30.本家の客間

 やけに背の小さな従者に引き連れられ、現在哭士は本家の廊下を歩いている。

 カナエに本家の狗鬼になれと命令され、結局その令に抗えぬまま、当主の部屋を出されてしまった。狗石を使われた命令では、哭士はどうしようもなかった。

 当主の部屋から解せない様子で出てきた哭士に、慌てた様子で走り寄って来、部屋まで案内すると言ってきたのが、今、目の前を歩いている従者だった。




「おい」

 哭士の低い声に、背の小さな従者は、一瞬体をびくつかせる。

「ハ……ハイ! 何でしょう!?」

 声が裏返る。哭士に振り返った少年の顔からして年の頃は十二歳位。元から体の色素が薄いのだろう、栗色の髪に白い肌、細い手足が際立っている。

 気の弱そうな顔をしているが、人相のあまり良くない哭士を見て、更に目の奥には怯えの色が見える。




「ここの当主は、何歳なんだ」

「か……カナエ様、で御座いますか。カナエ様は現在、御歳おんとし十五歳になられます」

 哭士を見上げながら説明をする従者。

「……随分若い、と思うのだが」

 十五歳という若さで、このような大きな屋敷の当主の役目を果たす事が出来るのだろうか。

「いえ、先代の当主様も十代の時に選出されたと伺っております。四年前、先代の当主様が亡くなられてからは、カナエ様が十一歳の時に黒古志家の当主へ。当主を補佐する方々もいらっしゃいますので、当主様がお若い方でも、さほど大きな問題は無いそうです」

 若くして当主に選ばれるという事は、この限られた世界の中では稀有(けう)な事ではないらしい。

「……」

 哭士は理解した意思表示に、数回頭を振る。従者は引き続き、哭士の案内を続けた。







「こちらになります」

 従者は、ようやく振り返り、一つの部屋を指し示した。

 部屋は広く、滞在に必要な道具も揃っているようだ。部屋を見回した哭士は振り返り、気になっていることを聞いてみた。

「お前、何か感じないか?」

「……はい?」

 きょとんとした顔で、従者は哭士を見上げる。



「この屋敷、だ。初めて足を踏み入れたとき、何か嫌な感じがしなかったか」

 哭士が屋敷に入った瞬間のあの嫌悪感、あれは自分だけの物だったのだろうか。

「……いえ……あの……ここにお遣えする身ではそのような事は言っては……あ」

 その返事が、もう答えになっていた。従者も同じ不快感を覚えたらしい。

「済まなかった。これは聞き流してくれ」

「はい……。あの、この事、黙っててくださいね? 上の方に知られたら、僕……」

 青くなっている若い従者に、哭士は分かっている、といった様子で首を振る。その様子に、従者は落ち着きを取り戻したようだった。





 部屋の中央の座卓に掛けた哭士。従者は、哭士の傍らに寄ってくると、なにやら緊張の面持(おもも)ちで話し出した。

「早池峰様には、滞在いただく上で、守っていただきたいことがございます」

 いそいそと、紙切れを広げ、従者は読み上げ始めた。

「カナエ様からの指示があるまでは、この部屋を出ない事。必要なものに関しては、部屋を案内した従者、つまり僕にお申し付け下さい。部屋を出た場合、外には見張りがおり、すぐ分かるようになっていますので」

 従者は自分の名前をレキ、と名乗った。

「外に出るな……という事か」

 これでは軟禁である。思わず舌打ちが出る。

「これは、上からの指令で……どうしても、ダメなんだそうです」

 苛立ちを見せる哭士にレキがまたもや怯える。



「一先ず僕はこれで」

 レキは勢い良く立ち上がり、哭士が入ってきた襖とは反対の襖を開く。と突然、犬の吠え声が哭士の耳をつんざく。一匹の吠え声ではない。



 哭士が立ち上がり、部屋の外を見ると、大きな三匹の犬が庭に集まり、廊下のレキに向かって牙をむき出して吠え声を上げていた。

「うわぁ!」

 レキは転げるようにして部屋内に戻った。犬の吠え声がぴたりと止む。

「スイマセン……あの犬達が、この部屋から出る者を見張っているんです。以前、このお部屋に住まわれていた方が飼っていた犬達で、ほかの者には一切慣れようとしないんです。屋敷の者以外の人間がこの部屋から出ようとすると、吠えて屋敷中に知れるようになっていて……。僕、まだ入って日が浅いから、判別され辛いみたいなんです」

 見張りというのは、この犬達の事を言っているようだ。

 困ったように頭を掻いたレキ。今度はそっと、犬がいる庭とは反対方向から部屋を出て行った。



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