15.訪問者

「すいません、回覧板をお隣に届けてきますね」

 台所から丸い顔をのぞかせたマキは、手に持った板をひらひらと振ると、食事を囲んでいる三人の若者たちに声をかけ、そのまま台所の奥に消えていった。ドタドタと重い足音が遠ざかっていく。




「なぁ、早池峰」

 ユーリが哭士に声をかける。哭士は僅かにユーリの言葉に反応を見せる。

「お前の籠女は? 一緒に居ないのか?」

 ユーリは周囲をきょろきょろと見渡し、色把を探しているようだ。

「色把は俺のものじゃない」

 一言、そう答えると、またもや箸を進め、黙々と目の前の食事を食べ進める哭士。

「あぁ、そういやそうだっけ。んじゃ、なんで契約もしていない籠女と一緒に住んでんのさ? キクは教えてくれないし、聞きたくてしょうがなかったんだよね」

「……」

 答えない哭士に対し、ユーリは「なぁ」「おい」と声を掛けていたが、何も語ろうとしない哭士に、ユーリは肩をすくめあきらめた様子を見せた。




 と、その時であった。玄関の方から、呼び鈴の音が三人の耳に飛び込んできた。

 席を立つものはいない。




 一度、二度。呼び鈴は、居間に鳴り響く。

「そういえば……家政婦さん、回覧板届けに行っているんだね」

 苑司が誰ともなしに口にする。

「……」

 唯一の家人である哭士は、仕方なしに立ち上がり、玄関へと向かった。





 格子に磨り硝子がはまっている戸を横に開くと、客人が一人、玄関の前に立っていた。

 華奢な体つきで女性にしては背が高い。深く帽子をかぶっている為、哭士からは、小さな口元しか見ることは出来なかった。

「龍は、いる?」

 小さな声、だがその声はしっとりとし、強い意志を持っているように感じられた。

「……龍」

 どこかで、聞いたことがある名前だ。

「ユーリを迎えに来ました。ここに居るはず」

 そう言われて、ようやく哭士は、現在我が家に蔓延っている金髪の狗鬼の顔を思い浮かべる。彼の日本名が「朱崎 龍」だった、と思い出した。

「こっちだ」

 さっさとユーリを連れ出してもらいたかった哭士は、客人を家の中に通す。

 長い廊下を進み、食事をしていた居間までたどり着く。



「……ユーリは、どこに行った」

 居間に残っていたのは苑司一人だった。

「本当についさっき、あわてた様子で部屋の奥に行っちゃった。どうしたんだろう?」

 困った様子で、哭士と客人を見上げている。苑司の指は、台所を指している。

「逃げた」

 ポツリと客人が漏らす。

「奥に、行ってもいい?」

 苑司が指した方を見、客人は哭士を見上げる。哭士は軽く何度か頷き、許可する旨を伝えた。





 客人は迷い無く台所を突っ切り、さらに廊下を進む。哭士は客人の後をついて歩く。何故か苑司も哭士の後を付いてきている。


 やがて客人は一つの襖の前にたどり着くと、勢いよく襖を横に引く。

「げぇっ!」

 悪戯が見つかった子供のように、大きな声を上げたのはユーリだった。

「あ……アキ……!」

 和室に身を潜めていたユーリは、引きつった顔で客人の名を呼び、狼狽える。

「今まで何をしていたの」

 アキと呼ばれた客人の言葉尻は冷たい。腰に手を当てて、座り込んでいるユーリを見下ろしている。視線を向けられている当の本人の表情は引きつっていた。

「いや、これは話せば長く……」

「来て」

「ハイ」

 先ほどまでの自由奔放さはどこへやら、明らかに年下のアキにユーリは静かに従っている。

「うちの龍がお邪魔しました。もう連れて帰るから」

 哭士を見上げ、帽子を外した。ショートカットの、冷たい印象が残る瞳の少女だった。



「あ、あ、あ……」

 少女の顔をみた苑司が口を開いたまま、声を洩らし、アキを指さしている。

「……どうした」

 苑司の反応に哭士が問う。暫く呆然とした表情をしていたが、哭士の質問に我に返ったらしい。

