>Ⅲ


 翌日。

 昨夜上司の山南やまなみさんからも連絡のあった通りに新宿に直行した。

 道中、同僚の中塚なかつか祐巳ゆみに、客先に直行な上昼をまたぐために、今日のランチは一緒にできない旨を連絡する。すぐに返事が来て、了承の旨。帰社したら会おうと添えられていた。それはもちろん。

 あたしと山南さんは時間通りに集合でき、そのまま取引先に向かう。

 あたしは初めての訪問になるその通信会社は、新宿駅の南、やや代々木寄りに位置していた。

「わざわざお越しいただいてすみません。お迎えにあがりました」

 一階の受付まで出迎えにきてくれたのは、ぴっしりとしたスーツを決めた、恐らくは年上であろう男性だった。

「宣伝広告部門の幾原いくはらと申します。わざわざご足労いただきましてありがとうございます。ご挨拶は、後ほどまた改めて。まずはご案内いたしますね」

 そう言って、首から下げる関係者パスを受け取り、エレベータに三人で乗り込む。山南さんもこの人は初対面らしく、そんな会話が成されていた。あたしはどう入っていいのか考えあぐねているうちに、目的階に到着する。

 幾原と名乗ったその人に案内されて、プロジェクターやホワイトボードの揃った、広いテーブルのあるミーティングルームに通された。

 幾原と名乗ったその人が一旦退出してはすぐに上司らしき人を2名連れてきて、名刺交換の後、こちらからのプレゼンという形で打ち合わせが始まる。

 基本的にはあたしが広告イメージや展開スケジュール、使用媒体なんかのもろもろ説明して、大枠のフォローを山南さんがする形だ。

 おそらくは複数社が競合しているプレゼンのため、その場で結論が出るものではないので、あたしたちはとりあえずその場の感触を得るに留まり、特に問題もなくプレゼンは1時間半ほどで終了した。

 営業よろしくちょっとした雑談と、広げに広げまくった資料の後始末にもう少し時間がかかって、そのフロアのエレベーター前で挨拶をして解散となった。

賀喜かきちゃん、会社戻る前に昼休み取っちゃってね。多分戻ったら色々捕まると思うから」

「はい。山南さんはどうするんですか?」

「俺はこの後もう一件客先の打ち合わせがあるから行っちゃってから昼行くわ。帰社は…そうだなぁ17時くらいかな?あ、16時にしてきちゃったた。戻ったら一応山南の帰社17時にしといて。クラウド」

「はい。わかりました。あ、じゃあ今使った資料だけでも持って帰りますよ」

「え、いい?助かる。すまんね」

「いえいえ」

 どうせこの後は使わないのだろうし、戻ったら整理しておこうと思った。

 先方のビルを出ると、どうやら山南さんの想定よりも時間がかかってしまったらしく、足早に駅に向かっていった。大変だなあ、と思いながらその後ろ姿を見送って、スマホを取り出す。せっかく滅多にこない新宿に来たから、この辺りで軽くランチしてから戻ろうと思ったのだ。

 お店を検索する前に、会社に自分と山南さんの帰社時間を告げる。こちらは14時半にしておいた。

 上長に了承を得たので、電話を切って、そろそろご飯どころの検索に移ろうとした時。

「あれ?賀喜さん?」

 不意に、背後から声をかけられた。この辺りには知り合いはいないはずと思ったが、そんなはずはなかった。

「あ、幾原さん。先ほどはありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。結構リアルに、上の評判いいですよ」

「本当ですか!?よかった」

 社交辞令だとしても、本気っぽく対応しておく。こういうのが万一の起死回生につながる場合もあるのが営業ってやつらしい。聞いた話だけど。

「ところで、賀喜さんはこんなところでどうしたんですか?」

「あ、お昼済ませてから帰社しようと思いまして、ちょっと調べてました」

 ここで働いているのなら、どこか美味しいランチを知っていないかと思って、わざと詳細に説明してみる。我ながらバカな女である。

「そうなんですか。…もしよかったら」

「はい?」

「もしよかったら、個人的に好きなところがあるので、お連れしましょうか?」

 この一言だ。仕事に戻るという予防線がある以上、これが、欲しかった。

「いいんですか?幾原さんも、お昼休みなんです?」

「そうですよ。こちらは構いませんけど…」

「では、お言葉に甘えて。あたし新宿詳しくなくて」

「じゃあ、ご紹介しますよ。行きましょう」

「はい」

 あとあと考えれば。

 ここで、あたしはお気に入りのシャツのボタンをかけ間違えたのかもしれなかった。

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