14.食事

「本当に、良かった。あのままだったら僕、路頭に迷って道端で死んじゃってたかもしれないよ」

 両手で胸の前に荷物を抱えた苑司が早足で哭士の歩幅に合わせて歩いている。声の調子は安心しきっていた。

 苑司が早池峰家に滞在を許された翌日である。

 苑司は哭士の祖父からお金を借り、アルバイトで少しずつ返済するという約束のもと、生活に必要な物を買いに出かける事になった。何故か哭士もそれに同伴している。

 昼間であれば、影鬼は襲ってこない。だが、菊塵からは念のため、と哭士を苑司の護衛兼、荷物持ちに任命し、こうして帰路についている。

「あの、重くない?」

 両手に大きな荷物を持っている哭士に、苑司は遠慮がちに問う。

 布団が詰め込まれている大きな荷物を、哭士は片手で軽々と運び、もう片方の手も重そうな紙袋をぶら下げている。

「あぁ」

 哭士は短く答える。

「あ、うん。どうも、ありがとう」

 買い物をしているときからそうであったが、長く会話が続かない哭士に、苑司は少し困っているようだった。

 哭士は時折、視線を周囲に配りながら、ずんずんと歩みを進めていた。




 程なくして、二人は早池峰家に帰宅した。


 哭士はいつものように靴を脱ぎ、さっさと家に上がってしまうが、苑司は重厚な玄関のつくりに遠慮をしながら、玄関の隅にスニーカーを揃え、そろそろと廊下に上がった。






「あ、早池峰、お帰りー」

 居間に足を踏み入れ、一番に掛けられた言葉に、哭士は立ち止まる。

 眉間に深い皺を寄せた哭士の視線の先には、大きな飯台に足をつっこみ、大型テレビの前で頬杖をついて寝そべっている金髪の狗鬼が一人。頬杖をついて居る肘の下には二つに折られた座布団まである。完全に寛いでいる状態だった。ちらりと哭士に視線を寄越したものの、テレビの笑い声にあわせ、その狗鬼は遠慮の無い笑い声を上げる。

「……」

 対照的なこの二人の狗鬼。あからさまに苛立っている哭士に対し、この男、ユーリはそんな哭士の様子を気にする気配はまったく無かった。

「……外国の人?」

 哭士の後ろから、苑司が顔を出し、小声で哭士に問う。


「んにゃ、俺は混血児ハーフね。一応いちおー国籍は日本人よ、コレでも」

 何も答えない哭士に代わり、苑司に視線をよこしながら答える金髪の狗鬼。

「……何故、お前が居る」

 哭士の声はいつにも増して低い。先日争ったばかりの人物である。それに加え、部外者が自宅内をうろつく事をあまり良しとしない哭士は、この男、ユーリ・ヴァルナーに対しても同じ感情を抱いた。

「ここのオバチャンの飯、美味いんだもん。オマエが居ない間も、何回かご馳走になったぜ」

 ユーリの言葉に、哭士の眉間の皺が更に深くなる。

 不機嫌さを隠しもしない哭士の表情に、一番狼狽えているのは、状況が飲み込めていない苑司だった。



 と、そこへ大鍋を抱えたマキが台所から現れる。哭士の不機嫌そうな表情には慣れているのか、気にする様子もなく大きな声を張り上げた。

「あら! 哭士さん、苑司さんお帰りなさい! ご飯出来てますけど、召し上がります? もう寒くなってきましたから、温かいものでも」

 哭士はマキの問いに答えず、ユーリを睨み付けている。


「流石オバチャン! 俺、魚も好きなんだよね。豚汁もあるの? 気が利くなぁ」

 マキが運んできた料理にユーリは歓声を上げ、卓につく。哭士の鋭い目線に気づき、ユーリは屈託の無い笑みを浮かべ、哭士を見上げた。

「あぁ、一応ね、修造さんから許可もらってんの。俺もう、保守派の手下じゃないしさ、俺が持ってる情報提供するって言ったら、この家、出入りしてもいいって」

「……」

 すっかり早池峰家に馴染み、祖父の許可までちゃっかりともらっている人物に、哭士の方が折れて出るしかないようだった。哭士は深くため息を吐き出した。




 いつものように出される食事に、哭士は黙々と箸を進める。斜め向かいにかけているユーリも、食べる時だけは大人しくなるようで、忙しなく箸でつまんでは口に運んでいる。つけられたままのテレビの音だけが騒がしい。

 と、傍らで箸を持ったまま固まっている苑司が目に留まった。


「なあ、お前、食わないの?」

 哭士の様子を見て感づいたのか、ユーリが苑司に声をかける。ハッと苑司は我に返ったようになる。

「いや……お茶碗が丼なのはどうしてなのかなって……」

 苑司の目の前には大きな丼が一つ。大量の白米が盛られている。

 苑司の言葉に、丁度大皿に盛られたおかずを運んできたマキは笑いながら両手で小さな輪を作る。

「色把さんはこーんな小っちゃい茶碗でお召し上がりになりますけど。若い男の方って、普通これくらい食べるんじゃないんですか? 哭士さん、いっつもこれで軽く三杯はいきますよねぇ。ユーリさんもお代わりなさるでしょ?」

 と言っているマキに、無言で哭士は空になった丼をマキに差し出す。

 慣れた手つきでまたもや大盛りに白米をよそい哭士に渡す。

「こっ……! こんなに無理ですよ!」

 マキは「あらあら」と笑いながら、白米をよそいなおし、横でユーリは「食べないと大きくなれないぞ」と茶々を入れては笑っている。

 程なくして平均的な分量のご飯が苑司の前に置かれた。「次は色把さんと同じお茶碗かしら」などと笑いながらマキは台所に消えていった。

「これが普通なのに……」

 まだ信じられない様子で哭士とユーリの手元を見る苑司に対し、ユーリが口を開く。

「狗鬼は燃費、悪いよー。食える時にひたすら食っとくからね」

 怪しい持ち方の箸で苑司を指しながらユーリは笑う。

「コーキ?」

 苑司はユーリの言葉に首をかしげる。苑司には、狗鬼、籠女の存在は語られていない。

「ユーリ、それ以上言うな」

 哭士の言葉がぴしゃりとユーリを打つ。当のユーリも、哭士の言葉と苑司の反応に「あぁ」と納得した様子を見せ、その後は何も語らずに箸を進めだした。苑司だけが不思議そうな顔をしながら、大きな丼に小さく盛られ直した飯を口に運び始めたのだった。



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