「や……柳瀬 アキさん!?」

 目を丸くしながら、苑司は哭士に訴える。

「……知り合いか」

 静かに驚き、アキを見下ろす哭士の表情に、苑司は驚愕の表情を浮かべる。

「とっ……とんでもない! 有名人だよ! テレビとか雑誌とかですごく見る!」

 必死な苑司に対し、あくまでも哭士は淡白だ。苑司が言うには、本業はモデル、らしい。まったく興味が無かった哭士は苑司に対し『そうか』という返答で留めておく。

 そんな二人を余所に、当のアキとそれに引き連れられているユーリは二人の前を通り過ぎ、玄関へと向かう。

「それでは、失礼します」

 まだ驚いている苑司を置いて、哭士も居間に戻りがてら、二人の後に続いた。

 渋い顔をしてアキの後ろをついて歩くユーリは、先ほどの五月蝿さからは考えられないほど大人しい。







 と、廊下の先の玄関から、引き戸が開く音がする。哭士はその音を発した主が菊塵であると察する。菊塵の気配は玄関に上がり、こちらに向かって進んで来る。

 菊塵が自宅に上がってくるのは何時もの事である為、特に哭士はそれ以上気に留めることは無かった。


 だが、突如、先を歩いていたアキが息をのんで立ち止まる。何事かと哭士はアキに視線を寄こす。

「オイ、アキ。どうしたんだよ?」

 ユーリもアキの様子に気づいたらしい。不思議そうにアキの顔を覗き込む。アキは微動だにせず、近づいてくる菊塵を見つめている。スーツを身にまとったメガネの青年も、廊下を歩く団体に気づいたらしく、哭士らに視線を寄越しながら足取りが緩まる。

 ふと哭士はアキが何かを握りしめる様子に気づいた。


 今まで静かに言葉を発していたアキが、突如鋭い声を上げる。

「龍! 菊塵あいつを始末して!」

「なっ、んだと!?」

 驚きの声を上げたのはユーリである。アキが握りしめていたのはユーリの狗石だったらしい。

 抗う暇もなく、ユーリは瞬時に跳び上がり、菊塵へと躍りかかる。狗石の命令では、自分の抑制がきかない。

「キクッ……! 避けろっ!」

 だが、当の菊塵は一瞬目を大きくしたがその場を動かない。



「がァッ!」

 次の瞬間、弾かれたように吹き飛んだのは飛びかかっていったユーリの方だった。

 ユーリの体は漆喰の壁に、激しい音を立てて叩きつけられた。

 漆喰の壁には深いヒビが走り、木片と、ほこりが周囲に舞っている。



「何!? 何が起こったの!?」

 一人、何も知らない苑司だけが哭士に追いつき大声を上げる。状況の説明をしてくれないかと、哭士に視線を向けたようだが、当の哭士はアキの引きつった横顔をじっと睨み付けているのみだった。






「……いきなり、石で狗鬼を差し向けるとは、穏やかではないですね」

 菊塵は、跳びかかってきたユーリを自身の能力ではじき返したらしい。涼しい顔をして、菊塵はアキに向きなおる。アキは菊塵を睨んだままだ。

「痛ってて……」

 壁にめり込んだ体を持ち上げ、ユーリが起き上がる。金髪にはうっすらと埃がかかっている。

「テメェ! アキ! いきなり何すんだ!」

 ユーリが訴えかけるが、アキは微動だにしない。

「アキ……!」

 ユーリが呼んだ「アキ」の名に、菊塵の表情がわずかに険しくなる。



 アキは菊塵に一歩近づく。

「お姉ちゃんを、返して」

 静かに、だが真っ直ぐ放たれた言葉に、菊塵の頬が痙攣する。その横を、アキは足早にすり抜けていった。

「アキ、待てって!」

 申し訳なさそうな表情を浮かべ、両手を二人に合わせた後、ユーリもアキの後を追って去って行った。

 複雑な表情を浮かべている菊塵、哭士は黙ってその様子を見守る。


「……今の、一体何?」

 一人状況を呑み込めない苑司が、静まり返った空間で呟いた。



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