞬見ただけで、夕映は涙が込み上げてきてしまう。
「ご、ごめんなさい。じゃあ……。」
そう言って、車のドアノブを掴むと、後ろから斎にすっぽりと抱きしめられてしまう。
肩と首に彼の吐息と髪が触れ、くすぐったくなる。斎に触れられている所全てが、熱くなってくる。
「おまえ、それはずるいだろ。」
「え………。」
彼が小さい声で何かを言ったが、夕映はそこ声はうまく聞き取れなかった。
「……また、おまえに好きって言わせてやる。恋人同士だった時にみたいに、毎日「斎が好き。」って言わせてやるよ。」
「なっ………。」
「おまえに恋人になってもらうのに、デートに誘うのはいいんだよな。遊びじゃない。」
「そ、そうだけど。」
「じゃあ、これからも誘う。」
「…………うん。」
「今、ここで家に入れて貰えば、すぐにおまえは俺を好きって言うだろうな。………ベットでは素直になるもんな?」
「………っっ!!」
最後の言葉を、耳元で色っぽい声のまま囁かれ、夕映は体が震えてしまう。
夕映は、彼の腕から逃げるように車のドアを開けて外に出た。
「絶対に家になんか誘わないわ。」
「………それは残念。」
真っ赤になっているだろう夕映の顔を見て、斎はクククッと笑った。
「じゃあ、また誘うからな。」
「………私が行くかはわからないわよ。」
「おまえは来るだろ。」
「………知らないっ!」
夕映は、バンッと車のドアを閉める。
すると、斎は片手を上げてから、ゆっくりと車を走らせて去っていった。
夕映は彼の事を見送る事なく、カツカツとマンションの中へと入っていった。
夕映の頬に、我慢していた涙が一筋だけ流れた。
彼の切ない表情と、いつもの得意気な顔。
斎は、今どんな顔をしているのだろうか。そう思いながら、夕映は赤くなった頬を両手で包んだのだった。
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